第29話 鮭のちゃんちゃん焼き
「…あ〜、良い匂いだなぁ…」
男は鼻をひくつかせながら言った。
10月初めの金曜日夕方、男は職場からの帰路についている。
途中の定食屋の前で男は秋らしい香りを感じた。
「これは…鮭か!秋鮭の季節だもんなぁ」
定食屋から香ってきたのは鮭を焼いた匂いだった。
あの脂を焼いたときの香りは特徴的だ。秋刀魚やホッケと並んで匂いが分かりやすい焼き魚と言えるだろう。
「そうだ、今日の晩酌も秋鮭にしよう。酒は…そうだな、春頃にホイル焼きでウイスキーと合わせたりしたな。今回もそれに倣うか」
短絡的である。しかし、だからこそ旨いだろう。
男は早足でいつものスーパーに向かった。
スーパーに入り、早速鮮魚コーナーに向かう。
秋鮭は無いかと、歩いているとポップと共にお目当てのものを見つけた。
「今が旬!北海道産 秋鮭切り身 石狩鍋やちゃんちゃん焼きに!」
とポップには書かれている。
「ちゃんちゃん焼きか…!それしか無いな」
男は早速鮭以外のちゃんちゃん焼きの材料を揃えに行く。が、野菜コーナーでキャベツを見ながら足を止めた。
「いつも思うが、一人暮らしにこの量は多いよな」
普通スーパーではキャベツは小さくても半分程の大きさにまでしかカットされないだろう。男はそれだと自分一人では多いと言うのだ。
何か良い手は無いかと男はあたりを見回す。
「あ…これで良いじゃん」
手に取ったのはカット済みの炒め野菜ミックスの袋だ。キャベツ、ニンジン、玉ねぎが程よいバランスで入っている。
男は更にその隣のほぐしシメジの袋もカゴに入れ、酒類の棚に向かう。
「ちゃんちゃん焼きにウイスキーだからな…熟成の浅いやつでハイボールにするのが良いな」
そう考えて棚を見回すと、道央沿岸部の蒸溜所のウイスキーがあった。
「同じ地域じゃないけど近いし、これが良いかな」
男はウイスキーの瓶と近くに並べてあった炭酸水を手に取り、レジへ向かう。
先週と打って変わってレジの方は暇そうである。
レジ打ちの女性は遠い目をして立っている。
女性が男に気づいてカゴの中を確認した。
「今日もありがとうございます。鮭美味しい季節ですよね」
と女性が声をかけてくる。
「ええ、全くです。ポップにも書いてあったちゃんちゃん焼きでも作ろうかと思いまして」
男は会話を広げて言葉を返す。あまりにも暇そうな女性に付き合おうと思ったらしい。
「あら、そうなんですか。実はあれ私が書いたんですよ。最近店長がポップにチャレンジしてるんですけど、字が下手でしたので」
ここ最近、ちょくちょくポップを見かけるのは店長の挑戦によるものらしい。
ただ、暇を持て余したアルバイトにそれを取り上げられたようだが。
「そうでしたか。料理の例とか書かれていたので助かりますね」
「ありがとうございます。でも、そうなると私ももっと料理の勉強しなきゃいけませんね」
「始めればすぐ慣れますよ、料理なんて。簡単、とは言いませんけど」
こんな感じで話し込んでいたら別の客がレジの方へと向かってきていた。
二人は慌てて会計を済ませ、次の客が待たないようにした。
そのまま男はどうも、とだけ言って家路についた。
家に着き、男は早速食材を台所に並べる。
・鮭切り身
・炒め野菜ミックス(キャベツ、玉ねぎ、ニンジン)
・ほぐしシメジ
・味噌
・みりん
・砂糖
・料理酒
・バター
ちゃんちゃん焼きとは北海道の漁師飯の一つだ。
鮭などの魚を野菜と一緒に味噌仕立てで炒め焼きして作られる。
名前の由来はいくつかあるが、鉄板で炒めるときの「カチャンカチャン」という音からちゃんちゃん焼きと付いたと言われている。
男の家には鉄板は無いので、今回はフライパンを使って作る。
まず、味噌ダレの準備だ。
もはや分量など測っていないも同然だが、男はおおよそ大さじで、味噌3、みりん1、砂糖1/2、料理酒1を器に入れて混ぜる。
次に食材を炒めていく。
フライパンにバターを敷いて溶かし、鮭を身の方から焼いていく。軽く焼き目が付いたら今度は皮の方を焼く。こちらも焼き目が付いたら、一旦フライパンから取り出す。
引き続き、野菜ミックスとほぐしシメジを袋から出して同じフライパンで炒める。ある程度しんなりしてきたら、先程の味噌ダレを半分入れて野菜全体に絡める。
鮭をフライパンに戻して、身をほぐしながら野菜と共に軽く炒める。残りの味噌ダレも回しかけ、フライパンに蓋をし、弱火で5分ほど待つ。
皿に盛り付けて、完成だ。
ちゃんちゃん焼きとは別に、冷蔵庫からレモンを取り出し、くし切りに切る。
また、アイスペールに見立てた大きいグラスに氷を一杯に詰める。
これらはハイボール用だ。
食卓にちゃんちゃん焼きとウイスキー、レモン、氷、炭酸水とグラスを並べる。
バターと味噌が皿から香ってくる。食欲がそそられる。
男はグラスにハイボールを作り、香りを肴に一口飲む。
「んぐ…んぐ…かぁ〜っ!」
炭酸が強い。どうやら強炭酸を買ったらしい。
ウイスキーは少々樽の香りが強く、熟成も浅いので少し尖った匂いだ。だが、レモンによって角が取れてキレの良さに変わっている。
男はそのままちゃんちゃん焼きを口に運ぶ。
「じゃくっじゃくっ…むぐむぐ…んぐ…あ"〜」
バターで炒められた味噌は何故こんなにも旨いのだろうか、と男は感じた。
野菜の炒める時間を軽めにしたので、その食感が強く、歯に楽しい。
鮭の旨味とバターと味噌が相まってそこそこジャンキーな味付けだ。
これは酒も進むというものだ。
「んぐ…んぐ…んぐ…っくはぁーっ」
ハイボールでジャンキーな風味を喉奥へと流す。これがまた心地よい。
強い炭酸とキレの良さで口の中がリセットされて、次の一口へと準備が出来上がる。
と、その前にハイボールを飲み干したので新たに一杯作ってから、ちゃんちゃん焼きへと手を伸ばす。
飲みながら、男は今日の買い物を振り返る。
そう言えばレジの女性とあんなに話したのははじめてだったかもしれない。彼女はポップを書くためにも料理を練習しなきゃ、と言っていた。もしかしたら、自分がアドバイスしたらその案が店頭にポップとして掲示されるかもしれない。
男は下らないことを考えつつ、またハイボールを一口飲んだ。
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