第24話 トマトの卵炒め
「お、これは立派だ」
男は感心した。
8月も終わろうかという金曜日、男は商店街の八百屋前にいた。
職場からの帰り道、そこそこの寄り道になるが、男はたまにこの商店街に来ている。
男の目の前には、大きく赤く熟したトマトがあり、男はそれを見て立派だ、と評した。
「あぁ、それ美味しそうでしょ。北海道産の大ぶりトマト、この時期から味が濃くなりだして美味しいんだ。どうだい?もう店閉めるし、2つ買ってくれたらもう1つ付けるよ」
と八百屋の親父さんが言ってきた。
大振りなトマトは1つ80円ほどだ。店仕舞の前に捌けさせたいとはいえ3つが160円とは破格である。
「え?良いんですか?ならお願いします」
と男は答える。
「あいよ。あとこっちのキュウリもどうだい?トマトと3個と合わせて、そうだねぇ、4本で400円だ。あと…」
親父さんがどんどん勧めてくる。どうやら良い感じに商品が捌ける先を見つけたと思われたらしい。
男は親父さんの勢いに流されるまま買った。
気付いたら自前の買い物袋が一杯である。
「欲しかったトマトは160円なのに何故俺は1000円も買い物してるんだろう?」
男は買い物袋の中身を見て思った。
トマトの他にキュウリやナス、オクラにパプリカ等がこれでもかと入っている。十分良い買い物と言えるだろう。一人暮らしでなければ。
「こりゃ土日は野菜三昧だな」
男は独りごちつつ、酒屋に向かった。
カランカラン…
酒屋のドアベルを鳴らして男が入る。
酒屋の店主は男の大荷物に目を留めた。
「随分な荷物だね。どうしたんだい?」
店主が聞く。
「そこの八百屋でね。今日は冷やしトマトと洒落込もうかと」
男が答える。
「どう見てもトマト以外のものがほとんどだけど。八百屋の親父さんに買わされたね?仕方のない人だね」
と、店主が男をからかう。
「冷やしトマトってなると、まぁビールだよね。ちょうど入荷したから、これとかどうだい?」
と、店主がビール瓶を持ってくる。
メーカー自体は全国展開しているところだが、瓶のデザインはよく見るものとは異なる。
「北海道産限定品じゃないですか。どうやって入荷したんですか、こんなの?」
男はそのビールを知っていた。
以前北海道に出張した際に、飲んだことがある。
コクが強いのに香りは上品でキレが良い、という日本の市販ビールの中でも高いレベルでバランスの取れた逸品だ。
「そりゃ仕入れ力よ。でも期間限定だけどね」
店主が答える。
仕入れ力などと豪語しているが、偶然入荷できた、と言ったところだろう。
「なるほど。では、そちらのビールでお願いします」
男は、返答し、会計を済ませた。
そのまま家路につく。
家に着き、男は冷蔵庫にビールを入れた。
鍋に氷水を張って、トマトのヘタを取り、鍋の中で冷やす。
そうやって冷やしたトマトをさく切りにして1切れつまむ。
「むぐむぐ…ん…?」
食べた時の違和感が強い。皮が厚くて固いのだ。
夏真っ盛りの時のトマトに比べ、涼しくなってきた時期のトマトは成長がゆっくりで、その分旨味と共に皮もしっかりと張るようになる。
「こりゃ冷やしトマト向きじゃないな」
男はそう感じた。
かと言ってまた買い出しに出るのも億劫だ。
男は、今家にあるものでどうにかならないか、と冷蔵庫を開ける。
だが、買ったものはすぐに使い切るように気をつけている男の冷蔵庫には目立ったものは無い。
唯一、調味料の他に卵が2個あるだけだ。
「この卵、明日が消費期限か…これも使い切らなきゃな」
そう考えた男の頭に、以前中華屋で食べた料理のイメージがふと浮かんできた。
「…そうだ、トマトの卵炒めを作ろう。火も通すから皮の固さも気にならないだろ」
男は決めた。
そうと決まったら早速台所に材料を並べる。
・トマト
・卵
・ごま油
・塩
男はトマトの卵炒めのレシピを知らないが、以前食べた感じから複雑なものじゃないと考えている。
カンカンに熱したごま油でざく切りしたトマトを炒め、そこに溶き卵を流し込む、と言った手順だと考えている。
まずは炒める前の下準備だ。
トマトをざく切りにする。今回トマトは大ぶりなので先程まで切った1個だけで良い。既に8等分のさく切りになっているものを更に半分に切っていく。
そして卵2個も塩を振って溶いておく。
フライパンに多めにごま油を敷いて強火で熱する。
ごま油の香ばしい匂いがさらにムワッと広がってきたらトマトを投入。この時、確実に油が跳ねて危険なので、一旦弱火にしてからトマトを入れる。
トマトに油を絡ませながら、油跳ねが弱くなったら強火に戻して、溶き卵を流し込む。
フライパンの底にくっつかないように全体をかき混ぜる。
緩めのスクランブルエッグのように卵に火が通ったら、皿に盛り付けて、完成だ。
テーブルにビールとグラスと共に皿を並べる。
まずはビールをグラスに注いで、一杯。
「んぐ…んぐ…くはぁーっ!」
男はこのビールが好きである。
しっかりとしたコクと香りでビール自体の旨さも際立つのだが、キレは良いためどんな料理の邪魔もしない。
引き続き、トマトの卵炒めも食べてみる。
「フーフーっしゃぐ…むぐむぐ…思った通りだ」
皮の固さが気にならず、冷やしトマトと違って美味しく食べられる。
そのトマトの果汁とごま油が混ざってソースのようなものを作り出している。
その香ばしい匂いとトマトの旨味が卵にも染みており、少量の塩しか味付けに使っていないのにとても濃厚だ。
男は更にビールを流し込む。
「んぐ…んぐ…かーっ!」
ホップの上品な香りと苦味が口いっぱいに広がる。
それらと炭酸が一旦口の中をサラリとリセットした後、コクが広がる。
そのコクも、キレの良さのおかげでクドくなく、口の中に重さを残さない。
自然と、男は次の1口へと手を伸ばしていた。
男は暫くビールとトマトの卵炒めの往復を楽しんだ。
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