第46話 願掛けに神社行きましょう

「あ、郁君ー」

「……昴小路」

 応援演説を担当するB組議長と別れようとして、声を投げかけられる。何気なくそちらに視線を向けるや否や、後ろからひっつかれた。すっかり慣れきってしまった体温だけれど、最近は不思議と振り払う気が起きなくて。それでもささやかな抵抗とばかりに、短いナイフのような言葉を投げつける。

「おい、ひっつくな。衆人環視の前だぞ」

「言葉の使い方おかしくないですか? 郁君それでも文系ですかー?」

「うるさいッ。というか何の用だ、さっさと言えッ」

「むふー」

 尻尾を振る大型犬のような笑顔で、昴小路は犬飼に体重をかける。よろける彼の硬質な黒髪を撫でつつ、上機嫌に口を開いた。

「明日はいよいよ立会演説会ですねー。というわけで放課後、願掛けに神社行きましょう。そして一緒にカツ丼食べに行きましょう」

「そんなことをしている暇はない」

「いいじゃないですかー。僕らの仲でしょ?」

「いつから俺達はそんなに親密になった」

「えー!? 一緒に遊園地で遊んだり、郁君のおうちに遊びに行ったりしたじゃないですかー」

「誤解を招く言い方はやめろッ!」

 噛みつくように言い放ち、昴小路を振り払う。そのまま大股でB組教室を出ようとして――ガタタッ、と人が椅子から転げ落ちるような音が響いた。振り返ると、手足が長いカマキリ顔の少年が机にしがみついていて。鎌取を一瞥し、昴小路は鼻を鳴らす。

「何やってるんですか鎌取君。ダサいです」

「は、はァ!? もとはといえばお前らがイチャついてるのが悪ィだろうが!!」

「人のせいにしないでください。僕A組に行ってきます」

「何故だ」

 ピシャリと言い放ち、犬飼にひっついて歩き出す昴小路。扉の向こうに消えていく二人を眺め、鎌取は大きく舌打ちしたのだった。



「……あ」

 灰色の空の下、花園神社の境内から出てくる二つの影に、犬飼は思わず立ち止まった。それに合わせて昴小路も足を止め、大きく息を吸い、口元に手を当てて叫ぶ。

「なにやってるんですかー。二人ともー」

「……?」

「あれ……昴小路に犬飼じゃないか。こんなところで会うなんて、奇遇だね」

 いつもの無表情の山田、優しい笑顔を浮かべる神風。彼は犬飼と昴小路を見比べ、問うた。

「二人は何してるんだい? 明日は立会演説会だけど、もしかして願掛け?」

「そうですよ。僕は郁君が会長になれますようにーってお願いするんです。君たちは何をお願いしたんですか?」

「うん、ええと、お願いをしたのはボクだけなんだけど……」

 そう前置きし、神風はかすかに目を伏せた。その口元を複雑な笑みが彩る。秋らしさを増してきた風がさらさらの前髪を揺らす。

「……この間の打ち上げの時、皆の仲が険悪だったから……少しでも、わだかまりが解決しますように、って」

「……神風」

 小さく目を見開き、犬飼は俯く。その拳はいつの間にか握りしめられていた。神風の笑顔は悲しげで、それでも春の日差しのように優しくて。直視できず、思わずぎゅっと目を瞑る。

(……最低だな、俺は……こんなんじゃ、神風には釣り合わない……)


「……っていうかスターライトは何でついてきたんだい?」

「お前の行くところが俺の行き先だから」

「い、いや、スターライト、息つくように恥ずかしいこと言うよね!? 本当に何なんだい!?」

「……いい加減、慣れろ」

 赤面して必死に反論する神風の頭を優しく撫でつつ、山田は理不尽に口を開く。平和な日常に口元を緩め、昴小路は犬飼の震える拳をそっと握る。はっと目を見開く犬飼に、彼はただ、微笑みかけた。ふと山田は腕時計に目を向け、神風の肩に手を置く。

「わっ!? ……って、どうしたんだい?」

「……爽馬、学校に迎え待たせてるだろ。そろそろ戻ろう」

「あ、そういえばそうだった。ごめんね二人とも、ボクらもう帰るね」

 彼の言葉に頷き、神風は犬飼たちの方に向き直った。自然な動きで山田の手が伸び、神風の手を握る。神風は顔を上げ、彼に向けて陽だまりのように微笑む。絡み合う指がひどいスローモーションで再生され――犬飼の中で、何かが壊れる音がして。

「……っ、神、風」

「……なんだい、犬飼?」

 何気なく首を傾げる神風に、犬飼の中で言葉が砕け散る。心臓が凍り付いたかのように体温が下がっていく感覚。物理的な距離はそんなに遠くないはずなのに、神風がひどく遠くに行ってしまったような気がして。いくら手を伸ばしても、届かないほどに、遠くに。


「……何でも、ない」

「……そう? なら、いいんだけど……」

 どこか不承不承と引き下がる神風。そんな彼の手をぐっと引き、山田は

「爽馬、もう行くぞ。送ってく」

「えっ? ……スターライト、普通に電車通学だよね? いいのかい?」

「気にするな。……一緒にいたいだけだから」

 山田の声は砂糖菓子のように優しくて、神風の笑顔は星が降るように美しくて。それは銀幕に映された光景のようなもので、犬飼は震える瞳でただそれを見つめる。目を逸らしたかったけれど、脳は目を逸らせと必死に警告しているけれど、それすらも能わなくて。

「……いつもありがとう、スターライト。それじゃあ二人とも、またね」

 手を繋ぎ、隣を通り過ぎていく山田と神風。足音が遠ざかっていく。一瞬風が強く吹き、二人の足音を掻き消すと同時、犬飼は思わずアスファルトに膝を突いた。目の前が徐々に暗くなっていく感覚。体温が急激に下がっていく。秋の風が、ひどく冷たく感じる。

「……神、風」

 神風の幸せそうな笑顔が脳裏を支配する。けれどその流星のような瞳は、犬飼に向けられることは決してなくて。わかってしまった。わかってしまったから、これ以上手を伸ばすことはできなくて。フィルターがかかった視界が滲む。雨は降っていないはずなのに、アスファルトに点々と黒い水滴。思わず片手で顔を覆い、掠れた嗚咽を静かに響かせる。


「……」

 隣に、慣れ親しんだ気配。茶色の猫毛がすぐ側で風に揺れる。彼はいつものように寄りかかってくることはせず、ただ隣にしゃがんでいた。不意に触れ合う肩から、彼の体温が伝わる。制服越しのそれはひどくあたたかくて、余計に涙が溢れて止まらなくて。

「うっ……う、うぁあっ」

 気付いた時には声を上げて泣きじゃくっていた。子供のように顔を擦りながら、彼はただ涙を流す。ただ、その隣には昴小路がいた。何も言わず、アスファルトを見つめたままで。

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