第75話 八つ当たりしてるだけだろ

「矢作どいて」

「おう……って深刻な顔だな。クマやべーぞ」

「うるさいよ。いいからどいて」

 自分より体格がいい矢作を無理やり押しのけ、椅子を強奪する御門。チョココロネを頭から齧り、神風に視線を向ける。茶色の瞳と何気なく目が合って、思わず俯いた。

「……ねえ爽馬」

「なんだい?」

「爽馬はさ……」

 言葉が、詰まる。心臓の鼓動がひどく痛い。上目遣いで彼を見上げ、アーモンドの香りの血流を噛みしめるように問う。

「……爽馬はさ、山田のどこ、好きになったの」

「えっ……えー……っと……」

 神風の笑顔が引きつる。茶色の瞳がそっと左に流れていく。当然のようにその視線の先には、素知らぬ顔で麻婆丼を食べている山田の姿。顔を隠すように俯き、神風はサザンカの花のような言葉を、飴細工のように唇にのせる。

「……スターライトはボクのことを大事にしてくれるし、わかろうとしてくれる……ボクが辛い時はいつも支えてくれたし、ボクが迷ってる時はいつも導いてくれた。何よりボクがどうなっても、スターライトなら傍にいてくれるんじゃないかって、そんな気がするんだ。誰よりもボクのことを想ってくれる人だから……」

 俯いたままだけれど、その口元には鈴蘭の花が揺れるような笑顔が浮かんでいて。それは冬の朝日のように眩しくて、ステンドグラス越しの光のように尊くて。思わず顔を逸らし、御門はレモンの実を握るように口を開く。

「……そっか……そっか」

「あぁ、いや、辰也がそうじゃないって言ってるわけじゃ」

「大丈夫。それはわかってる」

 食い気味に言葉を投げつけ、御門はチョココロネを口にした。たった五ヶ月の留学期間のうちに、御門の好きな人は他の人のものになっていて。いや……それすらも今更だ。

(何でもっと早く伝えなかったんだろう。ずっと好きだったのに。……きっと、無意識に思ってたんだ。爽馬は僕のもので、誰にもとられやしないだなんて……)

 別に、山田のことは憎くはない。そこにあるのはただ、輪っか状に結ばれたロープのような想いだけ。それは大切だけれど、断ち切りたくて、それでも。滲みそうな涙をこらえるように、ハサミを振り上げるように御門は問う。

「……爽馬はさ……山田と僕だったら、どっちが」

「やめろ」

 ――不意に撃ち込まれた声に、御門は思わず目を見開いた。黒と茶色の視線が声の方向に注がれる。眼鏡越しの瞳は剣のような光を宿していて、仇敵を見るような視線を御門に注いでいて。言葉を失う御門に、山田は刃の切っ先を突きつけるように口を開く。

「友情と恋愛は別だ。同列に語られても困る。そんなこと聞かれたら爽馬は困るに決まってるだろ」

「……っ、わかってるんだよ、そんなことは」

 思わず山田から顔を逸らし、御門は涙をこらえるように言い放つ。制服の赤茶色のズボンを片手で握りしめ、子供のように吐き散らした。

「それでも……やってらんないんだよ。好きな人に好きって言えない、幸せにしてあげたいけどそれすらも許されない、そんな気持ち君たちにわかる? いっそ山田といた方が爽馬は幸せなんじゃないかとか、そんなこと考えちゃう気持ち、君たちにわかるはずもないよ。だから黙っててよ、頼むからさぁ……」

「八つ当たりしてるだけだろ」

「ッ!」

 御門の黒い瞳が揺れる。まるで雷に打たれたかのように。体温が急激に下がっていき、心臓は止まりそうに震え。徐々に浅くなっていく呼吸の中、ただ処刑人のような山田の声だけが耳元に反響する。

「いくら辛いからって、人に当たるのは違う」

「……っ」

「ましてや好きな人に当たるとか、論外だろ」

 それはどこまでも正論で、ある意味暴論で。言葉を失い、御門はただじっと俯いた。その肌が徐々に震えはじめ、神風は慌てて口を開いた。

「たっ、辰也。……本当にごめんなさい。辛かったのに、苦しんでたのに、何もできなくて。キミが今までどんな気持ちでボクに接してきたのか、わかろうとすらしなくて……何も見えてなかった」

