04.救護班の天幕にて

 柔らかな光を感じたアンジェリカが目を開けると、ファーガスが気遣わしげに覗き込んでいた。


(救護班の天幕か)


 違う部隊とはいえ、彼は治癒師だ。治療をしてくれたのだろう。アンジェリカは彼に礼を言った。ファーガスは彼女の身体を助け起こす。


 天幕は自分と彼しかいなかった。治癒師たちは負傷した団員を外で治療しているため出払っているらしい。

 騎士団は引き続き森に入り残党狩りをしている。長を倒したが下級の魔物がまだ残っており、統率者が居なくなれば森から出る場合もあるため、掃討しなければならない。


「ずいぶんと勲章をこさえなすったな」

「怪我は騎士につきものですからね」


 そうとは言え、深手を負っていたのは事実。まる1日眠っていたし、今もなお治癒師では治りきらなかった怪我が残っている。彼女を治した治癒師の見立てでは全治2週間だ。


 ちなみに到着早々ギルベルトが治癒師に最初に頼んだのが顔の傷の治療だった。命より先に治せ、と。


 さすがは見目よしを異動の条件とする第一騎士団長。

 顔管理の徹底ぶりにアンジェリカは力が抜けたのであった。


(あの人、たしかに演劇団長の方がお似合いだ)


 こればかりはレオンが日ごろ飛ばしている野次に同意してしまう。

 

「それに、シュレンドルフ卿の祝福のおかげでいつもより力を出せました」

「……わしは治癒魔法をかけたが祝福はしておらん」

「しかし、王都とこの森で手に触れた時に突然光が――「静かに」


 急にファーガスが人差し指を彼女の唇に当てて黙らせる。外で足音がして、ギルベルトが天幕に入ってきた。


「おやおや、元神官殿は存外積極的ではないか」


 ギルベルトはそう茶化しながらアンジェリカの手を取る。その後ろから、第一騎士団専属の治癒師ジュール・ザックスが続いて入ってきた。


 ジュールは露に濡れた薔薇の葉のように美しい緑色の瞳を持ち、絹のような水色の髪を結いあげた美しい女性に見えるが、


「ンまあ。グレアム嬢ってやっぱりイイ顔してるわね。オンナノコだけどうっかり惚れちゃいそうだわ」


 実は男性である。そしてオネエである。


 通り名は『青薔薇の聖母ママ』。


 治療の腕は確かで治療以外の面でも第一騎士団を支える頼もしい存在なのだが、いかんせんトゲトゲしい口調のため棘を持つ薔薇にたとえられている。


「ファーガス殿、私の用意した筋書きから逸れて力を使ったね?」


 アンジェリカの傷が完治したのを確認して、ギルベルトは眉根を寄せた。


「ええ、この力をどうしようが私めの自由でしょう」

「澱みの浄化のための力だ。温存しておいてくれたまえ」


(浄化って……伝説上の魔法のことか?)


