第45話 ビーフストロガノフ

「…は?泊めてくれ?」


2月上旬の金曜夕方、定時過ぎの時間。

男は同僚に対して、何を言っているのだ、と言わんばかりの表情で言った。


「不躾だとは分かってる。でも頼めないか?」

同僚は手を合わせて男に言う。

どうやら今夜泊めてくれ、と頼んでいるようだ。


「理由次第だな」

男が返す。


「それがな…」

と同僚は事情を話し始める。

どうやら酒癖が悪い伯父が泊まりに来るため、避難したいようだ。しかし、急遽ホテルを予約しようにも空いているところが無かったことから、男の元に来たらしい。


「なるほど、分かった。ただ、宿代代わりに、お前が飯作れよ?飯代と酒代は折半な」

と男は言って同僚と共に職場を出た。



職場を出るとヒュウと冷たい風が吹く。

「まだ寒いな。今日は温かいのにしよう」

と男が言う。


「何にする?」

と同僚。


「…寒いところの酒と飯にしよう」


「寒いところ?北海道とか?」


「いや、もっと北。ロシア」


「ロシア料理かー。何ができるかな?」


「その辺りは買い物しながら考えてくれ。こっちはロシアの酒を買ってくる。お前は料理担当だから食材を頼んだ」

と男は酒屋に行ってしまう。


「んーむ、中々の人使い。ま、仕方ない」

と同僚もヘラヘラしながらスーパーに向かう。



男は酒屋のドアを開け、カランカランと音が鳴る。

「いらっしゃい。お、まただね。ここのところ毎週じゃないか」

と女店主。


「どうも。まだ寒いですから、北国ロシアに学んでキツいのを、と思いまして」

と男が言う。


「ロシア…ね、えーと、これなんてどうだい?」

と出してきたのは世界的に有名なブランドのウオッカだ。

だが男は、


「コンビニでも買えるやつじゃないですか。あれ?でもラベルの色が違う?」

よく見る赤い色のラベルではなく、出されたのは黒いラベルのウオッカだ。


「こいつは赤いやつとは製法が異なるのさ。流通もそんなに多くないヤツでね。レア物だし、何より旨いよ」

と女店主は説明する。


「なるほど、ではこれを…」

と男が支払いをしようとしたところで、


「おっと、これを売るとは言ってないよ。これもオススメには違いないが、アンタに今日買ってもらうのはこっちだ」

と女店主は別の瓶を繰り出す。


「…何ですか、これ?何か黄色、というか赤みがかってますよ?これは…唐辛子?」

男は出された酒瓶を不思議そうに見つめる。

酒の色は全体的に赤みがかっている。ラベルには唐辛子があしらわれており、瓶の底にも沈んでいる。


「唐辛子ウオッカとか言われてるのかね。体が温まるから風邪の時の特効薬みたいに飲まれたりするやつさ」

と女店主が説明する。


「あんた最近風邪引いたとか、まだ調子出ないとか言ってるじゃないか。これ飲んで暖まりな」

女店主は続ける。


「耳が痛い限りで。でも、そうですね、ご忠告に従うとします」

と男は苦い顔をする。


「そうそう、それで良いんだよ。もし割るならブラッディメアリーがオススメだから、これも買っていきな」

女店主はトマトジュースも差し出す。


「なるほど、ありがとうございます」

男はトマトジュースも併せて買った。

そのまま男はスーパーの方に向かう。



スーパーの前まで来てみると、ガラス越しに同僚が店長やアルバイトの女性と楽しそうに話しているのが見えた。

男はしばし同僚を待つことにした。


数分後、同僚がスーパーから出てくる。

「なんだ、待ってたのか。声かけてくれれば良かったのに」

と同僚は言う。


「楽しそうに話していたからな。邪魔しちゃ悪いと思って」


「いやまぁ、顔見知りだからな。軽く会話したら『何を作るんですか』とか『それお店のポップに書いて良いですか』て聞かれてな」

以前に男が手伝ったポップの件を同僚も手伝ったらしい。


「なるほど。で、何を買ってきたんだ?」

男は尋ねる。


「家に着いてからのお楽しみ、だな。お前こそ何買ってきたんだよ」


「そちらが言わないならこちらも言えないな」

二人はヘラヘラ笑いながら男の家へと急いだ。



家に着き、二人は買ってきたものを見せ合う。

「ほぉ、あそこ生のマッシュルームなんて売ってたのか。それに牛肉と玉ねぎとトマト缶と…これは…サワークリーム?」

男は首を傾げる。


「お前この食材見て分からないのか?」


「ロシア料理には疎くてな」


「それでロシア料理頼むって酷いと思うが…。ま、良いや。今日作るのはビーフストロガノフ。本当なら生クリームで白く作るんだが、アレンジでトマト缶に変えてみた」

と同僚。


「ならちょうど良いな。こっちもトマトジュースで割ると旨いらしいぞ」

男はトマトジュースと唐辛子ウオッカを取り出す。


「何だこれ?何で唐辛子が酒の中に沈んでるんだ?」

同僚は不思議そうに酒瓶を見つめる。


「ウオッカの一つらしい。体が温まるんだと。トマトジュースで割ると旨いって言うから一緒に買ってきた)


