第41話 蓮根のはさみ焼き
「…あー、怠い」
1月上旬の金曜日夕方。
男は連日の寒さにやられていた。
別段、病気というわけではない。だが調子が出ず、よく分からない疲れに悩まされていた。
「何か元気が出るもの食べたいな…」
そう考えながらフラフラと商店街を歩き回る。
八百屋の前に来て、男は足を止める。
八百屋の主人は男を見て声をかける。
「らっしゃい。ん?兄ちゃん元気無えな。大丈夫か?」
「あー、いえ、病気じゃないんですけどね。ちょっと最近調子が出なくて。で、何か元気が出るもの無いかなぁと」
男が答える。
実際あまりにも怠いので病院にも行ったが、特に何も無かった。医者は寒さと疲れから体が休みたがっているのだ、と説明した。そのまま無理すれば体調を崩すが、栄養を取って安静にしていれば問題無いとも。
「それなら…根のモンだな。栄養を吸う部分である根っこにゃ良いもんが詰まってるからな。旬のモンだと蓮根なんてどうだい?」
八百屋の主人が勧めてくる。
「蓮根ですか…」
呆けた声で男も繰り返す。
「おうよ。辛子蓮根なんかが有名だけどな、俺ならはさみ焼きの方が好みだな。蓮根のシャキシャキ感と豚の肉肉しさが堪んないんだよな」
と主人。
男も主人の言葉通りに想像し、涎が出そうになる。
「蓮根のはさみ焼きですか、良いですね。ならその蓮根と…青ネギをください」
男が言う。
「毎度!あぁそれとな、肉ならウチの隣のが旨いぜ」
「ありがとうございます。それなら次はそっちですね」
男は会計を済ませながら言う。
「ほいほい。おぉい、肉屋の大将!お客さんだよ」
釣り銭を渡しながら、八百屋の主人は隣の精肉店に呼びかける。
「あいよぉ、どした?」
精肉店の老主人が店の窓からひょこりと顔を出す。
「この兄ちゃん調子が出ないんだとさ。元気出すために良い肉を見繕ってくれや」
八百屋の主人が言う。
「そいつぁ旨いモンにしなきゃな。で、兄ちゃん、何が欲しいんだい?」
精肉店の老主人が男に問いかける。
「豚挽き肉をお願いします。こちらのご主人のオススメで、蓮根のはさみ焼きを作るんです」
男が答える。
「んなら、この黒豚のバラを使ったヤツにしよう。ちょいと高くつくんだけどな、今日は少しサービスしとくぜ?」
老主人が言う。
「それは嬉しいですね。ではそれでお願いします」
男もそのまま会計を済まして商店街を奥へと進む。
と、商店会の端にある、いつもの酒屋に着いた。
酒も買っていくか、と男は酒屋に入る。
カランッとドアベルが鳴り、女店主がその客に気付く。
「いらっしゃい。ん?あんたか。あれ、何か疲れた顔してる?大丈夫?」
八百屋の主人と同じことを心配される。
余程酷い顔らしい。
「いや、特に何かあるわけでは。ただ、調子出ないんですよね」
男が答える。
「なので、根のモノ食べて元気出そうかと」
と続けて、男は蓮根の入った袋を見せる。
「なるほど…作るのは?和?洋?中?」
と女店主は聞いてくる。
「和ですね。それで醤油ベースの濃いめの味です」
男が答える。
「なら日本酒じゃないね…焼酎なんてどうだい?あんた麦が好きだったろ?」
そう言いながら女店主が取り出したのは大分の麦焼酎だ。
「良いですね。では、それをお願いします」
男もそう言って会計を済ませる。
「…にしても大丈夫かい?料理が好きったって無理してするもんじゃないよ。良ければウチの晩飯あげるから、今日はさっさと食べて寝たらどうだい?」
心配した女店主が言う。
「ありがとうございます。まあ、これ位でダウンする程貧弱でもないですし、もう少しキツい時には頼らせてもらいますよ」
