03.一人舞台とその裏側

(あの氷柱つらら野郎、本当に人の心を持っているのか?)


 敵前に蹴り倒されたアンジェリカは心の中で悪態をつきつつ立ち上がる。

 目と鼻の先にいるのは瘴気を纏う巨大な魔物。しかも、今にも襲い掛からんばかりの鼻息だ。


「お前が異動を望もうが望まないが、アレを仕留めないと死ぬぞ」

「そうよ~! 私たちは手を出さないからね~っ!」


「い、いくらなんでも一人じゃ太刀打ちできんぞ!」


 ファーガスがアンジェリカの元に駆け寄ろうとすると、ギルベルトが羽交い絞めして阻止した。


(人でなしめ。私が何の恨みを買ったというんだ?)


 わいわいと野次を飛ばしてくる上級士官の2人は恐らく、よほどのことがない限り手を貸すつもりはないらしい。それか、本当に全く動かないかもしれない。どちらも満面の笑みで見守っており、手に持っていた剣は鞘に収められてしまっていた。敵前にも関わらず完全なる非戦闘態勢である。


 信じられない。それでも騎士なのか、と心の中で非難の言葉が沸き起こる。


 賽は投げられた。こうなった以上、自分がこの魔物の長を倒すしかない。さもなくばこの森にいる仲間たちが危ないし、魔物が森を出てしまえば民に危険が及ぶ。

 己を盾にするしかない。華やかな騎士様方はあてにできそうにないのだから。


 アンジェリカは剣に魔法をかけると鎧を斬りかかった。重い一撃を受けた鎧にひびが入り、魔物は呻き声を上げる。


 続いて目を、と思って構えていたところ、大きな手に投げ飛ばされてしまい、地面に叩きつけられた。

 地面に身体を打ちつけた痛みに身をよじる。魔物は迫ってくるが、身体が重くて思うように動かない。


「屍を拾うくらいはしてやるから喰い尽くされないように最後まで喰らいつけ!」

「いちいち鬼畜過ぎませんか?!」


 ギルベルトの心無い声援に、思わず噛みつくように返してしまう。


「お前さんたち本当に人間か?!」


 羽交い絞めされているファーガスがもがきながら叫ぶ。もっと言ってやってくれ、とアンジェリカは内心思った。


 鬼畜――いや、もはや生き物ですらない。血も涙もない。血が通っているのだとすれば、きっと紫色だ。あの髪の毛と同じ色をしているに違いない。


 身体の周りを光が駆け巡り、痛みが少し軽くなった。光の元を辿ると、ファーガスが手に持っている長い金色の杖から放たれている。どうやら彼の治癒魔法のようだ。


(杖を魔法で隠していたのか?)


 アンジェリカは驚いた。杖は彼の身長よりも背が高く、持ち運ぶにしては大きすぎるほどだ。


「ありがとうございます!」


 礼を言って立ち上がり、魔物の攻撃をかわす。


「炎よ鎖となれ!」


 詠唱に呼応して炎が噴き出し魔物を覆う。魔物は少し怯んだが、すぐに身体を振るわせ炎を断ち切った。魔物が伸ばしてきた影が反撃してくる。


「ノンノンノ~ン! 呪文が野暮ったいぞ~!」

「もっと華麗で美麗な言葉を使うのよっ!」


 他の部隊の上官から、なぜか呪文の文言に指導が入る。


「今それどころじゃありません!」

「呪文は我々のセリフだ! 魅せる言葉が我々を強くする!」


 さすがは華の第一騎士団。さすがはその団長。窮地に陥っていたとしても見栄えへのこだわりが強い。


「呪文で強さが変わるなんて第一騎士団の騎士様だけです!」


 否定しつつも、彼女は必死で呪文を練り上げた。

 ギリギリの状態でも言われた通り呪文の文言を考えるのは、強くなるための投資。騎士一家グレアム家の血と精神が更なる強さを求めて働きかけてきたからである。


「逃げろ!」


 迫りくる魔物を見てファーガスが声を荒げる。


「それはできない!」

 

