第31話 ローストビーフ

「…!?何この酒?」


10月も下旬に差し掛かった木曜日。

男が職場から家に帰ってきたところに、ちょうど届きものがあったようだ。中身は新潟の酒で、男に酒の旨さを教えた友人から届いたようだ。

この友人、前回は3月にも生酛きもと仕込みの酒を送ってきていた。


今回送られた酒は男も好きな山廃やまはい仕込みの酒だが、ラベルデザインが不穏である。

何せ牛の絵が書いてある。酒造のホームページを見ると、…ステーキに合う…と書かれている。

男は友人に対し、「あいつ、イロモノを送ってきやがったな」と感じた。


とはいえせっかく送ってもらった日本酒、楽しまないと勿体ない。男は何をアテにするかと思案する。

ステーキに合う、と書かれているので、ステーキを焼けば良いとも思えるが、男はステーキやハンバーグに関しては不幸、いや、贅沢な立場にあった。


男の実家は洋食屋で牛肉の質にはこだわりがある。上等な肉をステーキやハンバーグで提供し、当然男も何度も食べ、その味が普通だと信じていた。

しかし実際には一般よりもかなり旨いものだったため、社会人となって初めて食べたステーキチェーンの店で悪い意味で愕然とする。

その他、自分で買った牛肉でステーキを焼いたりしたが、それも期待値を下回る。ただ、これは男の焼く技術や設備が、実家の父親よりもレベルが低いことにも起因する。


以来、男は実家以外でステーキやハンバーグをほとんど食べなくなった。自分で作る場合もそうだ。

そのため、自分でも旨く作れる牛肉料理は無いかと思案しているのだ。


男はアイデアを求めて本棚にあるグルメ漫画を読み出す。そして、その中の1ページで手を止めた。

ローストビーフ。男はこれだ、と感じた。

しかしそれは風呂を使って大きな肉にゆっくりと熱を通すというトンデモレシピだ。到底男には真似できない。


しかし、既にローストビーフの口になっている。

男は何か手はないかと考え込む。市販の肉でも旨味を引き出して食べる方法…。と、男は閃いた。

その閃きの赴くまま、男は酒を冷蔵庫に入れ、家を飛び出し、近所のスーパーへと向かう。



スーパーにて、男は精肉コーナーに移動して、牛モモの塊肉もカゴに入れる。

続いてハーブの棚に向かう。乾燥したローズマリー、オレガノ、ローリエとカゴの中に放り込む。

ここで男はハッとした表情で入り口の野菜コーナーへ戻り、ジャガイモをカゴに入れる。

最後に乳製品の棚に向かい、バターと牛乳をカゴに入れた。


レジには珍しく店長が立っている。

「いらっしゃいませ。いつもありがとうございます」


「珍しいですね。レジ打ちなんて」

男が言う。


「店の業務は一通りできるようになっておかないと運営が下手になっちゃいますからね。鈍らないようにたまにやっているんです」

店長はいつものように物腰低く説明しながら素早く会計を済ましていく。

男も、なるほど、と言いつつ、それを邪魔しないように支払いを素早く済ませ、家路に付く。



家に着いて、男は翌日に向けた下拵えを始める。

【ローストビーフ下拵え】

・牛モモ塊肉

・塩

・砂糖

・水

・ローズマリー

・オレガノ

・ローリエ


下拵えと言っても難しいことはしない。

買ってきた肉を塩を中心とした調味液に漬けるだけだ。これをブライニングと言い、漬ける液をブライン液という。

これを行うことで、肉に下味を付けつつ、浸透圧で水分をより多く含ませることができる。


今回は400gの牛モモ肉をそのまま漬ける。

まずブライン液の準備。100mlの水に塩と砂糖を5gずつ混ぜる。

そして乾燥ハーブを入れていく。量など適当だがローズマリーは10振り、オレガノは5振り、ローリエは1枚を液に入れ、ザックリと液を混ぜる。

その液と肉を袋に入れて、空気が残らないように袋を縛れば下拵えは完了だ。後は冷蔵庫に入れて1日待てば良い。



翌日の金曜日夕方、男は職場から真っ直ぐ家に帰ってきた。

ブライニングした肉を常温に戻すために冷蔵庫から出す。これにより、火にかけたときに温度差で中まで熱が通らなくなるのを防げる。

その間、他の家事を済ませる。


