第37話 僕の幼馴染を傷つけたら
『……っていうわけなんだけど……』
「なるほどね……大体わかったよ」
部屋の窓に寄りかかり、御門はスマートフォンに向かって話していた。電話の向こうの声はどこか悲しそうで、秋の夜空を見上げているかのようで。二つ並んだデスクの片方にはクラレンスが突っ伏して眠っている。能天気なやつ、と彼から視線を外し、御門は小さく息を吐いた。
「山田のことはいまいちよく知らないし興味もないけど……正直、教室で見てても明らかにおかしいとは思った。声が震えてたし、普段より少し早口だった気がする……僕でもわかるくらいには動揺してたっぽいね」
『……二人きりで話した時も、何となく、悲しそうだった……それに「知らないほうが幸せだ」なんて……山田らしくないよ……』
「……正直、よくわかんないけど」
そう前置きし、御門は振り返る。昼間の残暑は厳しいが、秋の夜はそれなりに涼しい。黒い瞳をそれなりに明るい東京の夜に向けながら、思考を巡らす。
「……少なくとも山田とその北条? とかいうやつの間には面識があると考えていいよね。多分恋愛絡みで、それなりの因縁が」
『……やっぱり、かぁ……』
神風の声は悲しげな陰りを見せた。それはまるで今夜の雨模様の空のようで。
――『バッドエンドを迎えたくなければ』
山田の声が不意に蘇り、御門は小さく息を吐いた。バッドエンド。それが何を意味するのかは、流石に推察できないけれど……それでも、彼の口ぶりは犯罪被害者の忠告のようで。ガラス窓に映る自分の瞳を睨み、御門は口を開く。
「……爽馬、僕からも言っとく。例の北条って奴には、関わんないで」
『……』
「爽馬に何かあったら僕が嫌だからさ。だいいち山田も、爽馬に何かあってほしくないからああいうこと言ってるんだと思うよ? 大人しく従っとくべきだと思うな」
『……疑ってるわけじゃないんだ。ただ……何かできることはないかなって、思っただけ』
「ふぅん……」
神風の声は混じり気のない想いに満ちていて、ローズクォーツの結晶のようで。窓越しに曇り空を見上げながら、御門は口を開く。
「……爽馬は何もしないほうがいいよ。触らぬ神に祟りなし。いらなく関わって面倒ごとに巻き込まれるよりは大分マシだし、下手にトラウマに触れて山田を傷つけるのも本望じゃないでしょ?」
『……』
「だからさ、山田から話すまではノータッチでいいと思うよ。あいつも話すべき時になったら話すだろうし。まあ一般論でね?」
『……』
しばしの沈黙。御門は特に急かすことはせず、ただ雨音に耳を傾ける。不意に雨音が弱まると同時、神風は小さく言葉を吐き出した。
『……そう、だね』
その声には未だ雲が残っていたけれど、確かに晴れ間がのぞいていて。小さく微笑みを浮かべる御門に、神風は告げる。
『ありがとう、辰也。ごめんね、相談に乗ってもらっちゃって』
「いいんだよ。僕らの仲じゃないか」
目を閉じて微笑みつつ、御門はそっと胸に手を当てた。心臓の鼓動はまるで空を虹色に染め上げるかのようで。不意に笑みを消し、目を開く。その瞳には鋭い氷柱のような光が宿っていて。
(そう……爽馬は何もしなくていい。爽馬を傷つけたら、僕が許さない……)
◇
(公園デート……か。面倒だな)
背中で一括りにした黒髪をなびかせ、北条は井の頭公園の片隅を歩いていた。片手のスマートフォンに表示されているのはLINEのトーク画面。脳裏にどうでもいい女装男子の姿を浮かべ、一瞬で抹消する。所詮、北条にとって彼は、その程度の価値しかない。
(まぁ日曜日だし、暇潰しには丁度いいか……)
「――ねぇ、君が“北条嶺介”?」
後ろから聞き慣れない声が投げかけられ、振り返ると、ソフトショートの黒髪の少年の姿。眉をひそめ、北条は問う。
「……誰だ?」
「聞いてるのはこっちなんだけど。鶴天2年
氷柱のような光を宿す瞳に、北条は小さく笑みを零した。風に黒髪を揺らしながら、口を開く。
「そうだ。……で、お前は?」
「桃園さんのクラスメイトだけど。今日デートだって聞いて、来ちゃった」
山田の恋人の幼馴染、とはあえて言わず、少年――御門は氷柱のような光を宿した瞳で北条を睨む。腕を組み、言い放った。
「で? 君、桃園さんに何する気? どうやら山田
「因縁とか、企んでるとか、人聞き悪いな……」
御門の言葉に、北条はやれやれ、と両腕を広げた。芝居がかった動作に御門が眉をひそめると、北条は舞台俳優のように
「おれはスターライトを愛してる。他の誰よりも愛してる。でもって、愛する人には、自分だけを愛してほしいだろ? 愛するからには、振り向いてほしいだろ? 愛には見返りがあるべきだろ? その見返りを得るためなら、どんなことだってできるだろ? 愛のためなら、誰だって堕としてみせられるだろ? 少なくとも、おれにとっての愛はそういうもんだ」
「愛、愛、愛、愛って、お猿さんなの?」
「馬鹿にすんなよ。お前には心当たり、ないのか?」
「心当たり、ねぇ……」
目を閉じると、
「僕には好きな人がいる。僕を好きな人もいる。だけど言っとくけど、そいつらは君ほど独善的じゃないよ?」
ピクリ、と北条は片眉を跳ね上げた。強い風が吹き、彼の長い黒髪を揺らす。口を開きかけた北条に被せるように、御門はさらに続けた。
「そりゃ、恋愛は自分勝手だよ。だけどだからって、そのために他人を傷つけるのは違う。そんなことして山田が本当に喜ぶと思うの?」
「ハッ……」
御門の言葉を鼻で笑い、北条は両腕を広げた。それはまるで、
「そんなことは関係ないんだよ。おれはおれのために恋をしてる。相手がどう思うだの、幸せがどうだの、関係ない。おれが幸せであるために、何をしてもいいんだ――愛って、そういうもんだろ?」
「……狂ってるね」
吐き捨てるように言い放ち、御門は北条に数歩近づいた。革靴の音が重く響く。
「……どうやら僕と君は相容れないみたいだね。考え方が違いすぎる。僕はこれ以上議論するつもりはないけど? ただ、ひとつだけ言っておくよ」
至近距離から彼の瞳を見つめ、釘を打ち込むように言い放つ。
「――僕の幼馴染を傷つけたら、許さないからね?」
「ハッ、お前の許しなんか知ったことか。おれはおれのやりたいようにやる」
――それは、宣戦布告だろうか。空砲のような響きをもった声に目を細め、御門は
「あ、そうそう、勘違いしないでね? 僕の幼馴染は桃園さんではないから。あの子のこともどうでもいいわけじゃないけど、何やっても特に報復には出ない。ただ、僕の幼馴染に手を出したら、その限りではないからねっと」
それだけ口にして、御門は足早にその場を過ぎる。脳裏にぐわんぐわんと響くのは、調律の狂ったピアノのような声。蒸し暑い風に吹かれながら、彼は唇を噛んだ。
(狂ってる……山田の言葉は正しいんだ。あいつは絶対に、爽馬に関わらせちゃいけない……)
幼馴染の笑顔が塗りつぶされていくような錯覚を、勢い良く振り払う。今はただ、一刻も早く北条のもとを離れたかった。
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