第6話 大森蛇と長老の木

 「おい、ひょっとして怒ってんのか?」ベイクは足早に先を行くイーナを追いかけた。


 「いえ、別に」イーナの口調か余りにも無機質で、ベイクには何を考えているのかさっぱり分からなかった。


 ただ確実なのは、先を行かせるのは危険、それだけだ。ベイクの中では闇雲に森林を歩いていたわけでは無い。集落を中心に渦を巻くように広がりながらこの森を探索してきた。恐らくその円は半径5キロに達しようとしている。これ程離れていればどんな物に遭遇してもおかしくない。むしろ、今まで余り手掛かりが無かったのが不思議な位だ。


 「待て!止まれ!」


「大丈夫よ。目があるんだから何か出て来たら見えるわよ」


「何が不服なんだ?イビキで寝られなかったのか?」

イーナはぽかーんと口を開けてしまったが、また閉じた。


 「まて!座標が狂う!前を行かせろ!」


「きゃあ!」イーナが硬って動かなくなった。ベイクも背後で立ち止まるが、イーナの後頭部は木々の合間をぬって向こうを見ている様だった。


 「なん...ん?」ベイクは横について、イーナの目線を追った。


 木と灌木の合間に見えたのは、森で不自然な色、青と黄色のビビッドで艶の有る景色。その模様は巨大で細長く螺旋に続いており、螺旋が見えうる限り上から下に続いていた。そしてもっと近づいてみると、それは太い大木に巻きついている何かで、物では無く、息吹を感じるものだった。


 「大森蛇よ」イーナは急いで側の灌木にしゃがみ込んで呟いた。ベイクもゆっくり側に来たが、しゃがみはしなかった。


 「なるほど。でかい蛇だ」


「アオダイショウみたいなのと違って猛毒の酸を口から出すのよ。早く隠れなよ」イーナは横へ促した。


 「こういう奴には出会したことがあるよ。確かゴレランド遠征の時だな。岩場で襲われた。毒の血を吐き付けてくるやつだった」


「いいから!逃げる?」


「逃げる?」ベイクは目に笑窪を溜めながら訊き返した。

 イーナは俯いて舌打ちした。この辺の住民はコイツにだけは遭遇しない様にと気を使う。街に出る時も狩りに出かける時も。目立つから、出会した時は逃げるし、襲われれば命は無い。


 「任せろ」 


「ちょっ...あんた!」

ベイクはブーツをその辺に脱ぎ捨てると、裸足で雑草を踏みつけて、灌木を跨いだ。木々を避けて、その派手で毒々しい模様がよく見えるところまで来た。

 大木のたもとから上を見上げると、その青と黄色の大蛇は、まるで荘厳に長くて自慢の体を優雅に巻きつけている。余裕でしっぽが余り、尾先を弄ぶ様に地面に放り出している。顔はというと、10メートルはあろうかという上空の枝に顎を乗せて、すやすやと目を閉じて寝ているようだ。


 イーナは爪を噛んで見守った。心臓の音で大蛇を起こしてしまうのではないかと思うほどだった。


 「おい!起きろ!」ベイクは叫んだ。

 イーナはベイクは気が触れている、と思うしかなかった。猛毒を持つ大蛇を起こそうとしているのだ。


 「貴様だ、貴様!」ベイクは尚も木の前で仁王立ちだ。


 大森蛇は目を覚ました。細長く使い古した革靴の様な顔の、左右に付く目は井戸の中の様に真っ黒で少しずつ瞳孔が閉じて細い針の様になっていく。焦点が目の前の小さな、自分を起こして挑発してきたベイクに合い始めた。


 ゆっくりと頭が浮かび上がり、木を解く。もたれ掛かる大木の、葉が揺れる音で、どれ程の力で木に巻きついているかが分かった。3回ほど自分の身体を解くと、突然口をかっと開き、グロテスクな口の中を見せた。そして上顎の前歯の奥にある毒腺から、毒の酸を、まるでたんでも吐くかの様にベイクに吹き付けた。


 イーナはどうすればよいか、既に考え出していた。連れは死んだ。村にはサージがいる。帰れない。闇夜に紛れて荷物をまとめに行くか。イーナは走って逃げられる様に中腰になった。


 イーナはベイクが毒で血を吐きながら、体を酸で焼いて死ぬのを見たくは無かった。でも身体が強張って目線すら動かせられなかったのだ。


 その時、酸の飛沫はベイクの30センチ程の空中で、煙を立てて蒸発した。

 イーナがよく見ると、ベイクが白い光を放っているのに気づいた。


 「なに、あれ」よく見るとベイクの足元の雑草が煙を上げて焼け焦げている。それどころか地面の砂も真っ黒に変色し始めていた。そして、ここまで伝わる熱い空気。ベイクは白く輝きながら、とてつもない熱を発し始めていた。


 「あれが、神聖術」 


ベイクはゆっくり、呆気に取られる大森蛇に近付く。気を取り直した大蛇が首を伸ばして噛み付きにかかる。しかし、寸前、2メートル先の空中で顔を止めた。暑すぎて、これに噛みつくのは無理だと判断したのだ。


 ベイクは火より高温を発していた。地面に真っ黒い足跡を付けながら木に近づくと、大蛇の下の方の胴体を手で掴んだ。


 肉が生々しい音をたてて、鼻をつねりたくなる臭気を放って焼けた。蛇は驚いて、痛みに悶え、声にならない空気を口から出した。木から体を解き始め、急いで逃げようとした。だが遅かった。蛇は知覚していなかったが、ベイクが掴んだ身体から下は焼けちぎれて感覚が無くなっていたのだ。大森蛇は必死で足りない体をうねって灌木の中へねじ込んで、どこかへ去っていった。


 「逃げたわよ。大丈夫かしら」イーナが出て来た。

 「多分、じきに死ぬよ。焼き切れているから血液の流れがおかしくなっているだろう」ベイクの身体が少しずつ元に戻る。急激に身体の温度が下がったので、身体中から水蒸気の煙みたいなものが上がった。

 「あれも神聖術なの?」

「そうだ。普通の術は火を使うが、神聖術は熱を操る。太陽の熱を借りるのだ」

「ふーん」あまり長い説明が聞きたくなかったので、イーナは木のそばに近づいた。「立派な木ね。見た事ない種類だわ」

「ここいらで1番デカそうだぞ。見た事ないのか?」

「この辺はさっきのやつが出るからみんな避けてるかも」


そう2人が話していると、木のたもとの地面が盛り上がり、30センチほど裂けて土がめくれた。中から尖った4本の鉤の様なものが2対、とても小さい手みたいだった、その合間から、目がしょぼくれて情けない顔つきのもぐらが出てきて、キョロキョロした。

 

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