第47話 がんもどき(飛龍頭)
「…という訳で料理教えてもらえるんですが、一緒にどうですか?」
2月も下旬に入ろうかという金曜日の夜18時過ぎ。
男は酒屋で女店主と話していた。
先週スーパーのアルバイトの女性と話した料理教室もどきの件である。
「アタシも参加して良いのかい?」
女店主はキョトンとした顔で返す。
聞けば、料理ができないアルバイトの子が料理を練習するために開かれる会だという。
しかし、女店主は自炊程度であれば問題無く料理ができる。
「まあ、単純にあなたもいれば楽しいかなと。それに男二人に女性一人というのも、と思いまして」
男はサラリと言う。
「…まあ、そういう事ならアタシも行くよ。それより同僚さんはその件承諾してるのかい?」
「ええ。元々教えるのが好きなやつですし。ほら」
と男はスマートフォンのチャット画面を見せる。
「あんた…同じ職場なら直接話しなよ」
女店主は呆れた。
「それが私とアイツとで入れ替わりで出張に出ちゃいましてね。今週は会ってないんですよ」
「なんだ、そうだったの…で、そこで食べた物が美味しかったんで作ってみようって?」
「よく分かりましたね。金沢に行ってきまして、そこの"ひろず"ってのが美味しかったんですよ」
と、男は写真を見せる。
「これ、がんもどきじゃない?」
女店主は首を傾げる。
「そうですね。レシピは全く同じですが、語源は別々らしくて、向こうだと呼び方が違うんです」
と男は言う。
関東でがんもどきと呼ばれるその料理は精進料理由来の語源だ。その名の通り、雁の肉を真似して作られたことから"雁擬き"とされた。
一方関西を中心とした地域では、南蛮文化由来の語源だ。ポルトガル語で揚げ物を意味する"Filhós(フィリオス)"を元にして"ひりょうず"となり、それを文字って"飛龍頭"となった。更に飛龍頭は各地に広がった際に訛りが入り、"ひりゅうず"、"ひろうす"、"ひろうず"等、様々な呼び名が付いた。金沢のひろずもその一つだ。
「へぇ、なるほどねぇ…と言う割には豆腐とか野菜とか無いじゃないか。買ったのは…大和芋?」
と女店主は男の手元を見て言う。
「豆腐は昨日買っておいて今水抜きしているんですよ。野菜は、まあ、がんもどきですし、家にある冷凍のもので良いかなぁと」
と男は答える。
がんもどきは豆腐の水抜き等の手間がかかるが、生地には色々なものが練り込めるのが利点だ。
「で、それに合わせる酒を今日はご所望と。そうだねぇ…金沢繋がりで、こんな酒はどうだい?」
と女店主が持ち出してきたのは、金沢の隣、白山市の酒造の山廃だ。全国的にも広まっている日本酒で、男ももちろん知っている。
「あぁ、良いですねぇ。それでお願いします」
男もにんまりと笑って答える。
「よし来た…あぁ、あとこれもやるよ」
と女店主が一緒に袋に詰め込んだのは、ウイスキーー等のつまみとして売られているチョコレートだ。
「これは…?」
男も不思議そうな顔をする。
「先週渡せなかったからさ。アタシ製菓は得意じゃないし、流行りのブランドにも疎いからさ。ウチの売り物だけどこれで勘弁して」
女店主は苦い笑いを浮かべる。
「?…はぁ…」
朴念仁な男はこのチョコレートの意味を理解しきれない。
「分からないならそれで良いよ。いつも贔屓にしてもらってるお礼とでも思っといて!」
女店主はニカッと笑って言う。
そうしていつも通り会計を済ませる。
男は首を傾げながら店を出た。
家に着き、男は食材を台所に並べる。
【がんもどき】
・木綿豆腐
・大和芋
・冷凍牛蒡と人参
・冷凍枝豆
・黒ごま
・塩
・砂糖
がんもどきは手間はかかるが作り方は簡単だ。