その後、食材を並べて料理にかかる。

【ローストビーフ】

・ブライニングした牛モモ肉

・オリーブオイル

・バルサミコ酢

・醤油


【付け合せのマッシュポテト】

・ジャガイモ

・バター

・牛乳


ローストビーフを作る時にネックになるのは火の通りとジューシーさの両立だ。これに気を配らないとパサパサの肉になってしまう。

そこでブライニングだ。余分に加水することで、ある程度水分が飛んでも問題ないという訳だ。

この他、肉の臭みといった点に関しても、ブライン液にハーブを入れることで臭み取りも一緒に行なった。


さて、早速ローストビーフの調理に当たる。

フライパンにオリーブオイルを敷き、強火で熱する。そこに肉を置き、中火にして焼く。厚みのある塊肉なので大体5分といったところだ。そして、ひっくり返しながら各面を1分ずつ焼いていく。

焼けたらアルミホイルで2重に包み、更にタオルでも包んで予熱で中心まで温めていく。そのまま放置。


ローストビーフを焼いたフライパンは洗わずに、ソースを作る。

牛モモを焼いて出てきた肉汁に大さじでバルサミコ酢を1、醤油を2入れて軽く火にかける。フツフツとして香りが出たら完成だ。ソースは別の器に取っておく。


そして、マッシュポテトだ。

大きめのジャガイモ3つを20分茹でて皮をむく。

その後、マッシャーなどを使ってイモを潰すのだが、男はそんな便利なものを持っていないので、木ベラと気合と根性でイモを潰していく。

そこにバター100gと牛乳200mlを入れてハンドブレンダーで混ぜる。

これでマッシュポテトの完成だ。


マッシュポテトが完成するタイミングでローストビーフも中まで熱が通っているので、スライスする。

マッシュポテトとローストビーフを皿に盛り付けて、上からソースをかけて完成だ。


男は冷蔵庫から日本酒を取り出し、猪口とローストビーフと共に食卓に並べる。

早速、日本酒を注ぎ、口に含む。


「んぐ……んん!?」

男は驚いた。

確かに日本酒の味わいだ。だが、かなり濃い。

強い旨口の酒とでも言おうか、とにかく酸味と旨味が強いのに牛乳のようなまろやかさがある。

これは確かにステーキに合う日本酒だ。そして、ややもすると、


「これ、ローストビーフ負けねぇか?」

他の日本酒では考えられないことだが、この酒ではそう感じる。

度数も日本酒にしては高めで味わいも強いことから何かで割っても良いだろう。男は少し思案し、食卓を立って台所に向かった。

持ってきたのは氷が一杯に詰まったロックグラス。

ここに注いで再度飲んでみる。


「んぐ…ふはぁ、やっぱり」

氷によって冷やされ、強い風味が抑えられている。

ローストビーフに合わせるのも問題ないだろう。

男はローストビーフにマッシュポテトをたっぷりと乗せて食べてみた。


「はぐ…むぐ…ジュルっ…むぐ…んぐん…」

肉汁が多く、一瞬口からこぼれそうになる。

思いつきだったが、ブライニングは強ち間違いではなかったようだ。ハーブのおかげで臭みもなく、むしろ食い気のそそる香りを出している。

その肉汁がマッシュポテトのしっとり感とバターのコクと混ざり合い、食欲にスイッチが入る感じだ。

普通ならここに合うのはワインかビールだろう、しかしここに先程のロックの日本酒を流し込む。


「んぐ…んぐ…ほぅ…これは、合うな」

奇妙な組み合わせだ。ソースに醤油を使っているとはいえ、オリーブオイルやバルサミコ酢、付け合せにはバターも使っているため、雰囲気としては完全に洋の肉料理だ。

それがここまで合うのだ。ローストビーフやマッシュポテトの力強い旨さと、それにも負けない旨口の味わいが酒の持つまろやかさで上手くまとまっている。


飲み干した後、男はしてやられた、と感じた。

イロモノと思った酒がこんなにも旨いとは、といった感じだ。

また、アテとの組合せの妙を再度認識させられた。

そう言えばこの間の角打ちの時、店主は出汁巻き卵に合わせられるワインを提供していた。

酒の懐の深さを再度思い知らされた男だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る