 懺悔のような言葉に、御門は思わず顔を上げた。神風の茶色の瞳は震えていて、今にも涙を零しそうで。慌てて言葉を探すけれど、雪原に放り出されたかのように何一つ見つからなくて。神風の声は続く、まるで胸に刺さった棘の痛みに耐えるように。その棘は、反転して御門をも蝕んで。

「ボクにも責任がある……謝って、許されることじゃないけど……」

「ま、待って、爽馬」

 気付いた時には言葉を遮っていた。神風が顔を上げ、震える瞳を御門に揺れる。弱々しく撃ち抜かれながら、御門は反射的に口を開いた。何を言えばいいのかもわからないままで。

「爽馬は悪くないじゃん。人を好きになるのは自由だし……山田が悪いやつじゃないのはわかってる。むしろ、僕の方こそごめん。……ただ、僕は爽馬のことが好きだった。だから……爽馬が山田のこと好きってだけで、辛かった」

「……辰也」

「けど……今ので思い知ったよ。……爽馬は山田と一緒にいるのが一番の幸せだって。だから……、手を引くよ」

 その声はまるで白いヴェールを脱ぎ捨てるかのように。目を見開く神風、ひどく真剣な目をした山田。無理矢理に浮かべた笑顔はどこかぎこちなくて、それでも雨上がりにスイートピーの花が開くように。


「爽馬……どうか、お幸せに。そして、ずっとでいてくれるかな」

「……勿論。だって、ボクらの仲じゃないか」


 二人は笑い合う、ミモザアカシアの葉が触れ合うように。窓の向こうで色づいた葉が一枚、枝から離れてゆっくりと大地に吸い寄せられていった。



「……ねえ、スターライト」

「なんだ」

 夜の帳が駐車場の前を包み、静かな雨音を響かせている。午後七時、星のない空から視線を外し、山田は隣に立つ神風を見つめた。彼の瞳は星の雫のような光を浮かべていて、第二体育館の軒下には冷たい風が吹いていって。神風は口を開く、どこか痛みをこらえるように。

「……あれでよかったのかな?」

「……?」

「いや……辰也、きっと傷ついただろうな、って思って……ボクのことを想ってああ言ってくれたとは思うんだけど、それでも……あんな表情、させたくなかった」

「……」

 冬が近づいている。十一月下旬の風は冷たく、秋の雨は銀糸のように。山田は無言で紺色のマフラーをほどきつつ、ただ神風の言葉に耳を傾ける。

「……恋に限ったことじゃないけど、何かを犠牲にしなきゃいけないことって、あるよね。何も犠牲にしないで生きるなんて、そんなのは夢物語。わかってる、わかってるけど……それでも、感情が追いつかないっていうか」

「……辛いな」

 呟き、山田は神風に向き直った。解いたマフラーを神風の首に回し、丁寧に結ぶ。ふわりとラベンダーの優しい香りがして、それが余計に涙を誘って。透明な湖に波紋が広がっていくような感情の中、神風は縋るように山田を抱きしめた。

「……っ、爽馬?」

「……どうして、キミは……そんなに優しいんだ」

 その声は泣きそうに震えていて、その体温はひどく冷たくて。山田の肩に顔を埋め、神風は涙をこらえるように声を絞り出す。そんな彼をふわりと抱きしめ返し、山田は彼の茶髪をそっと撫でる。

「……泣いてもいいんだぞ」

「……っ」

「どんなお前だって、俺が全部受け止めてやるから」

 雨音が激しくなっていく。風が弱くなっていく。縋りつくような体温すらも心地よくて、山田は彼の茶髪を丁寧に撫でた。雨音の中に小さな嗚咽が混じり、そんな弱々しさすらも愛しくて。晩秋の冷たい空気の中、山田は彼の身体を抱き寄せる。壊れ物を扱うように、暖めるように。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る