男が答える。
実際表情は酷いものだが、元からこの男は草臥れた顔つきである。そこに怠さが加わると病人のように見えるが、単に疲れているだけなのだ。
男はヒラヒラと手を振って家路についた。
家に着き、男は早速食材を台所に並べる。
【蓮根のはさみ焼き】
・蓮根
・豚挽き肉
・青ネギ
・すり生姜
・塩
・醤油
・みりん
・料理酒
・酢
蓮根のはさみ焼きはシンプルな料理だ。
輪切りにした蓮根にひき肉を挟んで、焼く。それだけで出来上がる。
それゆえ、アレンジできるポイントも多く、家庭によってレシピに差が生じやすい。
男は今回、焼く際の油を多めにして、揚げ焼きのようにするらしい。
まず、下拵えだ。
ボウルに大量の水と少量の酢を入れておく。
蓮根1節の皮を剥き、5〜10mm程の厚さで輪切りにし、先程のボウルに入れていく。こうすることで、蓮根が変色しない。この際、蓮根の輪切りが偶数枚になるように気をつける。
次に豚挽き肉の準備と蓮根で挟む作業。
青ネギ2本を小口切りにする。挽き肉200gとすり生姜大さじ1と塩2つまみとともに、深めの容器に入れ、よく混ぜる。
混ぜた豚肉は、輪切りの蓮根の水気を切って挟む。この際、蓮根の穴まで挽き肉を詰めると後でバラバラになりにくくなる。
本来であれば、輪切りにした蓮根の枚数から、はさみ焼き一つあたりの挽き肉の量を量ると良い。しかし、ものぐさな男はそんなことをしないため、はさみ焼き一つ当たりの厚さがばらばらである。
そんなことも気にせずに、男は豚挽き肉をはさんだ蓮根の表面に片栗粉をまぶす。
あとは焼く作業だ。
フライパンに多めに油を敷いて、菜箸の先から勢いよく泡が出るようになるまで熱する。
油が熱せられたら、挽き肉をはさんだ蓮根を焼いていく。片面を2分、もう片面を2分。
その間にタレを作っておく。醤油を大さじ2、みりん、料理酒、酢を大さじ2ずつ混ぜておくだけだ。
そして、蓮根が焼き上がったら、油を捨て、先程のタレを蓮根に回し掛けて絡めていく。
全体的に照りが出てきたら、皿に移して、完成だ。
食卓にミネラルウォーターとグラス、先程の麦焼酎、そして蓮根のはさみ焼きを置く。
火を通したタレの香ばしい匂いがする。
男は焼酎の水割りを作り、タレの匂いを肴に焼酎を飲んだ。
「んぐ…んぐ…ふぅー」
クセがなく、非常に飲みやすい。
それなのに麦の香りはしっかりとしている。
これであれば、和の食材に合わせられるし、味が濃くても負けることはない。
喉を潤したところで厚めのはさみ焼きに手を付ける。
「あぐ…しゃくっ!ズゾッ…しゃくしゃく…むぐ…んぐん…」
蓮根の食感が良い。十分に火は通っているのに、シャキシャキとした歯触りが伝わってくる。
同時に、豚の肉汁が溢れ出してくる。男は思わずこぼしそうになった。
その肉汁も元が良い肉のためか甘みを含んでいる。タレの濃い味との組み合わせも良い。
男は更に焼酎で追いかけた。
「んぐ…んぐ…んぐ…んぐん…ふぅー」
飲みやすさから酒が進む。
濃い味付けと香りがさらりとした風味と優しい麦の香りに包まれ、喉奥へと流れてゆく。後には麦の香りだけが口内に残る。
男ははさみ焼きをもう一枚食べる。
食後、男は満足感に浸っていた。
良い歯応えの蓮根に肉汁溢れる豚肉、そして仄かに香る生姜。全てが体を労る要素であるのに、元気が出てくるようなジャンキーらしさもある。
ほろ酔いであるが、いつの間にか先程までの疲れは無くなっていた。
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