第46話 おでん

「…あの部長も太っ腹だなこんな良い酒をくれるなんて」


2月中旬の金曜日。時刻は18時前。

笑顔の男は、家路の途中で呟いた。手元の紙袋の中には日本酒が入っている。

先週、今年度予算を達成した男は、この日の朝に部長から日本酒を送られていた。男はまだ飲んだことが無いが、中々手に入らないことで有名な酒だ。


「こうなると、寒い内にこいつと合わせておきたいものがあるよな」

梅の花は咲き始め、寒さも段々と緩んできた。

温かい春はもうすぐそこだが、その前に合わせておきたいものがある。

そのために、男は商店街へと入っていった。


商店街に入って、男は周囲を見回す。

目当ての店が見当たらないのだ。

男は近くにあった豆腐屋に声をかけ、

「すみません、この辺りに練物屋さんってありませんでしたっけ?」

と問い掛ける。


「練物屋ならウチの斜向いだよ。でも残念ね。今日、練物屋のご主人が風邪引いたとかで休みなのさ」

と豆腐屋の女将が言う。


「あ…そうなんですね…分かりました…」

男はしょぼんとしながらも女将に礼を言いその場を立ち去る。


「がーん、だな…出鼻をくじかれた」

漫画にありそうな台詞が男の頭に浮かんでいた。

男はどうしたものか、と考え込みながら、自宅の方面に歩いていく。


気付けば、商店街の端の酒屋も通り過ぎていた。

男の家には酒屋の所の交差点を曲がらないと帰ることができない。男は交差点まで戻る。

ふと、前を見ると、交差点の向こう側にいつものスーパーがある。


「そうだな。スーパーで買い揃えれば良いか」

男は切り替えてスーパーに入った。



スーパーに入り、男は早速店内を物色する。

と、冷蔵棚から早速一つの商品を手に取った。


「これでも良いんだけど…」

男が手に取ったのは、おでん種の詰め合わせだ。

男が今日食べたいのはおでんなのだ。

しかし、男は詰め合わせを元の棚に戻してしまう。


「折角だから少し手をかけるか…でも、どこのおでんにしようかね」

日本、様々な形のおでんがひしめき合っている。


「好きなのは関西の関東煮かんとだき…親父の実家の滋賀のおでんも旨かったな…地元だし、東京のおでんで飲んでみるのも良いな…」

と考え込んだ結果、


「全部混ぜるか」

男は思考を放棄した。

男は、取り敢えずどこの地域のおでんにも入っている食材をかごに入れていく。まずは大根、次に卵、竹輪、がんもどき(飛龍頭)、薩摩揚げ。そして、こんにゃくを取ろうとして、手を止める。


「滋賀は赤こんにゃくだったよな?」

滋賀県には透明感皆無でレンガのように赤いこんにゃくがある。出汁やタレの味をよく吸うもので、現地の煮物には欠かせない。

男は、このスーパーならもしかして、と赤こんにゃくを探してみる。が、流石のこのスーパーも販売していないようだ。仕方無く、男は普通のこんにゃくをカゴに入れる。


「あと、滋賀のおでんは出汁が旨かったんだよな…牛すじも入れておくか」

男の父方の実家では、牛肉を使った料理では近江牛が使われていた。

親戚達はそれを、大した肉じゃない、と言っていた。しかし、そこの近所の肉屋では平然と近江牛が並ぶ。地元では普段使いの牛肉でも、外部からすれば"大した肉"なのである。

