第49話 振り向いて、ほしい、だけ

「それで自主見、どこ回る? 個人的には祇園の商店街とか巡りたいけど」

 放課後、傾きかけの日差しが差し込むA組教室。山田の前の席に勝手に座り、御門は旅行雑誌を広げた。その周りには修学旅行で同じ班の四人が集まっている。様々な観光名所が紹介されている雑誌を、クラレンスは御門の手から奪い取った。

「ひょー! やっぱこれでこそ日本だよな! やっぱ金閣一択だろ、なぁ!」

「金閣ねぇ……まぁいいんじゃない? あとそれ返して」

 答えを聞かずに雑誌を奪い返し、金閣のところに蛍光ペンで丸をつける御門。桃園をスルーし、彼は神風の方に視線を向けた。

「爽馬はどこか行きたいとこある?」

「待って薫のこと今スルーしなかった!?」

「うるさいよ」

 思いっきり抗議する桃園を一刀両断し、御門は蛍光ペンを回しつつ問う。その瞳には期待するような光が宿っていて、心なしか前のめりになっているようでもあって。

「で、どうなの、爽馬?」

「うーん……伏見稲荷とか行ってみない? 色々とご利益あるみたいだし……」

 あと花火大会の時に見た山田の狐面が似合っていたから、と言いかけて、口をつぐむ。綻んだ口元を隠すように手を当て、机に視線を落として……。

「……また見たい、とか?」

「……っ!?」

 びくり、と身体を震わせ、神風は弾かれたように山田の瞳を見つめた。顔の下半分は手で隠れているけれど、それでも面白いほど赤く染まっているのがわかって。頬杖をついたまま無表情でそれを見つめ、山田はふっと彼に手を伸ばし、茶髪をそっと撫でた。心臓の鼓動が速くなっていくのを感じながら、神風は高熱に耐えるように、愛しい蹂躙じゅうりんを受け止める。数秒ののち、山田はいつものように淡々と言葉を吐き出した。

