第1話 理想を前に何語る 1-1 風光絶佳

『ここはどこだ。』


 真っ暗だ。体の感覚というものが全く感じない。声を出そうにも出せない。

さっきまで俺は何をしていたのだろうか。電車に乗ろうとしていたが、女性が線路から落とされて、それを助けようとして。


ようやく気付く。


『死んだのか。』


 となるとここは死後の世界なのだろうか。この真っ暗闇の中、一生ここにいるのだろうか。いや、だとしてもそれ以前の問題だ。死んだはずなのに意識がある、これはどういうことなのだ。それとも死んでも意識はあるものなのだろうか。


『背中に何か…?』


 突如、感覚が出てきた。それは何かわからないが背中になにか当たっている感覚があった。次第に背中から中心に前進に感覚が戻りつつある。今の状態は仰向けで寝ている体勢であることがわかる。ちゃんと手脚の感覚もある。しかし動かすことは出来ない。金縛りか?


『今度は光が。』


 目の前から小さく白い、眩しい光が広がっていく。次第に暗闇を多い尽くすような光が迫ってきた。


『眩しい。』


そう感じた瞬間、体の感覚が完全に戻っていく。目ゆっくりと目を開けていく。


「う…ん…。」


 一番最初に見えた景色は眩しい太陽と雲一つ無い綺麗な青空だ。涼しい風が体全体を包むような感じがする。


『草原…?』


あり得ないと思いつつ目線を横に動かしてみると、太陽に照らされて輝いている緑色の草原が辺り一面に見えた。


「えっ…?」


 紛れもなくこれは現実だ、見事としか言いようのない綺麗な草原の真ん中にいた。何故俺は草原にいるのだろうか、考えが全く追い付かない。自分の記憶が間違っていなければ、一番新しい記憶は電車に轢かれる寸前までだ。普通生きているのであれば病院のベッドに寝ているはず。仮にここが天国という場所なのであれば夢の中にいるような感覚があるはず。だが体に感覚がある。試しによくある方法ではあるが左頬をつねると痛覚がある。まぎれもなく現実だ。

何故草原の中にいるのだろうか。答えは見つからず、同じ思考を繰り返し続ける。立ち上がって深呼吸をし、思考を整える。そこでようやく答えが導けそうになる。


「マジか…。」


 アニメや漫画などを見ていたおかげか答えに気付くことができた。いたって単純で夢のような話ではあるかもしれないが。



「ここは異世界だ。」



 自分自身の答えに驚喜した。むしろこの状況で驚喜しないわけがない。アニメや漫画、ライトノベルが好きな人なら自分も異世界に行けたらなと夢を抱くはず。いままで妄想でしかなかったこの思いが叶った。

だがそれ以上に嬉しいこともある。今生きていることだ。絶対に死んでもおかしくない状況だったはずなのに異世界にいる。生きられることだけでも幸せなことだ。これを誰に感謝すべきなのだろうか。


 足を動かすと地面と草とは別の感覚と音がした。下を向くと轢かれる前まで背負っていた鞄が置いてある。さすがに手持ちで持っていたフィギュアの袋は見当たらないが、ある程度は異世界に荷物も持ち込めたということか。それがわかるだけでもここが異世界だという証拠にもなる。


「あっ…携帯!」


 肌身離さず持っていた携帯の存在に気づき、いつも入れている服のポケットを探ると携帯も入っていた。電源ボタンを押すと電源もあるし充電もある。予想はしていたが圏外であった。


「しかし。」


 安堵した瞬間、別の考えが浮かび上がった。

これからどうすれば良いのだろうか。異世界に転生はしたものの、まずここがどういった場所なのか全くわからない。食料も水もまずここを見渡す限りでは見つからない。生物がいるかどうかもわからないし、どういった生物が存在しているのか、知らない事が何よりも危険だ。そうお父さんにも教えてもらったはずだ。そして何よりも人間はいるのだろうか。いたとして言葉が通じるのか、そして文明はどれ程のものなのか、考えるとキリがない。だが最初にやるべきことは。


