勇者




 シンには騎士が何を言っているのか全くわからなかった。


「人違いじゃないですかね」


 シンは心底真面目に答える。


 自分が勇者だなんてありえない。

 あの場で倒れてしまったから、どこかで介抱されているのだろう。

 そして、同じところに勇者が泊まっていると。

 

「何をおっしゃっているのですか。貴方が勇者様ですよ。今日、神託が降りました」


 騎士はさぞ当たり前のようにそう言う。


 勇者。

 五百年に一度現れるという魔族を統べる魔王を打ち倒すべく現れる人類の希望。

 勇者が現れたということは、魔王も現れたということである。

 魔族は人の数倍強いが倒せないことはない。しかし魔王だけは勇者の持つ聖剣のみでしか倒すことができない。


 シンが知っているのはその程度である。


「勇者様が目を覚ましたというのは本当か? 」


 昼間と同じ服装のビヨルドが慌ただしくシンに向かって駆けてきた。

 軽く肩で息をしている。


「司祭様も到着されたことですし、改めて職業の確認に向かいます」

「えっ…あの…」

 騎士はシンとビヨルドに事務的に告げると、シンの声など気にかけずに歩き出した。


「さあさあ勇者様。行きましょう」


 ビヨルドにされるがまま、シンは見知らぬ廊下を歩き出した。


 階段を降りると、神託を受けた女神像とオーブがあった。


(ここは教会だったのか…)


 シンの不安はひとまず落ち着いた。

 教会にいるということはエギルにも話が行っているはずである。


 シンは再びオーブの前に立った。


「それでは手をかざしてください」


 ビヨルドが聖職者さながらの笑顔でシンに優しく言う。


 シンは恐る恐るオーブに手をかざした。


 オーブが輝きを増す。

 そして――


『勇者』


 半透明の文字が浮かび上がる。


 勇者。ユウシャ。ゆうしゃ。


 シンの頭の中が真っ白になる。


「勇者の誕生じゃ! これは教会本部に報告しなければな。シヴィル侯爵閣下にもだ。急げ! 」


 ビヨルドが興奮気味に叫んだ。


 自分の管轄の教会で勇者が出た。

 これがどれほどのことか。

 勇者誕生の地としてここは聖地になり、教会も領主であるシヴィル家も大いに得をする。


「ゆ…う……しゃ? 」


 シンは今ひとつ状況が読み込めず、放心状態だった。


 昨日まで罪人のような扱いを受けてきたシンが、女神によって勇者に選ばれた。


 そんな都合の良い現実があるのだろうか。


「勇者様が誕生したぞ。これでしばらく俺たちも安泰だな」


 教会所属の騎士たちが口々に言う。


 どうやらあるらしい。

 


 その夜、シンは特に浮かれることなく、早く床についた。



  ◇        ◇



 見慣れない天井。

 侯爵家で働いていた時の癖で、まだ日が昇らないうちにシンは目を覚ました。


(そういえば、昨日勇者になったんだったか)


 シンはぼんやりと昨日の出来事を思い出す。


 おそらくシンの人生において、昨日は最も濃い一日だった。


 初めてきれいな服を着て、同年代の子供を見て、勇者だと告げられる。


 未だに処理が追いついていないことも多くある。


 これから自分はどうなっていくのか。

 シンは本を読んだことがない。

 だから勇者の英雄譚などほとんど知らない。


 ただ唯一知っているのは勇者になるということは、貴族と同等の権限を持つということ。


 シンにとってこの事実は、現実味がないものだった。

 

「僕が侯爵閣下と同じ……」


 信じられない。

 やっぱり夢なんじゃないか。


 シンは雲が燃えるように赤くなっていく空を眺めながら、そんなことを考えていた。


 


  

 




 

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