05.リリアムの花
野営地では騎士たちが天幕を片付けていた。
ラオホルの森に生息する魔物の全滅を確認した宮廷騎士団は、本日撤収することとなったのだ。
予想外に早い収拾になって団員たちは驚いていた。それと同時に、長を倒したアンジェリカがこの任務の遂行に多大なる貢献をしたと称賛の声が相次ぐ。
すべてギルベルトの目論見通りである。
団員たちはグレアム嬢の活躍劇の陰で、森の奥にあった澱みが密かに浄化されたことを知らない。
アンジェリカが第一騎士団への異動を承諾した噂は瞬く間に広がっていった。この討伐の功労者の話題を、騎士たちは口々に話したのだった。
ファーガスは談笑している騎士たちを横目に、
「こんなところで休んでおったのか」
ローウェンにもたれているアンジェリカに話しかける。
彼女の相棒の
相棒はアンジェリカのことをいたく気に入っており、他の人間は触れさせないのにアンジェリカにはベタベタに甘えてくるのだ。そんなローウェンとの逸話を聞いた令嬢たちは、ドラゴンをも魅了する美貌とアンジェリカを崇めるのであった。
「ああ、なんだか落ち着かなくてな」
「憧れの騎士様は注目の的で大変じゃのう」
仲間たちにあれこれと聞かれていたアンジェリカは、少し休みたくなって相棒の元を訪れていたのであった。幸いにも、今は彼女たち以外は誰もいない。
ファーガスはローウェンのジト目には気にも留めず、自然な動きで彼女の隣に座った。
「お前さんが気になっていた事について話に来た」
「あの光のことですね」
ラオホルの森でも天幕でも、知りたかったが聞けずじまいだった光の事。
彼女はずっと気になっていた。何が起こっているのか、あの光が起きる理由は何なのか、それを知りたいのだ。
ファーガスはアンジェリカの目の前に掌を差し出す。
「グレアム、手を」
「こうですか?」
手を重ねると、アンジェリカの手の甲にまた花の模様が現れる。
「これはリリアムの花を表す印でのう。フィニス語で書かれているような古い文献ではよく見かけるんじゃが、今ではすっかり使われていない印なんじゃ」
リリアムとは女神セレイシアを象徴する花。
白くてベルのような形をしており、女神の加護を求めて装飾具の意匠として使われることが多い。
「その印がどうして私の手に?」
「お前さんがわしの運命の相手だと女神さまが仰っておる」
「……は?」
アンジェリカは驚きのあまり、ポカンと口を開けた。生まれて初めてそんな顔をしたかもしれない。あまりにも呆けた顔を向けられて、ファーガスは口を尖らす。
「もうちっと、ときめいたりしてくれんかのう」
「真面目な顔で冗談を言わないでください。大魔術師様が言うと紛らわしいです」
パッと見はいかにもお堅い職に就いてきた人物といった貫禄があるから余計に冗談が冗談に聞こえなかった。
アンジェリカが手を離そうとすると、引き寄せられる。
「まあまあ、よく見ておれ」
ファーガスは目を閉じて、意識を手の方に集中させる。
「”我は汝の鍵、汝は我の鍵。リリアムの花に誓い分け合った心の片割れを、今汝に返す”」
彼の口から紡がれる言葉に合わせて、アンジェリカの手の甲に現れた花の印が光る。身体の中に不思議な魔力の流れを感じ取った。流れが収まると、掌に違和感を覚えた。手の間に、何かが姿を現したような気がする。
「もう大丈夫じゃ」
手を離してみると、ファーガスの掌にリリアムの花の種があった。クルミの殻のような見た目のその種は半分に分かれており、中身は空だ。
「この印は女神様より使命を与えられた者に刻まれる。古い文献によれば、これまでにも使命を与えられた者にこの印が刻まれ、彼らは闇から平和を守ってきたようじゃ」
しばらくすると光る文様は消えた。手の甲には何も跡が残っていない。アンジェリカはじっと掌を見つめた。
「その印が、どうしてシュレンドルフ卿が触れたら現れたんですか?」
「運命だからじゃな」
「……」
