第74話 ごめん、全然参考にならない

「あ、おはよう、辰也」

「……っ」

 聞き慣れた神風の声。春風のように柔らかく、陽だまりのように眩しい声。耳を塞ぎたくなる衝動をこらえるように、御門は唇を引き結んだ。機械のような笑顔を浮かべ、俯いたまま言葉を返す。

「うん……おはよう、爽馬」

 それだけ言って、足早に彼のもとを過ぎ去った。神風の優しさが、苦しくて、痛くて、口の中に広がる苦味に耐えながら席につく。進研模試前の教室はいつものように静かで、ぴりぴりとした緊張感があって……耐えきれそうになくて。


『なぁ……オレじゃダメ?』

「……っ」

 脳裏に響く幻聴。耳にこびりついて離れない、懇願するような声。思わず目を瞑り、声を追い出すように呼吸を繰り返す。

(違う、違うんだよ……クレアのことは別に嫌いじゃない。でも、……何勘違いしちゃってんの、馬鹿みたい。なんなの? 本当に、なんなの……?)

 両腕で頭を抱え、肺の底から吐き出すような溜め息。その瞳はどこか泣きそうに揺れていて、その指先は壁を引っ掻くように震えていて。

(爽馬は爽馬で僕のことは恋愛対象じゃないだろうし……どうしろっていうのさ。何なのこの絶対に叶わない四角関係。誰か助けてよ……っ!)

 滲んでくる涙を必死に堪えながら、御門はただただ呼吸を繰り返す。



「ナオツグ! ヨータロー! おはようっていうかどうしてくれんの!?」

「ンだよ、朝からうるせえ。黙って勉強させろよ」

「どうしました、フラれました?」

「なんでわかるんだよッ!」

 顔を真っ赤にして地団駄を踏み、クラレンスは叫ぶ。B組全員の冷めた視線が赤毛に集中する中、顔から湯気を出しそうな勢いでまくし立てた。

「そーだよフラれたよ! オレが普段ガンガンアタックしてたの全部冗談だと思われてたよ! 直接フラれてはないけど、なんかそんな雰囲気だったよ! 泣きたい!」

「いや朝っぱらから泣くなよ……」

「それにしては元気ですよね」

「どう見ても空元気だろ……とりあえずまぁ座れや」

「わかったよ座るよぉ!」

 いちいち大声で返事し、机に突っ伏すクラレンス。それを眺め、昴小路は小さく息を吐いた。

「これは……しばらくそっとしておいた方がよさそうですね。話くらいは聞いてあげた方がいいと思いますけど」

「だなァ……」

「うぅ……タツヤぁ……」

 突っ伏したまま、泣きそうに彼の名を呼ぶクラレンス。その姿はまるで子供のようで、昴小路と鎌取は頷き合うのだった。



「郁君こんにちはー」

「何故来る」

「相変わらずつれないですねー。一緒にご飯食べましょう」

 犬飼の前の席を強奪し、昴小路はホットドッグを食んだ。犬飼も大人しく弁当を取り出し、包みを解く。手を合わせ、米飯に箸を伸ばす犬飼に、昴小路はそれとなく問うた。

「ねえ郁君。好きじゃない人に告白されたら、郁君だったらどうしますか?」

「…………」

 箸でつまんだ米飯を見つめ、犬飼は石のように固まった。黒い瞳は右に流れ、左に流れ、また右へと彷徨う。ホットドッグの欠片を飲み込み、昴小路は思わず吹き出した。同時、頬を朱く染め、犬飼は食ってかかる。

「何がおかしいッ!」

「あはは……いや、こんなどうでもいいこと真面目に考えるとか、やっぱり郁君、真面目だなーって思って。あはっ」

「笑い事じゃないだろうッ!」

「まぁ、そうなんですけどね……でも、よかったです」

「何がだッ」

 噛みつくような犬飼の声に、昴小路はタンポポの綿毛をそっと吹き飛ばすように笑う。そっと片手を伸ばし、彼の硬質な黒髪を撫でた。

(今の言葉で失恋したこと思い出す可能性もありましたけど……この調子なら大丈夫そうですね。思えばあれから2ヶ月くらい経ってるんです、多分大丈夫ですよね)

