第32話 イスケンデル・ケバブ(ラム肉のトマトソース、ヨーグルト添)

「…そう言えば作ったことないな」


木曜日の昼下り、男は同僚との雑談の中で言った。

昼休み中に職場と駅前の間にできたというケバブ屋で食べた帰りの時だ。

かぶりつくとラム肉と野菜からジュワッとエキスが出てくる、そんな旨いものを出している店。その帰りに同僚との会話で「家でも食べたい」という話題になり、先程の発言に至ったのである。


「あぁ、…世界3大料理と言われている割にあまり食べないもんな」

同僚が返す。

確かに日本ではあまり馴染みがない。


「実際どんなのがトルコ料理なんだ?」

と、男は携帯でその特徴を検索し始めた。

以下のような検索結果が挙がってくる。


海産物が豊富だが、羊を主とした肉食の方が盛ん。乳製品のヨーグルトはトルコが発祥で、甘くなく、料理にも頻繁に用いられるらしい。

野菜は西洋野菜は一通り揃うが、中でもトマトが人気。よくサルチャと呼ばれるペーストにして使われるようだ。

主食はパンがメインで、豆や米も食べられる。

油はバターとオリーブオイルが使われる。

調味料の種類は多くない。塩や胡椒等のスパイス、あとは羊の肉汁を出汁として使うようだ。ただし、甘味は豊富。

つまり…


「つまり何だ?」

同僚が続けて言う。


「何だって言われても、これがトルコ料理なんだろ。トルコから見たって、和食のことを説明されても分かんないだろ」

と男が返す。


「確かに。大豆のペーストを溶かしたスープがよく食されます、とか言われても訳分かんないよな」


「味噌汁のことか?」


「そうだけど?しかもそれに大豆のエキスから作ったプルプルのブロックも入れるんだぜ?」


「確かに奇妙だ。しかも大豆のエキスでソースも作るからな」


「生魚に付けるやつな。大豆好きだな、俺ら」


「そんなに食べてる印象無いけどな」

こんな冗談を言っているうちに職場に戻ってきた。

最早トルコ料理のことを話していたのか和食のことを話していたのか分からない。

ただ、男は、


「今度作ってみよう、トルコ料理」

と、頭に思い描いていた。

男の頭の中には、ケバブを中心に先程検索した要素が寄せ集まっているイメージができていた。



その日の夕方、男はもう少しトルコ料理の事を調べながら家路に着いていた。

ケバブに使われる肉は一晩から一日スパイスや調味料に漬け込むらしい。

また、先程調べたサルチャは日本での味噌的な立ち位置で、トマトを発酵させて作るペーストらしい。

トマトを天日干しして発酵を促すのだそうだ。


「漬け込むのは良いが、発酵かぁ」

トルコの気候だからできることだろう。高温多湿の日本でやっても上手くできるか不安ではある。

だが、この男は、


「まあ、とりあえずやってみるか」

そう、料理に関しては割と狂っている。



そのまま近所のスーパーに入っていく。

入り口目の前の野菜からトマトと玉ねぎ、そしてニンニクを一袋ずつ。スパイス棚に移動し、クミンとナツメグもカゴに入れる。無糖のヨーグルトも手に取る。パンの棚からバゲットも手に取った。

