第82話 本物の馬鹿じゃん

「講習終わったぁあ!!」

「元気だねクレア」

「そりゃそーだよ! これから遊びに行くんだぜ、疲れてる暇なんてないだろ?」

「それはそうだけどさ」

 鶴天の校門を出るなり、赤髪を揺らして大きく伸びをするクラレンス。と、紺色のダウンジャケットに包まれた身体がぶるりと身震いする。

「さっむ……つーかつくづく思うんだけどさ、日本ってイギリスより寒くね?」

「そりゃそうだよ。温暖湿潤気候とか季節風とか、小学校で習わなかった?」

「習ったけど、理屈と体感は別だろ。マフラーくらいしてくりゃよかったかな……」

「それ毎日言ってるよね。馬鹿じゃん。学習能力ゼロなの?」

 グレーのダッフルコートとマフラーから顔を上げ、言い放つ御門。呆れたように息を吐き、サブバッグに手を入れた。黒いネックウォーマーを取り出し、投げ渡す。子供のように素直にそれを受け取るクラレンスに、意地悪な上司のような笑みを浮かべた。

「だろうと思って持ってきてあげたよ。感謝してよね」

「おう、Thank you!」

 屈託なく笑うクラレンスに、つられて御門も笑みを零す。黒いネックウォーマーを首に回し、クラレンスは顔を上げた。

「どう? 似合う!?」

「似合うも何も、それ購買で売ってたやつなんだけど。似合わない理由なくない?」

「……なんか褒められてる気がしないんだけど……」

「そりゃそうだよ、褒めてないし。ほら、信号変わったよ」

「あぁっ、待てよ!」

 コートのポケットに手を突っ込んだまま、歩き出す。どこまでも不遜なその横顔を追い、クラレンスは屈託のない笑顔で駆けだした。



「着いたー!」

 秋葉原駅の改札を出て、キラキラと輝く瞳で周囲を見回すクラレンス。呆れたような視線が横から彼に浴びせられるけれど、クラレンスは特に気にせず歩き出す。小さく息を吐き、御門はポケットに手を突っ込んだまま、そんな彼に合わせて歩き出した。

「で、どこ行くの? アニメイト?」

「あー、そっちも行きたいけどさ、先に秋月とか千石とか」

「なにそれ」

「電子部品店」

 何気なく吐かれた言葉に、思わずずっこける御門。教材が入った重い鞄はコインロッカーに放り込んできたおかげで身軽だが、なんというか一周回って逆に胸が重い。

「……クレアそういうのにも興味あったの?」

「イギリスじゃしょっちゅう無線とかで遊んでたけど……もしかして忘れてた?」

「……覚えてない」

「きょ、興味なかったんだな……まぁいいや! さーて行こうぜ! えーっと……どっちだっけ? グーグル先生」

 あっさりと話を切り上げ、スマートフォン片手に歩き出すクラレンス。その後ろ姿を眺め、御門はどこか痛みをこらえるように俯くのだった。



「やー、やっぱ良いな。quality……えーっと何て言うんだっけ? 品質?」

「……」

「……どーしたんだタツヤ? 元気ねーじゃん」

 ふと振り返り、クラレンスは御門の額に手を当てた。数秒そのまま沈黙し、手を放す。しかし御門の顔色はどこか悪く、何か気がかりでもあるかのように。

「んー……熱はねえな」

「そういうことじゃなくてさ……」

 小さく息を吐き、御門はクラレンスを至近距離から指さした。黒い手袋に包まれた指先がクラレンスの額を弾く。

「あいたっ」

「……なんだかんだで僕、クレアのことそんなに知らないなーって思ってさ。クレアが喋ってること、半分もわかんないし……」

 その表情は親の帰りを待つ子供のようで、クラレンスは一度口を噤む。御門は小さく肩をすくめ、歩き出した。律儀についてくるクラレンスに、手首の傷のような言葉を吐き散らす。

「っていうか、知ろうとしてこなかったっていうか? クレアは僕にいろんな話してくれたけど、その半分も真面目に聞いてなかった。聞こうとしなかった」

「……」

「そのくせ自分の都合ばっかり押し付けてさ……馬鹿じゃん」

「……ほんとにな!」

 後ろから投げかけられた声に、御門はハッとして振り返った。立ち止まったクラレンスは腕を組んで仁王立ちしていて、その青い瞳はどこか不貞腐れているようで。呆然とそれを見つめる御門、その揺れる瞳を真っ直ぐに見つめ、クラレンスはその頬を両側から掴んだ。

