虚盗の魚 3

 そんなおれんじは出会った時からストーカーよろしく、こちらのことをよく知っている。とりわけ病を発症し、初めて向かったグループセラピーで出合い頭に「あなた陸のクロでしょ」と声を掛けられた時は、声も出ぬほど驚かされたものだった。さらにその後、海の「おれんじ」であることもまた知らされたのだから、なおさら目玉をひん剥くハメにあっている。

 一度、組んでみたいと思ってたんだ。

 明かすおれんじはお得意の海を泳ぐと「クロ」の正体を突き止め、忽然と姿を消したそのワケもまた探り当ててこうしてグループセラピーまで足を運んでいた。

 申し出を受け入れたのは他にすることもなければ深刻ぶった面持ちのセラピーこそ肌に合いそうもなかったからで、つまるところ生き方は死をもってしても急に変えたりすることはできない、ということらしい。

「それで衛生局のメンタルケアサービスなんかに登録したんだ」

 だが結局のところはどうなのだろう。

 缶を離れたおれんじの手が二つ、三つとマシンのコンソールを弾く。

「感受ジャックから受信した脳波をもとに『隠された望み』を解析。それらを最新の計算式で夢へ再構成。ジャックからその夢を受信することで、分析や診断よりもはるかに高い共感から被験者に深い気づきを与える新型セラピーサービス」

 出た検索結果を読み上げたなら、大きく広げた手で空を仰いでみせた。

「目覚めるたびあなたは生まれ変わーる。最新メンタルアルゴリズムの生み出す真実の物語が、希望と活力に満ちたあなたの真の人生の扉をひ、らーく」

 芝居がかったその文言はCMのソレだ。そうしてすぐにも「バカみたい」とまたヒザ小僧のビールをすすった。

「絶対インチキよ。集めたデータはきっと流用されてる。それを政府がやってるならこれ以上、生理データや志向を開示することには賛成できない。そもそも効果は出てるの?」

 恐ろしく疑わし気な目でこちらをうかがう。

「ノーコメント」

 切ってこちらも缶を開けた。噴き出す泡ごとビールをあおる。

「ほら、インチキ」

 鬼の首でも取ったような口ぶりだ。

「あのな。だいたいどれだけの人間が利用してるサービスだと思ってるんだよ」

「信用できるかどうかは多数決で決まるものですか」

 突き付け返せば食らう正論で、言葉どころか思考すら詰めて黙り込んだ。

「目をつけられて逮捕でもされたらオシマイなの」

 そうして会話は目覚めた時へ巻き戻される。おかげで間際まで見せられていた夢の感触を、鮮明と脳裏へ蘇らせていた。 

「迷惑はかけない」

 言う顔を吟味するおれんじは、また口をつけた缶の向こうからじいっ、と見つめている。

「見つかる前に飽きるさ」

 蹴散らし残りのビールを流し込んでいた。ならぬるいビールは腹にたまるのが早く、それすら眺めておれんじは、握っていた缶を不意にマシンへ置く。

「だったらそんなインチキよりさ」

 空いた手が、ゆらりこちらへ伸ばされていた。

「あたしと楽しいこと、しようか」

 絡めてヒザの上へ乗り移るおれんじは柔らかく、椅子ごとバランスを崩しかける。

「もう酔ってんのか」

 回るならどちらかといえばすきっ腹のこちらの方が先で、子猫のように体を丸めたおれんじは、ふふ、と意味ありげに笑っていた。

「言ったじゃない」

 そうして向けたまっすぐな瞳は、スカウトに現れた時と変わらない。

「今夜はぱーりない、だってさ」

 だからして、グループセラピーの場で呼び止められても警官だと思えなかった十七歳は、おとぎ話のプリンセスと口づける。ドンペリの配送はそのとき完了を知らせると、スクリーンへ小さなアイコンを点滅させていた。


 凍結を免れたマネーは生活のためというよりも戦利品として手元に残る。

 おれんじは右手に出し損ねていたゴミ袋を、左手にバイクのヘルメットをさげ帰っていった。いや正確には次の回線へと移動していった。

 他におれんじがこうした端末をいくつ抱えているのかを知らない。だがこうも巧と海で立ち回り続けることができるのは間違いなく複数のポイントから常にランダムに仕掛け続けているからだとしか思えず、そんなポイントの選出には法則があるのかただの気まぐれなのか、「刈る」直前に連絡が舞い込むだけで何一つ知らされてはいなかった。

 電源の落とされたマシンは冷えて縮むと、もうおれんじがいた気配すら残していない。埋めるのはぼんやり広がる己が光だけで、見ようによっては温かみさえ感じられるはずのそれにまた鈍くだるさを覚えてみる。

 例えばこの病は死に至るまで光る以外、なんら症状を覚えることがないという。だからといって表へ出れば原因不明の不治の病だ。うつると信じる人間も少なくなかった。

 晒されつつ最期の最後までをシラフで過ごせるヤツがいるとして、タフかといえばそれはただ鈍感なだけだろう。だからしておれんじと出会った日が最初で最後となったグループセラピーも、そうした絶望がもたらす自死や自暴自棄が引き起こす犯罪の抑止を目的として開かれてもいた。

 ガラじゃないとこちらを選んだが、この先、どうなってゆくのか何一つ分かりはしない。証拠に些細な変調にさえこうして不安は頭をもたげると、その不安に危ぶまれる事態への入り口か、と疑心暗鬼は心に迷路を組み上げて行く。

 つまりまだうろたえるほど、手放せやしない「希望」を持ち合わせている、ということなのか。発症した時、間に合うはずもない移住も、何もかも全ての「希望」を諦めたはずなのに、だった。

 ベッドへ足を投げ出す。

 おれんじにはノーコメントとはぐらかしたが、ここ数日をかけて送った生理データを元に夢は、ようやく投影を始めたところだった。

 希望も何も、死ぬほかない人間にそんなものが残されていたなら一大事でしかありえない。

 そんなもの、ありはしない。

 もしあるというなら見つけ出し、片っ端から駆逐しなければとフォンジャックを手繰り寄せる。専用ルーターの設定を確かめた。目覚ましを八時間後にセットしなおし横になる。

 そうして送り込まれてくる夢は果たして続く物語なのか、それとも弾き出されたテーマを異なるシチュエーションで何度も繰り返し投影するものなのか。説明は一切ない。

 ジャックの先は鋭利な二股のピンになっていて、耳の深いところへ装着する。

 ややもすればジャックがほんのり熱を帯びてゆくのが感じ取れていた。熱は鼻の奥を伝うと額の内側へじんわり広がり、その温もりでもってして張り付く意識をひとつ、またひとつと、眠りへ誘いほどき始める。

 自然とまぶたは落ちていた。

 続きだ。

 送られてきた夢には鮮やかと、輝くグリーンが敷き詰められていた。

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