02.森に潜むは魔物と思惑
翌日、日の出とともに後発の幌馬車組が到着した。点呼をとって任務の最終確認をすると、彼らは森に入った。
魔物討伐では魔法属性ごとに班を作り分かれて進む。火属性のアンジェリカは雷属性のレオンと同じ班になった。
「グレアム、お前は熱中したら休まねぇでバカみたいに戦い続けるんだから加減を覚えろよ!」
「無理するなってことですね。ハイムゼート卿もご武運を祈ります」
「まるで俺がはぐれるのが当たり前のような口調だな。いいか? 魔物を見つけてもアホみたいに斬りかかるんじゃねぇぞ。魔物はお前よりも頭を使って襲ってくるんだからな」
「周りに注意して油断するなってことですね。わかりました」
「あとな、くれぐれも魔法をぶっ放すんじゃ――「もういくぞ、ハイムゼート卿」
レオンは弟分のアンジェリカを気にかけて声をかけてくれるのだが、いつも言い方が素直じゃない。
まだまだ彼女への小言が足りなかったようだが、あまりにも長いため班長に引きずられていった。そんな彼を見て同じ班の仲間たちは苦笑する。
鬱蒼とした森の中。奥に進むにつれて瘴気が強まり、視界が悪く空気が重くなってきた。
「随分と瘴気が濃くなってきましたね」
「ああ、息苦しくなってきたな」
レオンは辺りを漂う瘴気に顔を顰めた。
瘴気は一見すると霧や靄と変わらない見た目だが、近づくと禍々しい気を放っているため、中てられると動けなくなってしまう者もいる。
闇の力が蓄積して生まれる澱みからこの瘴気が発生し、それが魔物を生んでいるのだ。
ふと、アンジェリカたちは道標に木に巻いていた布が見えてきたのに気づいた。奥に進んでいたはずが、どうやら戻ってきてしまったらしい。
地図や太陽の光を確認して再度足を進めるが、今度はすぐにその目印を見つけてしまう。
「――っ! 瘴気が惑わせているのか?!」
「あり得ますね。瘴気はそれ自体が生き物のようだと第一騎士団から報告が上がっていました」
アンジェリカたちは背中合わせに身を寄せ合い、警戒した。幻惑の魔法が発動している時は無暗に歩くのは得策じゃない。動きを止めても景色が動くため、それを見極める必要がある。
眼を凝らして眺めていると微かに、木々が移動している。
風魔法を持つ仲間が旋風を起こして瘴気を掻きわけると、瘴気が1か所に集まり始めた。
「剣を構えろ!」
班長の声に、アンジェリカたちは剣を抜く。
大きな靄の中から、赤く光る瞳が見えた。真っ黒な身体をもつそれは靄から出てくる。まるで大きな影。かつての姿を僅かばかり留めているが、変わり果て異形の生き物となってしまったのがわかる。
ゆらりと立ち塞がるのは狼のような影。
他の生き物とは本質が変わってしまった、厄災の使者。
それが魔物である。
「核を狙え! 魔法は極力使うな!」
「「「「はっ!」」」」
魔力は無尽蔵ではないし回復には時間を要する。そのため長期の討伐となると魔力を温存させながら狩らねばならない。
魔物が牙を剥き出し襲いかかってきたところを班長が剣で食い止める。すかさず他の仲間が横から攻撃を繰り出し、班長から引き剥がした。アンジェリカは魔物の核――目を狙って剣を突き立てる。
断末魔を上げながら、魔物は灰のようになって消えていった。
「キリが無いな」
レオンは舌打ちする。瘴気が濃度を増してゆき、1匹、また1匹と狼の姿をした影が現れるのだ。
次々と襲い掛かってくる魔物を対処している内に、アンジェリカたちの陣形が崩れてしまった。それぞれが相手をしており、元の態勢に戻る余裕がない。
(まずい。見失ってしまった)
トドメの一振りで魔物を灰にしたアンジェリカは辺りを見回した。
辺りには仲間の姿がなく、戦っている内にはぐれてしまったようだ。
耳を澄ませながら森の中を歩いていると、ぐにゃ、と何かを踏んでしまった。足元からうめき声が聞こえてくる。
「人を……踏んだのか?」
足元を見ると、夜空色の装束を着た男を踏んでいた。その袖から見える手は褐色で、頭の方へと視線を動かすと、黒髪が乱れている。
昨日、レナードから逃してくれた魔術師ファーガスだ。
アンジェリカは彼の身体を助け起こした。
彼は傷だらけだが息はしていた。瞼がうっすらと開かれ、緑色の瞳がアンジェリカを捕らえる。
彼目に映るのは、静謐な夜空に浮かぶ月のように輝く白金の髪に、澄み切った宝石のような紅い瞳のアンジェリカ。その姿は、かつて神殿で見た宗教画に描かれた女神の姿を彷彿とさせた。