「そんな顔で睨むでない。文献によれば、大きな光の力は闇に気づかれてしまうから2つに分けて女神さまから与えられたとされておる。なんの巡りあわせかわからんが、偶然にもわしとお前さんが持ち合わせていたから触れた時に現れたんじゃろう」
ファーガスの反対側の手がふわりと被せられて、手を包み込まれる。彼の手が触れても、光はもう現れなかった。
そのように触れられることに慣れていなかったアンジェリカは、思わずさっと手をしまう。
「このことは内緒じゃぞ?」
「闇に気づかれないためですね」
「それもあるが、人より違う力を持つ者は自由を失う。お前さんの友人もそうじゃろう」
否定はできなかった。ファーガスの言う通り、ルカは光属性という稀少な魔法が使えるから誘拐されたのだ。
ルカのことを思い出して難しい顔をするアンジェリカに、ファーガスは微笑んで見せた。
「第一騎士団にはわしやハイムゼート団長がいるから心配しなくて良い。しかし、その印を持つお前さんには覚悟してもらわねばならん。いつか魔物たちをすべる存在、魔王との戦いに駆り出されるじゃろう」
「魔王は300年前に眠りについたのでは?」
「闇の力が蓄積されればまたそれを力にして目覚めてしまう。あやつは目覚めると人間に紛れ込むから見つけにくくてな、神殿はずっと追っておるんじゃ」
女神から授けられた力に、魔王の目覚め。アンジェリカにとってはどの話も現実味がなかったが、大魔術師の彼が壮大な嘘をついてくるとは思えない。冗談は言ってくるから紛らわしいが。
(神殿の書庫に行ってみないといけないな)
今の彼女には、何をするのにも情報が足りなさ過ぎた。
「この力の事、何かわかったら教えていただけませんか?」
「もちろんじゃ。お前さんには力になってもらいたいからの」
ファーガスは立ち上がる。彼の目的は果たされたようだ。どこか嬉しそうで、なつっこい顔を見せてくる。
「そうじゃ、わしとしたことが言い忘れたことがあったんじゃ。騎士様、助けてくれてありがとうよ」
彼は手を胸の前に組み合わせて祈る仕草をした。どうやら神官の時の癖が抜けないらしい。アンジェリカは微笑むと、手を胸に当てて騎士式の礼を取る。
「騎士として当然のことをしたまでです」
「その……戦っているお前さんは綺麗だったぞ」
「……は?」
思いがけない言葉に、間の抜けた声を上げてしまった。「綺麗」と口の中で言葉を転がすように呟く。まるで初めて知った言葉の意味を吟味するかの如く。
これまで、剣を握る自分をそう表現する人はいなかった。貴公子として振る舞っているためなおさらだ。
まして相手が男性となれば、剣を握れば疎まれることさえあった。
(綺麗だと、思ってくれる奴もいるもんなんだな)
良くも悪くも、男性と比べられてきた。
比べられるからには、劣らないよう努力してきた。それなのに、身につけた力を批判されるのは腹立たしかった。
しかしファーガスは綺麗だと褒めてくれた。
改めて彼の言葉を頭の中で反芻すると、胸の中に温かい気持ちが広がっていった。
アンジェリカには唇の端を持ち上げた。まるで、込み上げてくる喜びが溢れたかなような微笑みを浮かべる。
批判なんて気にしなくて良い。賞賛してくれる人だって、いるのだから。
そう思った彼女は心が軽くなった。
素敵な言葉を贈ってくれたファーガスに感謝したいのだが――
「シュレンドルフ卿。綺麗って言うのはこう、華やかな魔法であったり優美な舞踊に対して使うのであって、私の場合は美しいか、100歩譲ってカッコいいだと思うんですが?」
「やれやれ、謙虚に見せかけてちゃっかり自画自賛するとは」
口をついて出てきたのは照れ隠しだった。彼の言葉は嬉しいが、それと同時に気恥ずかしくなる。
素直にありがとうと返せないアンジェリカは、コホンと咳をして話をそらした。
「これからよろしくお願いします」
「ああ、末永くよろしく頼むぞ」
(末永くは長すぎないか?)
どうやらこの大魔術師は冗談が好きなようだ、と思ったアンジェリカは彼に親しみを覚えた。
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