第86話 ボクもやればできるんだよ

「……普通に広いんだな。それに片付いてる」

 一人の部屋としてはそこそこ広い部屋を見回し、山田は呟く。ハニーブラウンを基調とした内装はあたたかい印象を与え、全体的にきれいに片付いている。机の周りは使いやすく整理されており、ベッドの方も丁寧にメイキングされている様子がうかがえる。

「自分の部屋くらいは自分で片付けてるんだ。荷物はそっちに置いといて。よかったら夕ご飯作ろうか? 何か食べたいものとかある?」

「……なんでも」

「そう言うと思ったよ……ありあわせで何か作ってみる」

「……ああ。なんなら俺も」

「スターライトはここで待ってて。嫌な予感しかしないから。春のアレ忘れてないからね! できたら呼ぶから本当にここで待ってて!」

「……」

「そんな顔してもダメだよ!? 本当にここで待っててね、約束ね!」

 不満を訴えるような半目を向けられるが、それを振り払うように神風は扉を閉める。山田はしばし彼が消えていった扉を見つめていたが、やがて小さく息を吐いた。

(……まぁ、あの時はちょっとやりすぎたが)

 客観的に見れば、ちょっとどころではない。

(俺もそれなりに反省してるんだがな。……さて)

 クリーム色のカーペットに恐る恐る腰を下ろし、ブレザーのポケットからスマートフォンを取り出す。着いたら連絡しろ、と両親から言われていた。とりあえずLINEを開き、無料通話をかける。スマートフォンを耳に当てると、二回のコール。先に出たのは女性の声だった。

『あぁスターライト。着いた?』

「着いた。……今、爽馬の部屋にいる」

『おー、そうか。何してるんだ?』

「なんか爽馬が夕食作ってくれるらしいから、待ってる」

 続いて出てきた父の声にはそう返し、本棚に目を向ける。参考書や赤本に混じって青春小説が一冊。何度も読み返された形跡があるペパーミントの背表紙がひどく彼らしくて、山田はふっと目を細める。

『おー、よかったなぁ!』

『好きな人の手料理とか最高じゃない! っていうかやっぱり彼、いい子よねぇ。尽くしてくれるタイプ、いいじゃない。最高の誕生日になりそうね!』

「……ああ」

『誕生日おめでとう、スターライト

『お前も今日で17かぁ、早いもんだな。おめでとう』

「……ありがとう?」

『なんで疑問形なんだよ』

 ツッコミを入れられつつ、目を閉じる山田。誕生日という特別な日を、こんな特別な形で過ごせる幸せ。片手を強く握りしめ、息を吐き出す。

『あ、それはそうとスターライト、『ホワイトマジック』の皆と誕生日動画撮ったから――』

 ――ブツリッ、と音を立てて通話を切り、山田はひどく冷めた目でスマートフォンを見つめる。と、即座にかかってくる電話。番号も見ずに通話を受け、スマートフォンを耳にあてる。

「なんだ、しつこい」

『はは。そう言ってもらえたなら……幸せだな』

「っ!?」

 反射的にスマートフォンを投げ飛ばす。それはカーペットの片隅に落ち、鈍い音を立てて転がった。肩を上下させ、浅い呼吸を繰り返す。電話口から流れ出した声は、蛇が舌なめずりをするような声は――。

「――お前はッ」

『久しぶりだな、スターライト。ずっと連絡できなくて悪かった。今日はスターライトの誕生日だから……抑えきれなくて……どうしても、声を聞きたくて。……どうしたんだ、スターライト? 何で応えてくれないんだ? ……あぁ、久々におれと話せて、嬉しくて声も出ないとか? そうだよなぁ、スターライトが愛してるのは――』

 ――震える指を無理やり伸ばし、通話を切る。冥界のような静けさが部屋を包み、電気がついているはずの部屋がひどく暗く思える。浅い呼吸を必死に繰り返し、何も気取られぬように、心配させないように。

「はぁ、はぁ……っ」

 ――どうして、どうしてお前は、ここまで。



 金属製のドアノブに触れると、鋭い静電気が指を焼いた。胸騒ぎがする。雨が降りそうな空のような、言い知れぬ不安。神風はそれを振り払うように息を吸い、吐き、改めてドアノブを捻った。ガラス瓶を開けるようにドアを開け、そっと声をかける。

「スターライト、ご飯できたよ」

「……っ」

 ゆっくりと振り返った山田、その眼鏡越しの瞳は冬の夜の少女のように震えていて。喉元で言葉が砕け散る感覚と同時、心臓がずきりと針のような鼓動を刻む。鋭い鼓動に追い立てられるように、ただ彼に駆け寄った。細かく震える瞳をじっと見つめ、問う。

「……なにか、あったのかい?」

「いや、なんでもない。……心配するな」

「そう言われても、心配だよ。だって声が震えてるじゃないか……」

「……」

 懇願するような神風の声に、山田は目を伏せる。神風は彼の最愛の人で、そんな彼に何も言わないのは手ひどい裏切りのように思えて。それでも、心配はかけたくない。一度瞬きして、表情を切り替える。

「大丈夫だ。……それより飯、できたんだろ?」

「あぁ、うん。早くしないと冷めちゃうよ、行こうか」



 炊き立ての白米と味噌汁、そして湯気を上げる麻婆豆腐。

「……爽馬、俺が麻婆好きだって知ってたのか?」

「知ってたも何もスターライト、毎日購買の麻婆丼食べてるじゃないか」

「……気付かれてたか」

「いや気付くからね!? ……まぁとりあえず、座ってよ」

 促され、大人しく座る山田。神風邸のダイニングは間接照明が効いて明るく、麻婆春雨の香りが漂う。神風も彼の正面に座り、二人同時に手を合わせた。

「……いただきます」

「いただきますっ」

 箸を手に取り、豆腐を一つ口に運ぶ。購買の麻婆丼と違って舌に直に伝わる熱、火傷しかけて何度か舌の上で豆腐を転がす。丁度いい辛味、挽き肉の旨味、そして青ネギの香り。熱さに耐えながらなんとか飲み込み、口を開く。

「……爽馬お前、料理上手かったんだな」

「えへへ、ボクもやればできるんだよ」

「……ただ、熱い」

「いや出来立てだからね!? そりゃ熱いよ、ちゃんと冷まそう!? ……っていうかスターライト、もしかして猫舌だったりする?」

 とりあえず麦茶を飲み、半目で神風を眺める。彼は何故か嬉しそうな笑顔を浮かべていて、山田はどこか不服そうに口を開いた。

「……何がおかしい」

「いや、なんか、可愛いなぁって思って」

「……可愛い……?」

 何度かその言葉を反芻し……半目のまま首を傾げる山田。諦めて神風の笑顔に視線を向け直し、問う。

「そういえば、親はまだ来ないのか」

「うん、今日は終電で帰るから先に寝ててって。なんだかんだで仕事好きだから。顔合わせは明日になるんじゃないかな」

「そうか。わかった。……ん、美味い」

 聞いておいて薄い反応だけれど、それでこそ神風の好きな人で。陽だまりのような笑顔を浮かべ、神風も自分の茶碗を手に取った。

「……よかった。喜んでくれて」

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