傷だらけでひどく体力を消耗していた彼は、祈りを聞きつけた女神が来てくれたのかもしれない、と思った。
「……女神様が迎えに来てくれなすったのかね?」
譫言のように呟やかれた言葉を聞いたアンジェリカはポカンとしてしまった。自分を女性に、しかも、女神に見えると言う者など早々いない。
頭の打ちどころが悪かったんじゃないかと思ってしまう。
「お世辞が上手ですね。私は宮廷第二騎士団のアンジェリカ・グレアムです。何があったんですか?」
「ああ、憧れの騎士様か。澱みを捜していたら、ちと魔物に襲われてしまったんじゃ」
ファーガスは呻き声を上げる。傷が痛むようだ。
「野営地で治療しましょう」
アンジェリカは強化魔法を自分にかけると彼を抱えて立ち上がる。背中と足の裏に手を添えて、つまり、お姫様抱っこで。
「まっ、待て!」
「その傷は早く見てもらった方がいいです。それにここは魔物が出てきますのでゆっくりしてられません」
「わ、わしが自分で治療できるから降ろすんじゃ!」
ファーガスはそう言いながら両手で顔を覆う。心なしか耳が赤くなっている。
正直なところ、治癒師であれど怪我人は治療してもらった方が良いと思っていたのだが、懇願するように叫び出したのでしかたがなく下ろしてやった。
アンジェリカが身体を支えたまま見守る中、ファーガスは右手の掌を胸に当てて目を閉じる。掌の辺りから光が滲み出てきて、彼の全身を包んだ。
(詠唱無しで魔法が使える? そんなこと聞いたことないぞ)
この世界では魔法は呪文があってこそ使えるのが通例。彼女は驚きのあまり瞠目した。
みるみるうちに、ファーガスの体中にあった傷が消えてゆく。
「立てますか?」
「ああ」
立ち上がる彼を助けようと伸ばした手に、彼の手が重ねられる。その時、アンジェリカの手が光を帯びる。
「お前さん、やはり――」
ファーガスは言いかけて口をつぐんだ。彼はアンジェリカの背後に視線を走らせ、さっと手を離す。
アンジェリカがつられて振り返ると、第一騎士団長ギルベルトと副団長のコルネリアが近づいてきていた。
真っ白な騎士服を着た2人は、森の中でひときわ存在感を放っている。
「シュレンドルフ卿、ここにいたのだね! 無事で何よりだ!」
どうやら彼らはぐれていたらしい。
ギルベルトに紹介してもらい、アンジェリカはファーガスがここにいる経緯を知った。
光属性の彼は宮廷魔術師団から第一騎士団に治癒師として派遣されているらしい。それも、前師団長と大神官からの強い推薦で決まったのだという。
「ところでグレアム卿、他の第二騎士団の仲間たちはどうした?」
「討伐中にはぐれたので野営地に引き返します」
「なるほど、我々や先ほど会った班と同じだな」
ギルベルトたちは森の中を進むうちにいくつかの班とすれ違った。
他の第二騎士団の団員たちも魔物の長が見せる幻術で散り散りになっているらしい。
第一騎士団の面々はその長を探している最中だという。長を倒してまずは瘴気を取り払った上で澱みの元を探すようだ。
ギルベルトはチラとアンジェリカに目を向ける。
「グレアム卿だけ一人にするわけにはいくまい。我々と一緒に来てもらおう」
「はい」
アンジェリカは刺さるような視線を間近で受けてみじろぎしそうになるのを堪えた。
どんな相手であろうと、弱さを見せてはならない。凛として見つめ返すアンジェリカの瞳を見て、相手は楽しそうに唇の端を持ち上げた。
(ハイムゼート団長は何を考えていらっしゃるのかてんで予想できないな)
彼の視線が外れると胸を撫でおろした。
◇
しばらく森の中を進んでいると、靄が濃くなってきた。
「まずい、長が来るぞ……!」
ファーガスが声を張り上げる。その直後、上空から瘴気が降り注いでくる。禍々しい気配が強まり、アンジェリカたちは剣を構えた。
瘴気の中から現れたのは、巨大な牙を持つ狼の影ような魔物。
その牙は口の中に収まりきっておらず、涎を滴らせている。頭には鎧のようなものをつけており、体は空を覆うほど大きい。
これまでに相手してきた個体とは比べ物にならないほどの差がある。
「これが長か」
ギルベルトは意識を剣に集中させ魔力を込め始めた。
「――お待ちになって」
コルネリアはそう言うと、ほっそりとした美しい指で舐め上げるようにアンジェリカの頬を撫でた。
その妖艶な指に囚われてしまったアンジェリカを、うっとりとした瞳で眺める。
(急に何だ?!)