まず木綿豆腐は水気を切る。男は今朝からこれをやっていたので、この後の作業としては不要だ。
大和芋を擂り、水切りした木綿豆腐を崩しながら混ぜる。
そこに刻んだ野菜も混ぜて、団子状にして揚げる、という流れだ。
既に終わっているが、がんもどきにおいて豆腐の水切りは徹底的に行う必要がある。
まずは木綿豆腐1丁の表面の水分を拭き取る。キッチンペーパーで2重に包み、平たい皿で挟んで重しを乗せる。この状態で短くとも3時間は置く。
今回、男は半日水切りしたので、片手で持っても崩れないほどになった。
野菜も準備する。
今回は市販の冷凍物を使う。使用するのは細切りされた人参と牛蒡の冷凍、そして剥き枝豆の冷凍だ。
人参と牛蒡は合わせて200g。後で刻むのが面倒なので凍っているうちに叩いて砕く。そして解凍。
枝豆は50gをそのまま解凍
解凍している間に大和芋を100g擂る。
以前磯辺揚げを作った時のように、大さじで表面の皮をこそげ取る。
その時の経験から、擂り鉢ではなくハンドブレンダーで無理矢理擂りおろす。こちらの方が早い。
水切りした豆腐と大和芋を同じくハンドブレンダーで混ぜる。
そこに塩、砂糖を一つまみずつ、更に黒ごま大さじ1と解凍した野菜を混ぜていく。
鍋で揚げ用の油を温め、手にサラダ油を付けて生地を一口大より少し大きめの団子状にする。この時、団子を大きくしすぎると中まで火が通りにくくなる。その場合は平たくすると良い。
菜箸の先を鍋の油に入れ、静かに細かい泡が出てきたら生地を揚げ始める。
全体に狐色の揚げ色が付いたら、油から取り出してキッチンペーパーに置いて余分な油分を切る。
皿に盛り付けて、完成だ。
男は小皿に生姜醤油を準備して、がんもどき、日本酒、そして切子と共に食卓に並べる。
先程揚がったばかりなので、がんもどきからは湯気がゆらゆらと昇っている。
男をその景色を肴に日本酒を注ぎ、一口飲んだ。
「んぐ…くふぅー…旨ぇ…」
旨口、かつ酸味が強い酒だ。
流行りの甘口でスッキリとしたものとは異なり、日本酒度が高く感じられる飲み応えだ。それ故、人を選ぶような風味を出すが、その分、米本来の強い旨味が舌の上に広がる。
男はその余韻を残しながら、がんもどきを生姜醤油に付けて頬張る。
「はぐ…あっふ…しゃぐ…むぐむぐ…んぐん…」
とても熱い。
しかし、口の中で冷ましながらゆっくりと噛むと、衣のサクサクしているのようなフワフワしているような不思議な食感が口の中に広がる。
表面に残る油分がジューシーさを感じさせつつ、時に人参、牛蒡、枝豆の食感がアクセントとなる。
最後に水気を抜いた豆腐と大和芋の滋味深い味が口の中に広がる。生姜醤油のパンチの効いた風味にも負けていない。
男は更に日本酒を追いかける。
「んぐ…んぐ…んぐん…っあぁ〜…」
繊細な日本酒では負けていただろう。それほど揚げたてのがんもどきは強い味わいを残している。
しかし、旨口で酸度も強いこの日本酒であれば、この味わいを受け止めることができる。
男は笑みを浮かべて、がんもどきをもう一口頬張った。
食後、ほろ酔い状態の男は、今日女店主から貰ったチョコレートは何だろう?と考えていた。
「先週渡せなかった」と女店主は言った。何かチョコレートを貰うような約束などしていたか、と男は考え込んでいる。
ふと、カレンダーに目を遣る。そこで男はこのチョコレートの意味に気付く。
「そういうことか…。あぁ、ならお返しは何にしようか」
男は今更気付いた自分に呆れながらも、その手の中のチョコレートを嬉しそうに眺めていた。
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