「……じゃあ伏見稲荷、決定で」

「なんで勝手に決めるのさ。まぁいいんだけど」

 少しだけ唇を尖らせつつ、伏見稲荷にもチェックを入れる御門。最後に興味なさそうに桃園に視線を向ける。しかし彼は何かに耐えるように唇を噛んで、震えながら俯いていて。

「……んで、君的にはどっか行きたいとこあんの?」

「映画村!」

「即答にも程がない?」

 一転、うさぎのように笑う桃園に、御門は半ば呆れつつ映画村にもチェックを入れようとして……ふと顎に手を当てる。

「……回る順番どうしよ。効率的には映画村側から巡った方が早そうだけど、映画村って何時から開いてるっけ?」

「10時からだよ。自主見学って何時からだっけ?」

「9時から、だな」

 配布されたしおりを開き、応える山田。その隣で神風が深く息を吐き、ようやく顔を上げる。山田の言葉を受け、御門は地図をじっと見つめた。

「うーん……どうしよう。1時間……移動抜いて30分あるのかぁ……うーん」

「他のとこ行くにしても中途半端な時間だよなぁ……」

「ホテルから駅までの移動とか含めるともう少し短くなるんじゃないかな。つまり待ち時間は15分くらい?」

「そのくらいならいくら桃園でも待てるよね。ハイ決定」

「ちょっ!?」

 難しい話だと判断していたのか、ぼんやりしていた桃園は御門の言葉に我に返った。彼の周囲をドラムロールのように走り回りつつ、早口で口を開く。

「ねーねー、ずっと思ってたけど御門くん薫に対して酷くない!?」

「別に?」

「いや、タツヤはオレに対してもこんなもんだぜ……報われないぜ……」

「はいはい」

 大騒ぎする桃園と肩を落とすクラレンスを適当にあしらい、御門はホテルから映画村へと蛍光色を伸ばしていく。

「で、そこから金閣まではバスで行けるね。観光して、適当に昼ごはん食べて……そこから移動だね。えーっと」

 何気にスマホを取り出し、移動ルートの検索をかける御門。それを見て神風はたしなめるように声をかけた。

「ねえ辰也、校内でスマホ使うのは校則違反だろう?」

「バレなきゃいいんだよバレなきゃ……っと、出てきた出てきた。うん、バスで二条城まで行って、そこから電車に乗り換えだね」

「すげぇな、はえぇなタツヤ……」

 クラレンスの嘆息をガン無視し、御門は蛍光ペンを雑誌のページの上に滑らせる。よく目立つピンク色が紙面を彩った。不意にペンの先を顎に当て、んー、と唸る。

「伏見稲荷行って、そこから祇園の商店街で買い物。晩ご飯込みで8時までに戻ってこい、か……うん、十分間に合うね。よし決定」

 一通りマーカーを引き終わると、パチリ、と音を立てて蛍光ペンのキャップを閉めた。それを見つめ、半目で口を開く桃園。

「ほとんど御門くんが決めたじゃん……ねえ、山田くんはどこか行きたいとこなかったの?」

「別に」

 淡々と言葉を突き返し、山田は頬杖をついたまま神風の方を見やる。

「……俺は爽馬が行きたいとこなら、どこでも」

 淡々とした言葉に一瞬固まって、くすぐったそうに表情を綻ばせる神風。その笑顔が胸を締め付けるようで、山田の声が脳を冒すようで。胸の中にどす黒い感情が渦巻くのを感じ、桃園は胸を押さえて俯いた。ひどく胸が痛くて、くるしくて、つらい。ただ、長い黒髪の少年に縋りたかった。



『それは嫉妬だな』

 蛇が絡みつくような声。ブラックホールのような深い黒色の感情を抱えながら、桃園は電話の向こうの声に耳を傾ける。

『自分はこんなにもあの人が好きなのに、あの人は振り向いてくれない。あの人の視線の先には、いつも違う男がいる……胸が引き裂かれそうだ。自分だけを見てほしい。あんな男、いなくなればいいのに――そう、思うだろ?』

「……うん」

 少し引っかかるものを感じながら、桃園は頷く。電話の向こうの声は蛇が舌なめずりをするように続いた。背筋がかすかに冷えていくような感覚を味わいつつ、桃園はじっと身を固くして、電話の向こうの声に縋る。

『……お前は、どうしたい?』

 海の魔女が薬を差し出すような声。ひ、と小さく声を漏らし、桃園は片手でスマートフォンをぎゅっと握りしめた。抗生物質のように苦くて苦い声を、絞り出す。

「……振り向いて、ほしい、だけ」

『そうか』

 ひどく淡々とした声。だけどそれは山田のそれとは違い、蛇が身をくねらせるかのようで。不意に電話口から息を吸う音が聞こえた。海の魔女が薬の効果を滔々とうとうと説明するように、声は道を示す。

『それなら、修学旅行中にあいつに告白するんだ。それがかなわなければ、おれは金輪際、お前には関わらない。そして、もう一つ」

 ふと、電話の向こうの声は吹雪のような冷気を帯びた。それはまるで八寒地獄に吹く風のようなもので、桃園はさらに身体を縮こませた。

『――もしダメだったら、金輪際、山田スターライトには絶対に近寄るな』



 承諾の声を聞き、北条はスマートフォンの通話停止ボタンを撫でる。深く息を吐き、スマートフォンを放り投げた。

「……関わりたくもない……」

 吐きそうな声で言い放つと、声は自室に反響して消えていった。2LDKのマンションの一室に荒い呼吸が響く。解かれた長髪が振り乱され、茶色の瞳は憎々しげに揺れる。不意に彼は顔を上げ、壁を見上げた。リモコンを掴み、電気をつける。数度の明滅を経て、部屋が白く輝く。三方の壁には無数の、同じ人間の写真が貼り付けられていた。


 ブルーブラックの髪。黒縁の眼鏡。美形だけれど、不思議と群衆に埋もれてしまいそうな顔立ち。中学のそれだと思われる紺のブレザーに青いネクタイの制服。夏服らしき白いYシャツ。あるいは、鶴天のベージュのブレザーと臙脂色のネクタイ。画面の外に視線を向け、冷淡な無表情で写っている無数の彼に、北条は恍惚としたような嘆息を漏らした。


「……スターライト……おれだけの一等星……」

 ひときわ大きく飾られた自分と“彼”のツーショット写真を見つめ、両手を握り合わせる。画面の外を見つめている“彼”と、その隣で幸せそうに微笑んでいる自分。

 ――だけど、今その席には、別の人間が。

 その瞳に爬虫類じみた光が宿る。脳裏で明るい茶髪が揺れ、幸せそうな笑顔が脳裏に広がる。“彼”の手が伸びて、二人の指が絡まった。あまりにも鮮やかな、認めるわけにはいかない映像。引き裂くように虚空に爪を立て、北条は低く、泥のように口を開く。

「……ユルサナイ……絶対に」

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