「まずは落ち着いて今の状況を整理しなければ。」


 自分に言い聞かせるように声を出す。お父さんと昔キャンプなどで自給自足のやり方については学んだはずだ。趣味とはいえその知恵と経験は約に立つはずだ。


 まずはそのまま異世界転生したということだ。異世界転生物の定番と言えば、転生する前に神様がいて能力を授けてくれたり転生先で何かご都合主義があったりするはず。隠れた能力も他の人に教えてもらうことで気づくことが出来るが今その手段は何もない。俺にもあって欲しいものだけど、そんな悠長なことは考えてられない。転生してそこで息絶えてしまっては最悪だ。もう死にたくはない。

 次にまずこの場が危険ではないかどうか。草原といっても窪みの下側にいるので全体を見渡すことが出来ないのでその先がどのような世界が広がっているのかはわからない。だが裏を返せば外敵がいるのであればこの丘は絶好の遮蔽物となる。計画を立てることが出来る状況であることには間違いない。そうと決まればまず持ち物を確認しなければ。


「お父さんから借りた鞄だ、何か入っていてもおかしくはないだろう。」


 草を押し踏み平らにし、荷物をおいても分かりやすい状態にして中の物を出していく。お父さんから急遽借りていたせいか、自分の荷物とは関係ないものも入っているはず。

 まず手前から出していくと携帯用の充電器コードとバッテリーを見つけた。この世界で役に立つかはわからないが携帯でライトを照らせること出来るので何かと使えるはず。しかし異世界で電気というものが存在しなければ使い捨てとなる。携帯は慎重に使わなければならない。財布もあったがこれも特に役立つものではなさそうだ。しかし小銭は金属として、紙幣は着火剤として利用できそうだ。同じ着火剤として利用出来るものもあった。買い物で手に入れた漫画、ライトノベルの本だ。しかし前の世界の思い出の一つでもある。万が一の時は惜しみなく使っていかなければ。


「よし、これはいいぞ。」


運が良いことにおそらく3日分にはなるカロリーバーの箱が二つ、2リットルの水が一つある。鞄が重かった理由はこれか。そう思いながらさらに奥を探すと塩飴まで出てきた。この鞄、何か緊急の事態が起きた用として用意していたのかもしれない。ある意味ご都合主義の一つというべきか。

 さらに奥を調べてみると懐中電灯や乾電池、折り畳み傘にライター、そして極めつけはツールナイフとサバイバルナイフが入っていた。


「いやこれどう考えても。」


思わず声が出てしまった。いくら急遽大きい鞄を貸してくれたとはいえ、これが入っているなら普通渡さないだろう。前の世界で職質されていたら完全に補導案件だったかもしれない。

しかしこういった状況でのナイフ本当にこれは有りがたい。あると無いとでは天と地ほどの差はある。これはすぐ手元に出せる位置に用意しなければ。


「これぐらいか。」


 荷物を再度整理し直ぐ使いたいものを上にして鞄に入れる。ポケットにサバイバルナイフを入れておけばいつでも使えるはずだ。これだけ用意が出来ていれば一時的ではあるが水、火、食料の確保は出来ている。あとは最優先である安全の確保だ。もしこの世界が人間もいるような世界であれば衣食住の住を探さねばならない。衣は転生する前の世界が冬だったため、温かくできる服はある。今は上着が若干熱いぐらいだが風のおかげで涼しくなる。歩いてみて調節すれば良いことだ。


とりあえず安全を確認しながら移動していく。太陽を背にして歩いていけば眩しいということはないはず。太陽も高い位置にあるので今のうちに全体がどうであるかを確認しておきたい。窪みから一番高い所に向かい、そこでここがどういった土地なのか、どういった世界なのかを見ておかなければ。


「っしゃ、いくか。」


 一歩一歩ゆっくり、回りを気にしつつ上り坂を歩いていく。若干しゃがみ気味で歩けば外敵がいた場合すぐに隠れることが出来るはずだ。窪みから頂上まではそこまで距離はなかった。見通しの良い所まであともう少し。いったいこの先はどのような景色が待っているのだろうか。そして安全となる場所はあるのだろうか。期待と不安を持ちながらその時は来た。


「こいつは…すげぇ…。」


 まるで風光絶佳な地であった。

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