1-2 罪の無い草が燃える
「本当に異世界なのか。」
目の前に見えた景色は広大な草原に今まで見たことがないほど清らかな川、所々には森林もあり遠くには山脈が連なっている。そして何よりも嬉しい発見は人工物であろう道がある。さらに遠くには城壁らしきものが見えている。それも遠くからでも目視でその大きさがわかるぐらい、おそらくかなり大規模な集落でもある。これで幾分か希望が見えてきた。それが「人」という生き物ではない別の知性を持った生き物かもしれない。それが何であろうと安心感には繋がった。
「っし!」
思わずその場で力強く握りこぶしを突き上げた。どんな出会いになるか分からないがこの世界で生きていくには知性ある者との交流は避けることは出来ないだろう。けどこれはチャンスでもある。上手くいけば衣食住の住が安定する。そうなれば衣食を手にいれるための仕事を探す余裕と安全の確保がとれる。そうと決まれば道を歩きながらあの城壁の町へ向かおう。道を歩けば誰かと出会うはず。
「行くか。」
一言発し、前へと進む。ここから未知の世界が広がっていく。何も知らない所から始まるのは難しいことではあるが、楽しみでもある。この先どんな未来がまっているか、それを自分自身で切り開いていくだけだ。
まずはあの川を渡る手段を考えなければならない。上から見ていくと道は川の向こう側にある。そこまで大きな川ではなさそうだが、何があるかはわからない。だからこそ慎重に行動しなければならない。
「あっ…!」
視界に急に現れたものを見て自分は思わず声を発する。改めて異世界にやってきたのだと再度実感させられる。それは上空を去っていった鳥、前いた世界では決して見ることのできないほど美しい鳥。その体は太陽に照らされて黄金色に輝いている。さらに奥を見るとポニーと同じ大きさの馬、いやあれは馬というには難しい。足が六本ある。
「すげぇ…。」
次第に早歩きになる。
見慣れない動物、植物、全てが新鮮に感じる。
興奮と喜びが思考の全てを埋め尽くす。
これが異世界の出迎えならば。
歓迎しているかのようだ。
──────────!!
その声は自分の興奮を瞬間、恐怖へと変えた。草原の草花が振動で震えるほどの大きな咆哮。声のする方角を振り返ると狼に似た獣が三頭、300メートルほどの距離に立っていた。にしては大きすぎる。人間と同等の大きさに牙が口からはみ出るほどの大きさだった。明らかにこちらを捕捉している。このままではまた。
『死ぬ。』
獣から目を離し、全速力で坂を駆け降りる。
焦りは恐怖を膨脹させる。
恐怖は正しい思考回路を遮断させる。
次第にパニックへと変わる。
パニックは死を呼ぶ。
二十秒ほど走った後に正気を取り戻す。しかしそれは時すでに遅かった。振り返ると疾風の如く獣がこちらへ向かってくる。確実に追いつかれるとわかった瞬間、防衛本能が働いた。必死に逃げる中、ポケットに手を突っ込む。サバイバルナイフを持ち、万が一に備えて刃を見せる。これで戦うには乏しいが有ると無いとでは天と地ほどの差がある。覚悟を決めた時、すでに目の前には川が迫っていた。再度振り返った瞬間、獣が5メートルほどの距離にまで詰めていた。
「来るな!」
────!!
声を荒げながらナイフを見せると獣はひるむ。しかしすぐに聞いたこともない声で威嚇してくる。後ろには川があるが振り返ることが出来ない。全神経が獣へ向く。いつとびかかってきてもおかしくない。ナイフを力強く握ろうとするが体が言うことを聞かない。足は次第に震えていく。呼吸が荒くなり、声を出せずにいる。なぜ、どうしてこうなった。
「誰か。」
微かに発せた言葉は自分にだけ聞こえるような声だった。後ろを見て川が目の前なら覚悟を決める。そう思い、軽く後ろを向く。
水面は波紋で揺れている。
足はまだ水についていない。
何故だ。
「────て。」
自分の声ではない。何か別の声が聞こえた。
声を聴いてすぐ自分の体は横に飛ばされていた。
何が起きた。
「なっ。」
それが視界に入った時、ようやく普通の声が出た。
マントを着た「人」が目の前にいた。
右手には持ち手から両方に刃のある剣、自分たちのいた世界ではダブルセイバーと呼ばれていた武器だ。
「だっ!」
急に地面にたたきつけられ、鈍い声をあげる。それもそうだ、宙に浮いた体が地面に落ちたのだから。
獣はマント姿の人に視線を集める。しかし獣に目をやっている隙にその人は剣を振るう。目の前には火柱が出来上がる。何だこれは、もしかして魔法か。夢でも見ているのだろうか。
───!
火柱を見た獣は一目散に逃げていく。炎が苦手なのだろうか、獣は自分を追いかけていた時と同じように全速力で逃げていた。ともかく助かった。獣の餌になってしまう所だった。
「あの…。」
声を一言かけたがその瞬間、頭の中でいくつもの憶測がよぎる。まず自分の言葉は向こうに通じるものなのだろうか。通じなければどのような対応をすればよいか。ならばジェスチャー。いやこれでも伝わらないものは伝わらない。ましてや相手が良い人ではないかもしれない可能性もある。警戒もなく声をかけたのは間違いだっただろうか。しかしもう声をかけた以上このまま去るわけにはいかない。
「大丈夫。」
低く、落ち着いた女性の声だった。声を聴いた瞬間は体が跳ね上がったが言葉がわかる。それだけでも分かった瞬間、緊張は安堵へと変わる。
「はい、助かりました。」
お礼を言うが立ち上がることが出来ない。先ほどの緊張の糸が切れたせいか、体に力が入らなかった。
「立てる?」
その人がこちらを向いてマントを外す。太陽を背に見えた女性の姿を見ると一瞬時が止まった。
「綺麗だ…。」
あまりの美しさに思わず声に出してしまった。信じられない、まさか『自分の理想を全てそろえた』女性が目の前にいるなんて。
「そう、ありがとう。」
彼女は淡々と答えた。その声で我に返る、自分がとんでもない発言をしてしまったことに。
「あ、ご、ごめんなさい! 突然変な事を言ってしまって。」
「いいわ。」
自分が焦って返答しているにも関わらず女性は顔色も一切変えずに返答する。これが…自分の求めていた理想の女性。彼女は火柱が立っていた場所まで移動し、焦げた草をしゃがみながら見つめていた。
「罪の無い草が燃えるのは悲しいものね。」
焦げた草を手にし、それを見つめながら言う。悲しい顔をしているわけでもなく、ただ落ち着いた顔でそれを見ていた。彼女はいったい何者だ、なんて名前なのだろうか。
「あ、あの。名前は。」
自分が彼女に声をかけると持っていた枯れ草を落とし、立ち上がる。振り返るとただ一言。
「エルジェ・アスタレスク」
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