「なんでもないです」

 微笑みを絶やさず、ただ犬飼の頭を撫で続ける。その感触に毒気を抜かれたのか、犬飼は肩に入れていた力を抜いた。そっと彼の頭から手を放し、ホットドッグをもう一口。

「まぁ、郁君は郁君のままでいてくれればいいんですよ」

「……っ、うるさい」

 さりげなく差し出した言葉に、犬飼は撥ね退けるように言い放つ。そのまま弁当をかき込み始める彼に、昴小路はナナカマドの白い花のように笑いかけるのだった。



「おう、薫。大丈夫か?」

「大丈夫じゃないよー……しんどいっていうか、しんどいっ!」

 後ろの席から響く呑気な声に、御門は思わず顔を上げた。振り向くと、わちゃわちゃと両腕を振り回している色素薄めの茶髪と、彼を見守るオールバックの黒髪。

「……桃園に鹿の人じゃん」

「だから覚え方ァ!」

「っていうか御門くん……クマひどいよ? 大丈夫?」

「え、嘘」

 思わず目元に手を当てる。桃園は机の中から折り畳みミラーを取り出し、御門に突きつけた。手を放してよく見ると、確かに目元は真っ黒で。目を伏せる御門を眺め、桃園は鹿村の手元に手を伸ばした。お菓子の袋から小さな塊を取り出し、御門に差し出す。

「……何、これ」

「いちごみるくの飴ちゃん。いる?」

「いや『いる?』って聞かれても」

 とか言いつつ飴の包みを解き、口に放り込む御門。比較的やわらかめの飴を噛み潰しつつ、二人を眺める。溜め息を吐き、鹿村は桃園の机に手をついた。

「つーかテメ、飴なしで集中力続くのかよ? 大丈夫か?」

「だ、だいじょーぶだよ!」

「いや、割と普段から授業中気絶してるよね?」

 御門の口から反射的にツッコミが滑り落ちた。一気に表情がぎこちなくなる桃園に、御門はさらにからかうように続ける。

「頻繁に寝息聞こえてくるんだけど。あとたまに僕の椅子蹴ってくるのやめてくんない? っていうか単位大丈夫? 留年しないよね?」

「だっ、大丈夫だよ! 流石に赤点はとらないもん!」

 なお、その赤点回避も一夜漬けによるそれである。完全にダメ学生である。そんな桃園と御門の間に割って入り、鹿村は彼にガンを飛ばした。

「テメ、言い過ぎだろゴルァ。いとこ様に喧嘩売ってんのか?」

「売らないよそんなもの。自意識過剰じゃない?」

「あんだとテメェゴルァ!」

「ちょっと壮五ストップ。事務所に怒られるよ」

「……おう……わりぃ」

 伸ばしかけた手を即座に引っ込め、縮こまる鹿村。そんな二人を見比べる御門の表情に、夕闇のような陰影が落ちる。揃った動作で彼に視線を向ける二人に、御門はそれとなく問いを投げかけてみた。

「……ところでさー」

「うん」

「もし、好きでもない人に告られたら、どうすればいいと思う?」

「……」

 二人は顔を見合わせ、交互に瞬きを繰り返した。その間に流れる空気に目を凝らし、御門は頷く。もしかしたら彼らは、ただの従兄弟いとこではないのかもしれない。

「んー……あくまで薫だったらだけど、とりあえず付き合ってみるかなぁ。あ、他に付き合ってる人がいるってんなら、話は別だけど」

「俺だったらとりあえず俺ハ……じゃない、キープしとくな。ついでにファンクラブに勧誘する」

「……ごめん、全然参考にならない」

「なっ!?」

「はァ!?」

 絶叫のデュエットが響く。よく似た目が二人まとめて飛び出さんと見開かれる。呆れたように息を吐き、御門は飴を飲み込んだ。

「まぁ、そこまで重く考えなくていいってことだよね。サンキュ。鹿の人、もう帰っていいよ」

「あぁ!? 何でお前に決められなきゃなんねぇんだよゴルァ!!」

「だから壮五落ち着いてー!」

 大騒ぎする二人を尻目に、御門は財布を携えて購買に向かう。

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