そしてラム肉。他のスーパーにはあまり無いが、男はこのスーパーなら、と精肉コーナーに向かう。


「あった…」

焼肉用だが、ラム肉が売られている。

1消費者としては品揃えの広さを嬉しく感じるが、普通のスーパーになぜラム肉まであるのか。

男は不思議に思いつつも、まぁ良いか、とレジに向かう。


「いらっしゃいませぇ」

レジには以前もいた気怠げなアルバイトの女性がいた。木曜はこの女性のシフトなのだろうか。

少しのんびりとしたレジ打ちで対応する。

男も特に声をかけることはせず、静かに会計を済まして、家路についた。



家に着いて、早速翌日に向けた仕込みに掛かる。

【ケバブ仕込み】

・ラム肉

・玉ねぎ

・ニンニク

・クミン

・ナツメグ

・タイム

・オレガノ

・塩


男は今日食べたケバブサンドを思い出しながら袋の中に食材を入れるようだ。


先に密閉できる袋の中にラム肉を400g入れる。

明らかに感じたのはクミンのカレーっぽさとニンニクの匂いだ。そのためクミンはそのまま大さじ1、ニンニクは3かけをすりおろして入れる。

それに甘い匂いと味、ナツメグと玉ねぎだ。ナツメグは大さじ1、玉ねぎは1個をすりおろして入れる。

それに肉の食い気を増すような香り、タイムかオレガノだ。男は両方大さじ1ずつ入れる。

そして塩を大さじ2入れて袋を閉じ、全体を混ぜるようにしっかり揉んで冷蔵庫に放り込む。このまま1日漬け込む。



翌朝、男はもう一つの仕込みにかかった。

【トマトソース仕込み】

・トマト


要は調べたとおりに天日干しするだけだ。

男はトマト4つををザク切りにして、洗って清潔にした皿に乗せた。

南向きの窓際に台を置いて、皿と裏返したザルを乗せる。

これにより、天日干しとしようという考えだ。

なお、男は自分が作るものがサルチャと呼べるのか自身が無く、トマトソースと呼ぶことにした。



更にこの日の夕方、男は仕事帰りに酒屋に寄った。

ケバブに合わせる酒を探すためだ。

カランッとドアベルが鳴る。


「お、おぉ、いらっしゃい」

店主はちょうど先代と雑談をしていたようだ。入ってきたこの男を見て一瞬戸惑う。

男はその戸惑い方を不思議に感じたが、特に気に掛けることも無く要件を言う。


「どうも、今日トルコ料理をアテにして飲むつもりなんですが、何か合わせられる酒ありますかね?」


「あぁ、ちょっと待ってな…トルコね…これとかどうだい?トルコの酒でね、ラクって言うんだよ」

店主が未だに戸惑いながらも、酒を見繕う。

一体何種類の酒を仕入れているのだろうか、男もトルコ原産の酒が出てくるとは思ってなかった。


「アニスが効いている蒸留酒でね、冷たい水割りや氷割りがお勧めだね」

店主が続ける。


「へぇ、ならこれお願いします」

男は勧められるままラクを購入する。


「ありがとうございます。飲む時、ちょっと面白いよ」

と店主が言う。


「ほう、後のお楽しみですか…分かりました。こちらこそ、いつもありがとうございます」

と男が返す。


「あぁ、いつも…ね、いつも…」

他愛もない男の返事に店主はまた戸惑う。

男は不思議に感じつつもそのまま家路についた。

男が去った後、二人の様子を見ていた先代店主が一言。


「お前も分かりやすいやつだな」


「うるせいやい」

店主が返す。


「いや、別に良いんだけどよ」

先代はニヤニヤしながら言う。



一方男は家に着いて、台所に食材を並べていた。

・漬け込んでいたラム肉

・天日干ししたトマト

・ヨーグルト

・バゲット

・塩

・レモン汁

・バター


「よっしゃ、作るぞ、創作トルコ料理」

男は息巻く。

後日男は知ることになるのだが、この日作る料理は言うほど創作でもなく、イスケンデル・ケバブという名前で既に似たようなものがある。そんなことを知る由もない男はそのまま作り始める。


男の考えは、要はラム肉、トマト、ヨーグルト、バゲットとそれぞれ別々に調理して最後にバターと共に皿に盛り付けるというものだ。

ちなみに男は今回もソース類は多めに作っている。


まず、トマトソース。

ザク切りにして天日干ししたトマトを鍋に入れて塩を1つまみ振り、ハンドブレンダーで潰してドロドロにする。

そのまま鍋に入れて弱火で煮込む。かなり水分を飛ばす必要があるので1時間半程かかるだろう。


次に、ヨーグルト。

トルコのヨーグルトは濃厚で固い。そのため水分を抜く必要がある。また、塩や酸味を加えてソースにしたりするので、今回男もそれに倣う。

まずは受け皿、ザル、キッチンペーパーと重ねてその上にヨーグルトを広げる。そのままトマトソースが出来上がるまで冷蔵庫に入れておく。


その間、時間調整のために他の家事を済ませてからラム肉を焼く。一緒に漬け込んだものが少しだけ肉表面に残るようにザックリと落とす。

その肉をグリルに入れて弱火で焼く。フライパンじゃない理由は余分な油を落とすためだ。ケバブ屋では大きな串に刺された肉が回転しながら炙られており、余分な油が下へと滴るようになっていた。家庭で同じように焼くにはグリルが良いだろう。

そのまま15分放置。


そしてバゲットもオーブンレンジで焼いておく。

厚すぎず、薄すぎず、でバゲットを切り、オーブンレンジに入れて焼き上がるまで放置。


後は仕上げだけだ。

他の材料が仕上がる位の時間で水切りしていたヨーグルトを取り出し、塩と市販のレモン汁を小さじ1ずつ混ぜる。

それぞれ仕込んでいたものの火を止め、皿の中央にケバブ、端にトマトソース、反対側の端にヨーグルトソース、空いたスペースにバター、別小皿に焼いたバゲットを盛り付ける。これで完成だ。


氷を詰めたグラス、そしてラクと共に料理を食卓に並べる。

男は早速ラクをグラスに注いだ。


「うお!?なんだ、これ?」

男は驚いた。

透明なラクが氷に触れた途端白く濁ったのである。

「店主が言ってたのはこれか…」

男は、驚きつつも納得し、そのまま一口飲んでみた。


「んぐ…ん、結構強烈な酒だな」

蒸留酒なだけあって度数は高い。

だが、アニスの特徴的な香りが口の中に広がるため、他の蒸留酒よりもペルノー等の薬草酒に近い風味を持つ。男の好きな味だ。

男は続けてバゲットにバターたっぷりのケバブ、トマトとヨーグルトのソースを乗せて食べる。


「あぐ…むぐ…むぐ…んぐっ…うんまっ」

一日漬け込んでいたラム肉の旨味と香りが口腔と鼻腔いっぱいに広がる。

トマトソースも凄い。煮詰めただけでは辿り着けないほどかなり濃縮されている。そこにバターの旨味とコクも加わり、過剰なまでに旨い。

ここでクドくならないのはヨーグルトのソースもあるからだろう。ヨーグルト自体も水分を抜いたことで強いコクを加えているが、その酸味とまろやかさで全体の味のバランスを整えている。

これは堪らないと男はラクをグイと飲む。


「んぐ…んぐ…あぁー…」

氷が溶けてきて強烈さは鳴りを潜め、まろやかさが出てきた。

このまろやかさがこのケバブにも合う。

口の中に充満していた旨さがラクによって包み込まれながら流れていき、次の一口へと準備をしてくれるのだ。

男は更にケバブを一口食し、ニヤリと笑った。



「トルコ料理も行けるかもな」

食べ終わった男はホロホロに酔いつつそう思った。

男はこれ以降、トルコ料理にハマって何度か作ることになる。

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