アンジェリカは驚きのあまり声が出なくなった。
魔物の長を目の前にして、どうして副団長が自分の頬を触ってきたのかわからず混乱している。
あと、ゾワリと鳥肌が立ってる。本能が危険を感じ取っているようだ。
コルネリアは入団とともに第一騎士団に配属となった規格外の実力を持つ。最年少で黄昏小隊の小隊長に就き、功績を上げて副団長になった。
蜂蜜のような色の輝く金色の髪に、静かに輝く銀色の瞳を持つ妖艶な美女。
通り名は『月の歌姫』。闇夜に浮かぶ月のごとく、狙った獲物を逃さず追いかけて捕らえる。
暗闇で彼女の歌声が聞こえたら最後、逃げ場はない。
「前々から思っていたのだけど、彼女とっても素敵じゃない? うちの部隊に欲しいわ」
「うむ、王都の令嬢たちも次にうちに加わるのはグレアム卿と噂しているらしいな」
「ここで彼女に手柄をたててもらえば引き抜きしやすいのではなくて?」
「それもまた一興……いや、それがいい。名案だ!」
第一騎士団の団長と副団長から醸し出される怪しい雰囲気。瘴気に似た禍々しい気配にアンジェリカは身構えた。
(この人たち……魔物の長より怖いんだが)
ギルベルトが手を伸ばしてくる。
形の整った指にぐいと顎を引っ張られ、令嬢や貴婦人たちから国宝と称される美貌の顔が近づく。
彼は屈託のない笑みを見せた。それを目にしたアンジェリカの息が止まる。
ハイムゼート侯爵の氷の微笑。
噂に聞いたことがあり、この表情の意味を知っていた。
心臓が凍っているとしか思えないような、血も涙もない指令を出すことで有名なこの男。血も涙もない指令を出すときは決まってこのように無邪気に笑っているのだと聞く。
王国の平和のために氷のように冷たい意志を貫くその姿が、『氷の大剣』と称される所以。
「グレアム卿。お前がこの討伐作戦の主役になれ」
「あ、あの?」
「お前が欲しいが傍に置くのに理由が要る。後ろで見ていてやるからアレを仕留めてこい」
「私は第二騎士団にいたいのですが?」
「御託は結構」
ギルベルトは彼女の肩を掴むと、くるりと一回転させる。
(人の話を聞けっ!)
ぐわんと視界が回った。
一瞬だけ視界に映ったコルネリアが投げキッスしてきた。次に見えたのはファーガス。すっかり血の気が引いてしまい、顔が真っ青だ。
急かすように背を押されれば、徐々に魔物の長に近づいていく。
前方からも後方からもただならぬ禍々しい闇が伸びてきている気がした。
「しかと華麗な舞を見せてくれたまえ! ワクワクするなぁ!」
弾んだ声が頭の上から降ってくる。まるでこれから始まる戦いが王都の劇場で催される見世物であるかのような口ぶりだ。
「魔物の前で踊ってる暇はありませんが?!」
「ノンノン、ものの例えだよ」
アンジェリカの頭の中には、今までに耳にしてきた、ギルベルト・ハイムゼートたる人物を表すの数々の言葉が浮かび上がってきた。
第一騎士団団長
氷の大剣
公爵家次期跡継ぎ
王女殿下の婚約者
宮廷演劇団長(悪口)
策略家
そして、——鬼畜
「
耳元で囁かれるその一言を最後に、アンジェリカは敵前に蹴り出された。
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