 浄化というのは、女神セレイシアを信仰するユヴィビス教で語り継がれている伝説に登場する魔法だ。

 瘴気や魔物たちを生み出す澱みを消し去ることができる唯一の魔法とされ、その力を持つ聖女が世界を闇の力から救ってくれると言い伝えらえている。


「浄化って……伝承でしか聞いたことがありませんが?」

「ああ、その力をシュレンドルフ卿が持っている可能性が高い。魔術師団と神殿が彼を派遣した本当の理由は、その力の検証だ」


 近年、国内各地で瘴気が発生して魔物が増えてきているヘレスツェン。

 深刻な魔物被害に悩まされており、人々は伝説を口にしてその救いを待っているほどである。

 それに便乗してニセ者が現れ、第三騎士団が出動して事態を鎮静化することも多々ある。


「この事は内密にね?」


 内密も何も、あまりにも荒唐無稽な話を他人にできるはずがない。

 困惑するアンジェリカをよそに、ギルベルトは話を続ける。彼はすっかりこの事態を楽しんでいるようだ。


「シュレンドルフ卿はザックス卿では治しきれなかった傷を消してしまったほど光属性の魔力が強いから、治癒師として呼べて助かったよ」

「そうねェ。悔しいけどアタシより上手なのは認めるわ」


 ジュールはこめかみに指をあてる。


「全くもう! あのご隠居は厄介なものを送り込んできたわね。規格外の力なンだからっ!」

「文句は賢者殿と大神官殿に言ってくだされ」


 ファーガスはどうやら魔術師団と神殿の意向で今朝いきなり派遣してきたらしい。ジュールは押しつけられたといわんばかりに迷惑そうな顔をしている。


「まあまあ、この予想外の展開を楽しもうじゃないか!」


 ギルベルトは仰々しく腕を大きく広げる。その身振りはさながら舞台上の光りを一身に浴びる役者のようだ。

 自信に満ち溢れた瞳に、新しい登場人物たちを映す。


(ああ、心躍る……! ようやく夢にまで見た計画が始まるのだ)


 すこぶる機嫌が良かった。彼は常に機嫌が良いのだが、この2人を前にして胸の高鳴りが止まない。

 この2人には良い働きを期待している。長きにわたって温めてきた計画台本にお誂え向きの役者が転がり込んできたのだ。


 2人の邂逅が引き金となり、この国全体を巻き込む壮大な物語が動き出そうとしている。


 最高の役者が揃った。

 込み上げてくる歓びに笑みが漏れる。アンジェリカからすると不敵な笑みが。


「グレアム卿、私の話を聞きたまえ!」

「はっ」


 威勢よく返事をしたが、内心は躊躇われた。


(どうしよう。聞きたくない)


 あの血も涙もない指示をしてきた上官の計画だ。嫌な予感しかしない。

 アンジェリカは生まれて初めて敵前逃亡を所望した。


 その強敵、ヘレスツェン王国宮廷第一騎士団団長ギルベルト・ハイムゼートは、剣の腕前は然ることながら、王国随一の進学校ヘレスツェン王立学園を常に学年一位の成績を保ち、首席で卒業した頭脳を持つ。


