07.大獅子のはやとちり

 中央広場は静まりかえった。

 小隊長が任命式で部下に決闘を挑むなんて前代未聞の展開で、観客たちは固唾を飲んで見守っている。


「ウチは最も危険な任務に出る部隊です。お互いの命を預けることだってあります。ですので、己が認められない部下を加えるわけにはいかないッス!」

「なるほど、確かに君はまだ彼女の戦いを見たことがなかったね。……グレアム卿、お前はどうしたい?」


「望むところです。必ずや第一騎士団に足る実力だと証明して見せましょう」


 アンジェリカは逃げるつもりなど毛頭ない。

 相手のお望み通り、剣を鞘から引き抜く。相まみえる獅子の精悍な顔を正面から見据えた。


 詰所にいた時から彼の気持ちを感じ取っており、自分は歓迎されていないのはわかっていた。

 よろしくの一言もなく、ただ配属された事だけを淡々と伝えてきた時の彼の瞳には微かな敵意さえ感じ取れたのだ。


 わかったものの、悲観はしていなかった。これまでにも配属先で疎まれたことはあったため、気に留めてはいない。


(デーゼナー卿は剣を交える機会をくれた。歩み寄ることはできるかもしれない)


 正面から挑まれたこの戦いを受け止めて、相手に自分の力を証明したい。そう心に決めたアンジェリカの瞳に強い光が宿った。


「それでは、開演といこうか!」


 ギルベルトの合図とともに、アンジェリカとヴォルフガングは向き合った。


 ヴォルフガングは始まるや否や、スッと人差し指を天に向ける。それに合わせて、人だかりから掛け声が湧き起こった。


「燃・え・よ!」「燃・え・よ!」「燃・え・よ!」 「燃・え・よ!」「燃・え・よ!」――


 彼の戦いではお決まりの演出。


 熱血漢ヴォルフガング・デーゼナー。

 戦闘開始直後から場の空気を再骨頂まで盛り上げて自分のペースに相手を引き込む。

 討伐中はどうしているかというと、部下たちに言ってもらっている。


 彼は目を閉じてその声を聞き入った。剣を構え、目蓋を開ける。緑色の瞳はギラリと光っている。


「情熱を司る炎よ! 我はこの戦いを制する者! 爆ぜる力を我に与えよ!」


 詠唱に呼応して炎が湧き起こり、彼を覆った。その姿はまるで炎を身に纏う大獅子。


「覚悟っ!」


 一気に距離を詰められ、アンジェリカは重い一撃を受け止めた。


(さすがは第一騎士団の小隊長。今までの相手とは力が違う……!)


 歯を食いしばって流し、間合いをとる。息を整えて、ひと思いに斬りかかった。キンッと刃が交わる音が何度も響く。


「いいぞ大獅子! 優男のグレアム卿を叩き潰せ!」

「ヴォルフガングさま〜っ! もっと燃・え・て〜!!」

「アンジェリカさまっ! 捻じ伏せて差し上げてくださいませっ!」


 繰り広げられる熱戦。声援も野次も、次々と飛び交う。

 ”愛を囁かれたい騎士番付”の2位と3位の夢の共演だ。その盛り上がりようは尋常じゃない。

 令嬢たちの声が特に大きく響く。


 ヴォルフガングはアンジェリカが繰り出す火炎魔法を、剣を振って掻き消した。


「ハッ、火力が弱いぞ!」


 嘲笑って斬りかかる。


(見たことねぇ火炎魔法を使っていたと聞いたが、これしきならまだまだ認められねぇな)


 そう、簡単に認めるわけにはいかないのだ。

 彼は使命感に駆られていた。団長の為には自分が汚れ役を買って出ないといけない、と。目の前の騎士を負かせて、第二騎士団に戻そうとしていた。


 かねてからアンジェリカの評判は耳にしていたが、討伐前に聞いたギルベルトの"所有欲"宣言が引っかかり、この昇進は恋のせいで盲目になった彼が気の迷いで進めたのではないのかと疑っている。


 しかも、自分に黎明小隊への配属を打診してきたときは、任務の制限を解除するという特例を掛け合ってきた。

 この調子ではいつか国民に落ち目を感じさせてしまうのではと危惧している。


(グレアム嬢には悪いが団長のためだ。国民に判断力を疑われるようなことになる前に俺がなんとかしねぇと……!)