「それは楽しみだな。…さ、拵えるぞ。お前は座って寛いでろ」

と同僚が続ける。


「俺の家だけどな」

と言いつつ、男は食器の準備をする。


まず同僚は食材を台所に並べる。

【ビーフストロガノフ】

・牛モモ肉

・マッシュルーム

・玉ねぎ

・トマト缶

・サワークリーム

・バター

・薄力粉

・胡椒

・塩

・赤ワイン

・バゲット(フランスパン)


ビーフストロガノフはロシアの郷土料理だ。

ビーフシチューと混同されがちだが、肉は細切りにする、サワークリームを入れる等の違いがある。

また、先程のように、本来のビーフストロガノフは生クリームを使うため白い見た目だ。

今回は生クリームの代わりにトマト缶を使って作るようだ。


まず、食材の下拵え。

玉ねぎは1個を薄くスライスし、耐熱皿にバター少々と共に乗せる。軽くラップをかけたら500Wのレンジで8分。こうすることで玉ねぎがを炒めた時、早く飴色になる。

また、マッシュルームは5個ほどをスライス。

牛肉は400gを1cmの細さに切り、胡椒と薄力粉を肉の表面にまぶす。


次に食材に火を通す。

深めのフライパンにバター30gを落とし、火にかけて溶かす。

バターが溶けたらまず牛肉を入れて表面に焼き色がつくまで炒める。

赤ワインを一回しかけ入れ、一煮立ちさせる。

マッシュルームを入れ、こちらも軽く火を通す。

時間差をつけて先程レンジにかけた玉ねぎも入れ、飴色になるまで火を通す。

塩を二つまみほど振って全体に下味をつける。


最後に煮込み。

トマト缶を入れ、5分ほど煮込む。たまに底から混ぜ、焦げ付かないようにする。

その間、バゲットを好みの厚さ、枚数に切り、トースターで焼いておく。

サワークリーム100gを入れる。全体的に混ぜながら、8割ほど溶けたかという具合で火を止める。

タイミング良く、バゲットも焼き上がる。

深い皿にビーフストロガノフを、浅い皿にバゲットを盛り付け、完成だ。


食卓に料理を持っていくと、すでに男が食器、唐辛子ウオッカ、トマトジュース、氷、タンブラーと一通り揃えていた。

「いつの間に…」

同僚は驚く。


「さっきお前の後ろで色々持ってきたんだよ。お前、料理中だと集中して周り見えなくなるの変わってないな」

男が言う。


「え?全然気付かなかった…」


「ま、そんなことはどうでも良い。早よ飲もう」

と男はタンブラーに氷を入れ、ウオッカを注ぐ。

同僚も皿を食卓に置き、晩酌にありつく。


「さて、まずは…お疲れさん…」

と男は同僚にグラスを差し出す。

グラスを受け取り、二人で一口飲む。


「ん…これは…たしかにウオッカだが…」


「舌、というか喉にピリッと来るな」

キレの良いウオッカらしい透明感のある味の後に、舌の奥から喉にかけてピリッとした刺激が来る。

飲み物でこのピリピリ感を味わうのは不思議な感覚だが、不思議と嫌に感じない。


「ふむ…これなら、味も負けないかもな」

と同僚はビーフストロガノフをバゲットに乗せて頬張る。


「バリッ…ガリ…ガリ…むぐ…むぐ…んぐん…」

少しバゲットを焼きすぎたかもしれない。

だが、そこにビーフストロガノフが少し染み込んで良い具合だ。


「お、これは…ビーフシチューとも違うな!」

同僚に続いて頬張った男も嬉しそうに反応する。

最大の違いはサワークリームの味だ。

チーズのようにクリーミーかつ柔らかい酸味を持つサワークリームが加わることにより、濃厚な乳製品の風味がついているのだ。

そこにトマトの旨味と酸味、玉ねぎの甘みが加わり、全体的に濃厚かつバランスの取れた味わいとなっている。


「であれば、これも合うよな」

と男はグラスにトマトジュースも注ぎ、ブラッディメアリーを作る。

同僚も真似して、二人で飲みだす。


「んぐ…んぐ…あー、うんまいな、これ!」

ブラッディメアリーとは要するに"酔えるトマトジュース"だ。ウオッカ自体が透明感のある風味のため、他の素材を邪魔しない。つまりはトマトジュースの味なのだ。

そこに唐辛子のピリピリ感。ブラッディメアリーはそもそも塩や胡椒等の調味料も入れたりするカクテルだ。勿論唐辛子の風味とも合うだろう。


食と酒のループにハマった二人は次々と食べ、飲みすすめる。



「にしてもお前も面白いの買ってきたよな。あんな変わり種の酒なんて滅多に買わないのに」

食後、同僚が言う。


「酒屋の店主にな、『これ飲んで体を温めて、しっかり体を元気にさせなさい』て言われてな」

と酔っ払った男はたどたどしく答える。


「何だよ。まるで嫁さんみたいだな」

と同僚はからかう。


「よせやい。まだそんな関係じゃないよ」

酔っ払いながらも否定するところは否定する。


「ははっ、冗談だって」

同僚は男の反応に笑う。が…


「(まだ…ね…)」

と頭の中では考えていた。

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