 騎士団に入隊後は翌年に第一騎士団に昇進。

 その後22歳の若さで団長に抜擢された。


 華々しい経歴を持つ一方で、宮廷第一騎士団の団長に就いてからは劇団のような演出をするようになったため、老輩たちから後ろ指をさされることもある。

 そう、宮廷第一騎士団が今のような華々しい部隊になったのはギルベルトの団長就任以降のことだ。


 団長になった7年前、当時は国民と騎士団の間に溝があった。


 魔物のスタンピードが起こっている最中に現国王の王位継承に反発する暴動が起こってしまい、生活に苦しんだ国民から王室と騎士団に対する不満が爆発してしまった。

 任務の妨害をされることや、衝突も少なからずあった。


 ギルベルトは王国存続の危機を感じた。

 このままではヘレスツェン王国が内部から崩れてしまう、と憂いた。


 真に国を守るためには、騎士団は国民から愛されて信頼関係を気づかねばならない。

 そう考えた彼は、団長就任を機に第一騎士団の人員を再編成したのだ。



 強く、貴く、華々しく。



 戦うその姿が人々の憧れとなる騎士たちの集団にしよう、と。

 王国の未来を照らし、国民を光の先に牽引する英雄たちが集まる部隊にするのだと誓った。


 急遽集められた当時の人員は、戦い方から立ち振る舞いまで、ギルベルトに徹底的にしごかれたという。


 また、彼ら第一騎士団を彩る裏方に抜擢された宮廷魔導士団は当時から巻き込み被害に遭っている。


 演出用の魔導具の開発を依頼されるのだが、通説では成し得ない無理難題を求められて悲鳴を上げていたようだ。


 依頼をこなすうちに、ギルベルトの奇抜な発案に悩まされたいという多少危ない思考に染まってしまい、現在も日夜身を粉にして開発している。

 彼から魔導具や魔法付与の打診があると、待ってました、もっと苦しめてください、と尻尾があれば振っているほど喜んで話を聞きに来るそうだ。



 次期公爵家の跡継ぎである上に、生きた芸術作品とも謳われる美貌の持ち主、加えて、挙げきれない功績を持つ男。


 カリスマ性があり惹きつけられる者が多い一方で、隙がないため、腹に何か抱えていると恐れている者もいる。


 アンジェリカは後者だ。

 目の前の男の微笑みに嫌な予感がしてならない。


「お前を第一騎士団に異動させる! その容姿、その腕前、ぜひ我が隊で輝かせてほしい!」

「辞退いたします」


 凛とした眼差しを向けてそう言い放たれ、ギルベルトのはその場に崩れ落ちた。

 異動を拒否したアンジェリカの紅い瞳に迷いはない。むしろ強い意志が現れている。


「なぜだ?! 宮廷騎士の花形なのだよ?」


 彼自身、自分が手塩にかけて育ててきた第一騎士団は騎士たちの憧れの部隊だと自負している。

 誰もが夢見る先鋭部隊だ。よもや断れるとは思っていなかった。


「私には果たすべき約束があるのです。そのためには第一騎士団にはいられません」

「”果たすべき約束”……! 実に芳しい言葉だ。聞かせてくれたまえ!」


 悲劇を匂わすその言葉に物語性を感じて食らいついた。その瞳は、ネタを逃すまいとギラリと怪しく光っている。

 

 彼は部下たちの生い立ちを把握することに努めている。

 なぜなら、祭りや地方公演の際に国民たちに紹介する上で良い宣伝材料になるからだ。


 ヘレスツェン王国宮廷演劇団団長ギルベルト・ハイムゼート。

 騎士たちの宣伝部長も務める彼は、役者の管理に抜け目がない。


(嫌な予感がする)


 アンジェリカはたじろぎつつも、光属性の幼馴染を探していることを話し、彼女を助けるためにも第二騎士団に残りたいことを伝えた。


 ルカの手がかりを探すには他の誘拐事件も調査しなければならない。それこそ、蒼玉サファイア級以下の任務への出動が必要になってくる。第一騎士団に所属すれば引き受けるのが難しい等級なのだ。


「なるほどな。では、交渉だ。特別に奴隷商の捜査を許可する。お前の配属先の小隊長に掛け合おう」

「本当ですか?」

「ああ、二言はない。どうだ? それなら問題ないだろう?」


 それなら何も問題はない。むしろ、あまりにも好条件のためアンジェリカは訝しく思う。


(一体そこまでして、どうして私を第一騎士団に呼ぼうとしている?)


 ギルベルトの瞳を見つめる。彼もまた、その瞳を見つめ返した。


(この男の本音を見抜けるのは女神様くらい、か)


 意図はわからないが、第一騎士団への昇進はメリットが多い。強い仲間たちとの任務は良い刺激になるし、将来性もある。

 花形中の花形である小隊長にまで上りつめれば彼女が必要としている爵位や領地を手に入れられるだろう。


 束の間の沈黙を経て、アンジェリカは決意を固めた。


「……わかりました。この力をハイムゼート団長の元で発揮します」

「存分に輝きたまえ。そのための助力は惜しまない」


 ギルベルトは満面の笑みを浮かべる。アンジェリカはもう手に入ったも同然だ。台本がトントン拍子で進んでいて愉快で仕方がないのだ。


「幼い頃の約束を果たすべく騎士団に入った、影のある騎士。いいねぇ~。しかも王女様を誘拐犯から奪還して救った! それに、瘴気が覆う暗闇の森で獰猛な魔物を果敢にも1人で対峙した英雄!」


 両腕で自分を抱きしめ、悦に浸っている。


「うん! すごくいい! その物語性、きっと売れるだろう! いや、私が売り出す!!」


 彼女の過去が気に入ったようで、恍惚とした表情だ。これまで道筋を整え、出演者を集めた彼の大作は順調に滑り出したようだ。


(幕は開けた。あとは動いてもらうのみだ) 


 チラとアンジェリカに視線を遣ると、彼女は思わず身構えた。


 揃えた役者たちがこの国を揺さぶってくれる。

 姿に変えるために。


「期待しているぞ、グレアム卿」


 ギルベルトは彼女の顎を持ち上げると、氷の微笑を贈る。


 アンジェリカは生きた心地がせず、心の中で女神セレイシアに祈った。

 どうかこの鬼畜に人の心を与えてくださいませ、と。


 命がいくつあっても足りない日々が幕を開けるのであった。

 

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