 ギルベルトは、出会った頃から憧れの存在。


 彼の故郷で、魔物のスタンピードで混乱した街の中、返り血に濡れながらも剣を奮っていたその勇姿を片時も忘れたことはない。


 その当時、傭兵として戦っていたヴォルフガングは、どれだけ斬り捨てても沸いては押し寄せる魔物に苦戦を強いられていた。

 家族も、馴染みの酒場の店主も、そして仲間たちも無惨に殺されていくのを目の当たりにして絶望の淵に立たされていた。


 もう剣も握れず、何もかも投げ出してしまいたくなり動けなくなっていたその時、ギルベルトが彼を蹴り倒した。

 地面に手をついて顔を上げれば、ヴォルフガングに飛びつこうとしていた魔物を斬り捨てているところだった。


『立て! お前はその剣に誓ったはずだ! 剣を握る者として、死してもその志を手放すな!』


 その声は暗闇に差した一筋の光だった。


 自分は、あの時、団長に命と心を救われた。その恩は一生涯かけて返すつもりだ。今度は、自分が彼を守る。


 ヴォルフガングは剣を振り下ろす。受け止めるのはドラゴンをも魅了する美形の騎士。 

 押されているのを耐えているはずなのに、その表情は涼しい。


(フン、第二騎士団の中ではそれなりに力があるようだな。しかし、耐えるだけでは何も守れまい)


 ぶつかり合う剣の先にいる彼女を挑発する。


「なんだ? 受け身になって、もう終わりか?」

「いいえ、むしろこれからです」


 アンジェリカは押し返して間合いを取る。息を吐いて、心の中の炎に意識を集中させた。


 暗闇の中で炎が、ユラリと揺れる。


(私はデーゼナー卿との戦いに勝つ。ルカのことも、高難易度の任務でこの国を守ることも、一度決めたことを諦めるつもりはない……!)


「我が力を成すべき正義のために捧ぐ。炎よ、我の誓いに応えて舞え!」


 さっと、赤い炎が彼女の周りを取り囲む。炎は瞬く間に緑色に、そして青色に変わって揺れる。


(よしっ、成功した)


 アンジェリカは思わず微笑みを溢す。


 ラオホルの森で偶然にもこの青い炎を呼び起こして以来、必然的に使えるよう特訓していたが、イチかバチかの当てにはできない魔法だった。


「なっ、なんなんだこの炎は?!」


 ヴォルフガングは瞠目した。彼だけではない。観衆たちも驚きのあまり言葉を失う。

 青い炎を操る者など、これまで誰も見たことがなかった。襲い掛かってくる炎を剣で振り払うが、簡単には消えてくれない。


 冷たい色の炎は想像以上に熱く、汗が頬を伝う。


(……どうやら、実力があるのは確からしいな。面白い。久しぶりに追い詰められてしまっている)


 驚いたものの、怯みはしない。ヴォルフガングは自らの炎を走らせて青色の炎にぶつける。青い炎は瞬く間に大獅子の爆ぜるような炎を飲み込んでいった。


(もらった!)


 炎に手こずるヴォルフガングを見たアンジェリカは正面から斬りかかる。受け止めてくる剣を流して彼の後ろに回り、背を取ろうと素早く体勢を整えたが――


 振り向いたその刹那、目と鼻の先に、白い刃が突きつけられた。


「……っ」

「勝負あったな」


 そう言い放ったヴォルフガングは、肩で息をしている。剣を下ろすと彼女に手を差し出し、精悍な顔を崩して微笑みを向けた。その瞳にはもう、敵意の色はなかった。


「正直、ギリギリで焦った。お前の力は我が部隊に必要だ」

「そう仰っていただけて光栄です。これからよろしくお願いいたします」

「おう。頼むぜ」


 アンジェリカは手が取って立ち上がると、大きな歓声が彼らを包む。

 金糸雀たちは感激のあまりハンカチで目尻を拭っていた。


「お前に負けないように鍛錬に精を出さなきゃいけないな」

「デーゼナー卿を追い越すつもりですので覚悟してください」

「ふっ、小気味良い。お前との任務が楽しみだ」


「2人とも、実に素晴らしい戦いだったよ」


 ギルベルトが2人に近づく。


「いやはや、グレアム卿はやはり良い演出を見せてくれたね。初めて君が戦っている姿を見てからというもの、ぜひ我が隊に欲しいと思って私は逸る所有欲が抑えられなかったのだよ!」


