第83話 もっと相応しい時のために
「……」
広いリビングの片隅で、山田は一人カップそばをすすっていた。つけっぱなしのラジオから流れるのは終わりがけの紅白歌合戦、響くのは大人たちの大騒ぎ。父の仕事仲間のパーティーに何故かついてこさせられたはいいものの、特に興味はない。人にも、話題にも。と、そんな彼に体格のいい金髪の男性が歩み寄った。
「なんだよ
「……親父、絶対俺をVTuverにしようとしてるだろ」
「……」
「否定しろ」
無言で目を逸らす父にバッサリと言い放ち、音を立てて小エビのかき揚げをかじる。周りを見れば右も左もバ美肉おじさんである。盆のタピオカ飲み比べ企画でちょっと協力したからって、何故自分までその中に混ざらなければならないのか。父である山田
「だいたい、何で俺まで呼ばれた?」
「そりゃ、夏のタピオカ企画に参加した時点でお前も『ホワイトマジック』の一員なんだから」
「……謀ったな」
半目のままで小エビのかき揚げを飲み込み、ふっと
「俺は適当にキャスやる程度が丁度いい」
「いやいや、お前はそんなとこでくすぶってていい人間じゃないから。夏の企画でお前がゲスト出演した時とか、地味に再生数伸びたからな?」
「『ホワイトマジック』勢揃いだからだろ。俺はおまけだ」
「いや、高校生のVって結構珍しいからな!? ネームバリューあるからな!? いっそ来年から俺の代わりに主役で出てみろよ、そんで俺を養ってくれ!」
「うるさい」
無慈悲に突き放し、そばをすする。と、テーブルに置いたスマートフォンに着信音。そばを飲み込み、スマートフォンを手に取る。表示された名前を眺める瞳に、蝋燭のような光が宿った。緑色の受話器をタップし、スマートフォンを耳にあてる。
「……どうした、爽馬」
『やぁ、スターライト。……今どこにいるの? なんか賑やかだけど』
耳慣れた優しい声。山田はソファから立ち上がり、部屋の隅へと歩いてゆく。オフホワイトの壁に寄りかかり、応えた。
「親父の知り合いの家。……打ち上げ中」
『打ち上げって、お父様のお仕事の?』
「仕事っていうか、趣味だが。爽馬は今、ハワイか?」
『うん、そうだよ』
騒がしい中で耳をすませば、確かに電話の向こうも騒がしい。ハワイでの年越し船上パーティーに参加すると聞いていたが、どうやら何事もなく行われているようだ。遠くから波の音、花火が上がる音。そして……薔薇の花弁のように鮮やかな声。
「……こんな遅くまでやってて、疲れないのか?」
『大丈夫、大したことはないよ。一段落ついたし。……っていうか、スターライトの方はどうだい?』
「……別に何もない。収録も終わったし」
『収録……もしかして、お父様のお仕事、さっきまで手伝ってたのかい?』
「手伝ってたっていうか……出させられた。あとで動画送る」
『え、あぁ、うん』
何気なく頷く神風はきっと話を飲み込めていないだろう。次に会う時が楽しみだ、と山田は内心ほくそ笑む。そのまま、意地悪さを飲み込んで言葉を唇にのせる。
「……会いに行っていいか?」
『えっ!? ちょっと待って、ボ、ボクも会いたいけど……それは流石に無茶じゃないかい!?』
急に張り詰められる声に、作戦成功、と目を閉じた。電波の向こうで慌てふためく声、きっと神風の表情は満月に照らされて林檎のように赤い。脳裏に鮮やかに蘇るそれは桜の花弁のように愛しくて、山田は小さく息を吐く。
「わかってる。言ってみたかっただけだ」
『なんだい、心臓に悪いなぁ……っていうかしばらく何もしてこないなぁと思ったらこれなんだから! 最近何なんだい!?』
「……原点回帰?」
『どこに回帰してるんだい、ものすごく言いたいことがあるんだけど! ……いや、嬉しいからいいんだけど……うぅ』
「……そりゃよかった」
再び目を開き、幾度か瞬きをする。大人たちが集まるリビングは橙色の照明に照らされて、ひどく明るい。と、気付いた時にはリビングは静かになっていて、大人たちは何かを待つようにラジオを囲んで押し黙っている。除夜の鐘の音だけが荘厳に響き――ふと電子音が耳を打った。
ピッ……ピッ……ピッ……ポーン。
「ハッピーニューイヤー!!」
一斉に立ち上がる大人たちに、目を見開く。それはマーブル模様のように曖昧に、それでいてケーキの断面のようにはっきりと。電話の向こうからも歓声が聞こえてきて、神風がふっと微笑むような息遣い。手を伸ばすと彼の体温すら伝わってきそうで、山田は赤い糸を結ぶように言葉を届ける。
「……年が明けたな」
『そうだね。……今年もよろしくね』
虹色の花のような、手をそっと包むような声。それは冬の朝の空気のように、明瞭に彼の胸に響き渡って。ふっと目を伏せ、山田はその手を握り返すように口を開く。
「……ああ。これからも、よろしく」
――これからもずっと。そう言おうとして、そっと飲み込む。
(その言葉は取っておこう……もっと、相応しい時のために)
◇
〈あけましておめでとうございます!〉
〈2020年に……なってしまったー!〉
〈ハッピーニューイヤー!〉
PCの画面に流れる文言を眺め、少年はキーボードに指を走らせた。青白い光に焦げ茶色の癖っ毛が輝き、切れ長の黒い瞳が瞬く。細い指が素早くキーボードを叩き、画面に文字が浮かび上がる。
〈皆さん、今年もよろしくお願いします!〉
〈おう、よろしく!〉
〈よろしくです!〉
〈シクヨロちゃーん!〉
掲示板の常連メンバーたちが言葉を返してくれて、少年は小さく息を吐いた。その頬は楓の葉のように淡く染まっていて、彼は小さく息を吐いた。
(はぁ……本当にバーチャル空間っていうのは、気楽でいいなぁ……現実の人間は、まだちょっと怖いっていうか……)
思い出すのは、背中で一括りに刺せた黒髪。茶色の瞳と、その目元を飾る泣き黒子。歌うような言葉、ブラックホールのような笑顔。そして……差し伸べられた手を、振り払った感触。全身を打つ冷たい雨、あの人の悲しそうな瞳。
『……そう、か』
凍った声に、彼は思わず耳を塞いだ。だけど脳裏に響く声まではシャットアウトできなくて。叫び出したい、逃げ出したい、それでも思い出は鈍色の鎖のように。
『……もう、放っておいてよ。いなくなってよ、お願いだから……』
そんなこと、言いたくなかったのに。
『ぼくのことなんて、放っておいてよ……関わらないでよッ!』
手を伸ばしたかったのに、抱きしめてほしかったのに。
『君のせいで、ぼくはこんなに辛い、悲しい、苦しい……だからッ!』
あの人のあんな顔なんて……見たくなかったのに。
『――全部、君のせいなんだからッ!!』
ただ、打ちつける雨が痛かった。
PCを閉じ、顔を上げる。白い壁に飾られた一枚のスナップ写真に触れ、少年は笑い泣きのような表情を浮かべた。控えめに微笑む少年と、もう一人。長く会っていないあの人の横顔を脳裏に描き、少年は雨の日の空のような笑顔を浮かべた。
「……どうか今年のうちに、全て清算できますように……」
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