冬休み編
第80話 嫌だよめんどくさい
「だるい!」
「しんどい!」
「遊びたーい!」
――冬休み。そのはずが、教室には何事もなかったかのように生徒たちが集まっていた。駆動する暖房のハーモニーに負けじと、朝の空気の中に雨トリオの絶叫が響き渡る。教室は暖房のおかげでじわりと暖かいが、生徒たちを包む空気は濡れ雪のようにじっとりと重い。そんな彼らを睨みつけ、犬飼は噛みつくように言い放つ。
「甘ったれたことを言うな。俺たちは誇りある特進コースの生徒なんだぞ」
「ねー議長、その台詞聞き覚えあるんだけど」
「夏休みの頭と完全にダブってないか?」
「デジャヴってやつ?」
「それ言うならお前らだってそうだろ。棚に上げるな。というかつべこべ言わずに勉強しろ。俺たちはもうとうのとっくに受験生なんだぞ」
言うなり席に着き、ノートと向き合う犬飼。机を掘るような勢いでシャーペンが走る。その机の上には分厚い赤本があって、雨谷はげんなりと肩を落とす。
「年末年始とテスト直前以外ぶっ続けの冬期講習なんて、この高校やっぱりふざけてるー!」
雨宮の悲鳴が教室の壁に
「なんていうか……変わらないね、あの三人は」
そんな雨トリオを遠くから眺め、神風は親が子を見守るように微笑む。冬の朝の光は幻想のように眩しく、暖房の効いた教室には
「……スターライト? どうしたんだい?」
「ここのthatなんだと思う」
「……うん?」
突き出された長文読解ワーク、その赤で示された一点。その周辺を吟味し、神風は口を開いた。
「真主語じゃないかい? ここにItあるし」
「……それか。納得がいった」
「このセンテンス結構鍵になってくるもんね……下線部にも関わってくるし」
「そういえば神風クン、山田クン。聞いた?」
ふと神風の前の席から茶色のウェーブヘアが振り返り、シャーペンをくるくると回す。
「……柿原くん?」
「先生に質問しに職員室行ったらさ、ティーチャーズが話してるの聞いちゃってさ。なんか3学期から通信コースの人が一人、特進に来るとか来ないとか。滅茶苦茶成績いいらしくて、来年から正式編入できるかどうか、3学期の間に試すって話」
「そうなんだ……でも、なんで急にこんな中途半端な時期に?」
「さぁ? でもいーじゃん、仲間増えるんだから」
「おい柿原。あんま邪魔すんじゃねーよ」
「おっと、あいむそーりー」
矢作の声に悪戯っぽく微笑み、再び机に向かう柿原。山田は彼の話を反芻し……ふと、その脳裏で一つ結びの黒髪が揺れた。……まるで、黒揚羽が闇に舞うように。
◇
「クレアいるー?」
昼休み開始を告げるチャイムが鳴るや否や、B組の後ろ扉が開いた。ソフトショートの黒髪が揺れ、つかみどころのない笑顔が姿を現す。彼は誰の許可も得ずにB組教室に侵入すると、即座にクラレンスを押しのける。派手にすっ転び、抗議の眼差しを向ける赤髪。
「何すんだよ!?」
「一緒にご飯食べよ。ついでに数学教えてよ」
「あ、いいぜー……じゃなくて!」
バネ仕掛けのように立ち上がり、クラレンスは勢いよく御門を指さした。何事もなかったかのように机に弁当を広げる彼に、クラレンスは抗議の声を上げる。
「何で毎度毎度タツヤはオレの椅子強奪すんだよ!?」
「だって立ってると食べづらいじゃん」
「いや、だからってオレの椅子奪う必要なくね!? 何で!?」
「いいじゃん別に。あ、ウィンナー食べる?」
「食う……って、オレもタツヤも同じ弁当なんだから一緒じゃね? 自分の弁当食うよ……椅子返して」
「やだよめんどくさい」
にべもなく言い放ち、差し出しかけたウィンナーを口に放り込む御門。がっくりと肩を落としつつ、クラレンスは自分の鞄から弁当を取り出した。と、隣の席から声が降ってくる。
「あ、クレア君。僕の椅子使います? 僕A組行くので」
「え、いいの?」
「待ってクレア」
財布を持って立ち上がる昴小路に、御門が静止するように手を伸ばした。立ち上がり、昴小路の椅子をクラレンスの机の方に持っていく。
「やっぱこの椅子使っていいよ。僕こっち座る」
「……わ?」
「わ、じゃなくて」
多分『は?』と『What?』が混じったのだろう。鳩が豆鉄砲でも食らったような顔のクラレンスを眺め、御門は素知らぬ顔で昴小路の席に陣取る。弁当の位置をずらし、しれっとミニトマトを箸でつまんだ。
「座りなよ。折角譲ってあげたんだから」
「いや、元々オレの席だからね!?」
「それじゃ僕はA組行きますんで。あとはごゆっくり」
余裕の笑顔を浮かべて去っていく昴小路。その後ろ姿を呆然と見つめ、クラレンスはとりあえず返還された椅子に座り直した。
「つくづくタツヤって傍若無人だよなー……そのくせつかみどころないし。こういうの、『ギャップ萌え』って言うんだろ?」
「盛大に勘違いしてない?」
「え、そうか?」
「まぁクレア、萌え系アニメあんまり見ないもんね……しょうがないか」
呆れたようにチーズちくわを
「冬休みさー。ずっと講習じゃん? 社畜みたいじゃね?」
「社畜なんて、そんな言葉どこで覚えたのさ」
「なろうとかカクヨムとかノベプラとか」
「なにそれ」
「小説投稿サイト」
何気なく答えるクラレンスの澄んだ青い目を、御門は半目で見つめた。ごま塩ご飯を飲み込み、呆れたように口を開く。
「……クレアさぁ、ちゃんと勉強してる?」
「してるし! ……って、本題それじゃねえし! 暇見つけて遊ぼうぜって話!」
「嫌だよめんどくさい。どうせ秋葉原行きたいとかそういうアレでしょ? 勝手に行っててよ」
「えー!? 一緒に行こうぜ折角だから! オレらの仲じゃん!」
「それとこれとは別だよ」
しれっとした表情でカボチャのバター煮を頬張る御門だが、その雰囲気は猫が尻尾をぴんと立てているようで。クラレンスはスナップエンドウを箸でつまみ、しばし目を閉じて
「じゃあ、こうしようぜタツヤ」
「?」
「ついてきてくれたらタツヤの
「……ふぅん?」
御門の口元が悪魔のように歪む。だけどそれは魔法少女のように不思議と憎めないもので。悪巧みをする子供のように笑顔を浮かべ、御門は口を開いた。
「いいよ。いつにする?」
「そうこなくっちゃ! んー、年末はオレ実家に帰るし……どっかで講習サボる?」
「なんでよ。そんなことしたら落ちるよ? そうだなぁ、最後の日は確か午前授業だったはずだから、その午後に行こうよ」
「いいね! 今年最後の思い出だー!」
子供のように無邪気に喜ぶクラレンスを、小悪魔のような笑顔で眺める御門。その脳裏はどんな無茶振りをしてやろうかと、邪悪な思いに満たされていた。
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