 アンジェリカは、カッと見開く。煌々と光を孕んでいる瞳。まるで炎が宿ったかのようで、その力強さにファーガスたちは魅せられた。


「私はこの国の剣。たとえこの命を賭したとしても、何者も守れない鉄くずのような剣に成り下がるつもりはない!」

 

 一つ息を吐いて、意識を魔力に集中させる。心の中で煌々と燃える炎に問いかけた。


「――我が力を成すべき正義のために捧ぐ」


 暗闇の中で炎が、ユラリと揺れる。


 彼女の周りを赤い炎が取り囲む。

 その色はみるみるうちに変わり、青色や緑色のへと変わる。金色の光りがちらちらと混ざって揺らめいた。薄暗い森の中。幻想的な炎が魔物や木々を飲み込んでゆく。


「炎よ、我の誓いに応えて舞え!」


 炎は勢いを増して魔物の目に飛びかかった。魔物の断末魔が森中に響く。地面を揺るがすような声だ。炎は容赦なく魔物を焼き尽くし、消えていった。


「水の力よ、雨となり女神の慈愛の如く森を癒せ」


 ギルベルトの詠唱に応じて水魔法が展開される。ざっと雨のように落ちてきた水が木々に燃え移った炎を消した。


 森の中にいくつもの光の筋が差す。長が倒され瘴気が消えたのだ。


「虹……」


 見上げると木々の合間から青空と虹が覗く。


 アンジェリカは安堵したためか、その場から崩れそうになる。剣を地面に突き立てて身体を支えた。


――アンジェリカ、強くなったね。


 どこからともなく声が聞こえてくる。


――ねえ、僕との約束覚えてる?


(ルカの声?)


 どこからともなく、友人の声が聞こえてくる。アンジェリカの記憶の中にある、子どもの声。


 いつも領地で彼女を待っていた泣き虫の幼馴染、ルカの声が聞こえてきたのだ。


(とうとう幻聴が聞こえるほど焦ってしまっているのか)


 今は彼女と同じ大人になっているはずである。いつまでも子どもの声のままではないだろう。


(早く、見つけたい。手がかりでもいいからあの子に近づきたい)