「本当にタツヤって奴は! オレの話半分も聞いてくれないし、そのくせ大事なシーンではオレのことガンスルーするし! 修学旅行でオレ抜きで重要なこと進めてたっぽいこと忘れてねーからな! お前じゃなかったらキレてたぞ! アニメイト行こうぜ!」

「あぁ……うん」

 大股で歩き出すクラレンスの後を追い、御門は一歩を踏み出す……けれど、ふと足を止めた。不思議そうに振り返るクラレンスから一度視線を逸らし、ふっと微笑む。だけど、その笑顔が偽物だなんて、御門自身が一番わかっていて。



「……はぁ」

「やー、大漁! やっぱ大きいアニメイトだと違うなー……って、マジでタツヤどうしたんだよ?」

「……別に」

 秋葉原駅の前には、大きな袋を両手に抱えた赤髪と、その隣で浮かない顔の黒髪。すっかり暗くなった空の下、どこか泣きそうな顔で俯いている御門に気付いているのかいないのか、クラレンスは困ったように口を開く。

「……でもこれ持って帰れるかな? 普通にラッシュの時間帯とぶつかるだろうし、この大荷物だと邪魔じゃね?」

「馬鹿じゃん……」

 呆れたように溜め息を吐き、御門はスマートフォンを取り出す。家族にLINEを飛ばしつつ、しれっと言い放った。

「迎え呼ぶから。その辺は気にしなくていいよ」

「おー! サンキュー、タツヤ!」

「……いいよ、別に。それなりに楽しめたしね」

 その言葉は暗くなりつつある街に、どこか空虚に響いた。洞窟に木霊するような声に、クラレンスはじっとりと彼を見つめる。大荷物をどうにかどかしつつ腕を組み、駅の外壁に寄りかかった。

「そうは見えねーよ。お前、なんか悩んでるだろ」

「……」

「目ぇ逸らしても無駄だぞ」

「……はぁ……」

 観念したように息を吐き、御門は顔を上げた。その鼻がどこか赤くなっているようで、クラレンスは思わず息を呑む。御門の瞳にはうっすらと涙が浮かんでいて、彼は深く俯いて口を開いた。

「……僕が言いたかった我儘わがままの話なんだけどさ。……やっぱ、やめていい?」

「……なんでだよ。タツヤらしくねーな」

「なんか僕には……そんな我儘わがまま言う資格なんてないと思って、さ」

「……」

 俯いた肌はどこか震えているようで、その声は水たまりに波紋が広がるように。クラレンスはただ黙って彼の言葉に耳を傾ける。

「ちょっと前まで、僕の世界には爽馬がいた。爽馬は当たり前に昇ってくる太陽みたいな存在で……いつの間にか大好きになってた。今でも、幸せになってほしいと思ってる。……でも、太陽は沈んだ。もう直視できない」

「……」

「……わけわかんないよね。ごめん、忘れて」

「タツヤ」

 有無を言わせぬような声に、御門は思わず顔を上げた。クラレンスの青い瞳が彼を射抜く。彼は御門の手をぐっと握り、黒い瞳を真っ直ぐに見つめて言い放った。星のない夜に、花火を上げるように。

「――だったらオレが、お前の太陽になってやるよ」

「……クレア?」

「言っただろ? お前のこと好きだって。オレはお前のどんな顔も全部ひっくるめて大好きなんだよ」

 もう片方の手で御門の頬に触れると、やはりかすかに震えていて。そのまま手を伸ばし、黒髪を抱き寄せる。熱砂のように、それでいて丁寧に。

「――だから、そんな顔するなよ。お前はいつも通りに意地悪く笑ってるのが、一番似合うから」

「……っ、本物の馬鹿じゃん」

 灰色のコートに包まれた腕が、クラレンスを抱きしめ返す。黒い手袋に包まれた指先は未だに震えているけれど、それでも御門の口元には笑顔が戻っていて。黒い瞳が潤んでいく中、御門は彼の胸に身を預けて呟いた。

「……馬鹿すぎて……好きになっちゃったじゃん」


 年末の風はひどく冷たいけれど、その風は二人のもとには届かないようで。

 近くて遠かった二人の距離は、今や何も気にせず抱き合えるほどに。

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