「はぁ……?」


 アンジェリカは若干引いている。何を言っているんだ、といった顔で。


「も、もしかして団長が仰っていたグレアム卿への所有欲とは……第一騎士団の騎士としてですか?」


 ヴォルフガングは真っ青になった。ようやく自分の早とちりに気づき、膝から崩れ落ちる。 


「私は最初からそのつもりだが?」

「そ、そうでしたか……自分はてっきり……」


 衝撃のあまり彼は言葉を失ってしまった。燃え尽きた灰のような彼を、部下たちが連れ戻しに来る。

 アンジェリカとギルベルトは、急にヴォルフガングがへたり込んだ理由がわからず、顔を見合わせた。


「団員たちの固い絆が生まれたところで、改めて任命式を執り行おう!」


 ギルベルトの掛け声を合図に、アンジェリカは再び、第一騎士団の面々に向かい合うようにして立つ。足並みをそろえて姿勢を正し、胸に手を当てた。


「アンジェリカ・グレアム、本日より宮廷第一騎士団黎明小隊の配属を命じる! 汝を待ち受けるは宵闇の深淵。恐れず身を投じ、王国を夜明けへと導く騎士となりたまえ!」


 朗々と述べるギルベルトはアンジェリカの方に顔を向けている。

 さあっと風が吹いて、2人の間を通り過ぎた。


 靡く紫色の髪の合間から見える水色の瞳は鋭い。


「は! この力は王国の平和のために。我が剣は王国の盾、我が剣と忠誠を王国に捧ぐ!」


 アンジェリカは怯むことなく凛とした眼差しで見つめ返した。言い終えると、割れんばかりの拍手と声援が彼女に贈られる。


「きゃ~っ! アンジェリカさまぁ~!!」

「紅い宝石~!」

「頑張れよ~!」


 あちこちから、『紅い宝石』と声が上がる。目を閉じて、その声に耳を澄ませた。


 期待と称賛を込めて呼ばれる名前が心の中に響いていく。


(私は『紅い宝石』か。これはまた随分と綺麗な名前をくれたもんだな)


 剣や属性魔法にちなんだ名前を付けてくれるかもしれないと予想していたため、意外にも美しいものに例えられた名前を貰えて素直に嬉しかった。


 それと同時に、胸がこそばゆくなる。自然と微笑みがこぼれた。

 瞼を開けると、視界にギルベルトが飛び込んできた。彼は目元を綻ばせている。


「?!」


 驚きのあまり瞠目した。氷の微笑を浮かべ、自分を魔物の長の前に蹴り出した男と同じ人物とは思えないような優しい表情だったのだ。


「よし。諸君、景気づけといこうではないか!」


 ギルベルトの掛け声に合わせてアンジェリカが黎明小隊の列に加わった。


「新生・宮廷第一騎士団、ここに誕生する! 我らが剣は王国の盾! いかなるやいばも通さない!」


 ギルベルトが剣を地面に突き立て、口上を声高らかに述べる。


 第一騎士団の騎士たちはそれに合わせて剣を抜き地面に突き立てると、装束の裾をはためかせてその場に跪いた。心地よいほど揃う剣の音や足音に、その場に居合わせた者たちは息を飲む。



「「「「我らが剣は王国の盾! 我らが剣と忠誠を王国に捧ぐ!」」」」



 騎士たちが一斉に口にすれば、割れんばかりの拍手に空気を裂くような歓声が沸き上がる。市民たちは口々に己の贔屓する騎士たちの名前を叫んだ。


 どんちゃん騒ぎだった任命式は、歓声と笑顔に包まれて無事に幕を下ろした。


 大獅子のはやとちりで始まった戦いは、上官と部下の熱い絆を巡る物語としてしばらく王都で話題となり、耳にするたびにヴォルフガングは頭を壁に打ちつけて恥じるのであった。

 

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