そんな"大した肉"の牛すじが使われていたのだ。さぞかし、旨い出汁が出ていたことだろう。

男は精肉コーナーの牛すじをカゴに入れた。


「後は東京おでんの種も入れておくか…えーと、はんぺんと、あと、すじかな」

すじとは、魚の身と軟骨の練物のことだ。こちらはほぼ関東圏でしか見当たらないおでん種となる。

しかし、


「ちくわぶは…そんなに好きじゃないんだよなぁ」

関東のおでん好きが聞いたら発狂しそうな発言だ。

同じく関東のおでんに入れられる食材だ。小麦粉、塩、水を練って竹輪状にしたおでん種となる。

男はちくわぶは手に取らず、そのままレジに向かった。


「あ、お久しぶりですね」

レジにてアルバイトの女性がこちらに気付き、声をかけてくる。


「そういえば、こちらに来るのは久しぶりですね」

男が返す。


「先週はお友達の方がまた来られて驚きました」

お友達、とは男の同僚のことだろう。


「あの人料理得意なんですね。教えてもらいたいです」

と女性は続ける。


「アイツ結構教えるのが好きなので、お願いすれば教えてくれると思いますよ」


「でしたら、今度集まって料理教えてもらいませんか?私もあまり料理は得意ではないですし、惣菜ばかりもお金かかるので、誰かに教えてほしいんですよ」


「私は構いませんよ。アイツにも都合を聞いておきますね…そうだ、もう一人、そこの酒屋の店主も声かけてみますね。以前に料理覚えたいって言っていたので」


「分かりました。では、日付はまた後程で」

と料理教室もどきの約束を交わしながら、レジに商品を通していく。

男はさっさと支払いを済ませ、では、と言って家路につく。



家に着き、男は早速台所に食材を並べる。

【おでん】

・大根

・卵

・竹輪

・がんもどき

・薩摩揚げ

・こんにゃく

・牛すじ

・はんぺん

・すじ

・醤油

・みりん

・白出汁


おでんの出汁は地域毎で異なってくるが、作り方は大体どこも同じである。

下拵えしたおでん種を出しで煮込むだけ。いたって簡単な料理である。


まず、食材の下拵えから入る。

大きめの鍋で湯を沸かす。その間に大根1/3を深めに皮を剥き、3cmほどの厚さに切る。沸騰した湯に大根と卵を入れて15分茹でる。

その間にやかんで別に湯を沸かし、竹輪2本を半分に、牛すじは200gを一口大に切る。

切った牛すじとがんもどきは、やかんの湯を掛けて余分な油を落とす。

残ったやかんの湯は、片手鍋に注いで、こんにゃく1枚を好きなサイズに切り、片手鍋に入れて弱火で温めておく。


後は土鍋で煮るだけだ。

土鍋に水を1.5L注ぎ、醤油、みりんを大さじで2ずつ入れる。白出汁を、容器に書かれている割合よりも少し薄めに注ぐ。

具材は入れずにまずは出汁だけ弱火で温める。

沸騰直前の温度になったところで、はんぺん以外の各おでん種を鍋に入れ蓋をして弱火で1時間煮る。最後にはんぺんを乗せ、蓋をして再び弱火で30分。

これで完成だ。


食卓に鍋敷きを置いて、おでんの入った土鍋と取皿を置き、日本酒を徳利に注ぐ。

徳利から猪口に移しながら、おでんを眺める。

程よく味が染みたおでん種が美味しそうだ。

それを眺めながら、猪口の中身を飲み干す。


「んぐ…ほぅ…思ったより力強い味だな」

山廃や生酛きもとほどではないにしろ、旨味が強く、香りが荒っぽい。

男の好む風味だが、おでんに合うかは怪しい。

男は恐る恐るおでんの大根を取皿に取る。


「はぐ…あふあふ…んぐん…やっぱり酒が強いな」

これならもっと濃い味付けにすれば良かったと男は思った。

だが大根からは噛むたびに出汁が染み出し、何口か食べるとおでんの風味で口が満たされる。未だ日本酒の風味は残るが、大根ほどよく出汁を吸うおでん種ならば、旨口の濃い日本酒でも合うかも、と男は思った。

男は再度、猪口に日本酒を注ぎ、クイと飲み干す。


「んぐ……ふぅ〜」

やはりすぐに日本酒の香りに染められてしまう。

男はせっかく作ったおでんを残念に感じながらも、その香りの余韻に浸っていた。



「また、次の冬の楽しみができた」

男はそう思いながら食後の余韻に浸っていた。

思えば今日は目当ての練物屋も休みだった。

そして、旨いと評されるこの日本酒は、自分好みのおでんの味付けと合わなかった。

しかし、全てが思うように事が進むと次の楽しみが無くなる。何かが足りないくらいでちょうど良いじゃないか。男はそう自分に言い聞かせた。

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