 アンジェリカは目を閉じた。

 瞼の裏には、紅い髪を靡かせる少女の姿が浮かぶ。金色の瞳を細めて楽しそうに笑う姿が。



「素晴らしいっ! 上出来だ!」

「すんごくカッコ良かったわぁ~!」



 感傷に浸っているところ、傍観していた強者たちからの拍手喝采で妨げられる。アンジェリカは思わずジト目で見た。

 小言の1つや2つをお見舞いしたいところだが、思うように口が動かない。息をするので精一杯だ。

 魔法を使い過ぎてしまったため身体を思うように動かせないのだ。


 不意に腕がまわされて身体が浮いた。


 ギルベルトの顔が一気に近づき、アンジェリカは驚きのあまり態勢を崩しそうになる。お姫様抱っこされているのである。

 予想外の事態に口をパクパクとさせて言葉にならない悲鳴を上げるが、第一騎士団の華やかな騎士たちは全く気に留めていない。

 それどころか、彼女が自分たちの部隊に異動になった時の通り名が何になるのかについて、頭上で議論を交わしている。


「ま、待ってくだされ。治療をしないと死んでしまいますぞ」


「大丈夫だ、これくらいの傷なら死にはしない」

「……それは怪我をした本人が言う台詞では?」


 全身を襲う痛みに耐えつつアンジェリカは恨みがましく言い放つ。

 済まないね、と言ってギルベルトは彼女の目を手で覆うと、魔法を使って眠らせてしまった。


 ギルベルトはアンジェリカが眠ったのを確認すると神妙な顔つきになった。一緒に冗談を言っていたコルネリアも、パタリと話すのを止めてしまう。


「我々とはぐれた間に何があったのだね?」

「澱みを見つけた時に魔物に襲われましてのう。どうにか逃げ切れたが動けなくなっていたところをその騎士様が助けてくれたんですわい」


 彼はずっと、ファーガスが目にしてきたものを知りたかったのだが、違う部隊の騎士アンジェリカがいたため話し出せなかった。


 彼らは他の第一騎士団の騎士たちが長を捜している間に澱みを捜していたが、森の中深くまで歩み進めているうちに深い瘴気が突然現れたせいではぐれてしまい、別行動になってしまう。

 その時の瘴気が異常なのはわかっていた。氷の心を持つ男だが、巻き込まれてはぐれたファーガスを心配していた。


「なるほど、澱みは魔のモノにとって大切な力の源だから守るのに必死だったのかもしれないな。体勢を立て直して浄化に当たろう」

「そうしましょう。満身創痍の騎士様を巻き込んでしまってはなりませんからな」


 自分よりも若いのに魔物の長を1人で倒してしまった騎士。

 ギルベルトが命令した時にはよもやできることではないと思っていたが、彼女はやってのけた。

 

「いや、その心配はいらない。グレアム卿にはいずれこの作戦に加わってもらう」

「先ほどの戦いはさしずめ序章ってところね」

 

 どうやら騎士団長と副団長は前々から彼女を彼らの計画に巻き込むつもりでいたらしい。共犯者の顔をしている。2人の表情を見たファーガスはアンジェリカに同情した。


(可哀そうに。この騎士様は厄介なものに囲まれているようじゃのう)


 思わず手を胸の前に組み合わせて祈った。

 今日のような散々な日がこの先も待ち受けている星のもとに生まれてしまったらしい。


(どうかあの影には追われないでいて欲しいがな)


 気がかりなことがあった。先ほどの戦いで、ひときわ禍々しい気配が彼女の横をかすめて行ったことを。


「グレアム卿が長を倒したとき、わずかながらを感じ取りましてな。念のため野営地に戻った時に騎士たちの中に同じ気配がないか調べてみます」 

「よろしく頼む。アレは人の中に紛れ込んでいるからな。早く尻尾を掴んでやりたいものだ」 


 ――魔王。


 遥か昔に女神の使者たちの手によって永い眠りについたはずの存在。

 闇の力を操り魔物を従わせ、人の世に災いを呼ぶその王の目覚めはまだ確証に至っていないが、瘴気の発生や消えない澱みに度重なる魔物の出現は、彼の再来の証拠だと睨んでいる者たちがいる。


 これから始まる魔王との戦いに想いを馳せているギルベルトは上機嫌で、声が弾んでいる。


「貴殿がこちらに加わればも動き出すだろう。の協力に感謝する」

「全ては女神セレイシア様と大神官様のご意向に従ったまででございます」


 ファーガスは淡々と答える。彼がパッと手を離せば、杖はみるみるうちに消えていく。あっという間に、影も形もなくなってしまった。


「魔術師団も神殿も、騎士団と同じ目的を持っております。個々では成せない事態の収束ですが、この結託で必ずやそれも叶いましょう」

「魔王討伐の物語は始まったばかり。これからよろしく頼むぞ」

「こちらこそ」


 彼に対抗するために密かに人が集められ、作戦が立てられてきた。ファーガスはその戦いの切り札として招かれた人物だ。


(ハイムゼート団長の勘が鋭いのか偶然なのかわからんのう。彼が第一騎士団に引き込もうとしている彼女こそが本当の切り札になるじゃろうな)


 彼は眠っている騎士を見つめた。

 きっと彼女が、この魔王討伐物語を大きく動かす存在となっていく。ラオホルの森で手に触れた時にそう確信した。


(せめて今は良い夢を見ていてくれ)


 彼女に向かって人差し指を向けると、指先から淡い光が放たれて彼女の身体を覆った。

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