第38話 単純バカなお前のままで

「いいか、お前ら」

 犬飼は大きく胸を張り、白ジャージの集団を睥睨した。全体の開会式とは別に行われる特進決起集会。それぞれの色を宿した瞳を一つ一つ睨みながら、犬飼は声を上げる。

「この体育祭における俺たちの役目は、ノーブレス・オブリージュの精神にのっとり、他科の生徒たちの“壁”となることだ。特進生徒としての誇りをもってプレーしろ。それでいて相手に敬意を示し、全力で勝ちに行け。間違っても勝ちを譲るような失礼な真似はするな。いいな?」

「はいっ!!」

「俺からは以上だ」

 杉の木を揺らすような返事に、犬飼は満足げに頷いて一歩下がる。その姿を横目で見つめつつ、昴小路は弟の晴れ舞台を見つめるように微笑みを浮かべていた。


「郁君ー」

 決起集会が終わった直後、昴小路はいつものように犬飼の背中に寄りかかった。派手に振り払い、犬飼は噛みつくように叫ぶ。

「何故ここでひっつく! 衆人環視の場だぞ!? TPOを弁えろ!!」

「えー?」

「『えー?』じゃない!! 誰かに見られたらどうする! 誤解を招く!」

「……郁君」

 ギャンギャンと吠え立てる犬飼に、昴小路はいじめっ子のようにニコリと微笑む。

「もしかして照れてます?」

「断じて違うッ!」

「えー……寂しいです」

「お前の考えていることはさっぱりわからん」

 飼い主に無視された犬のように俯く昴小路に、犬飼は息を吐きつつ、体育館の入り口に目を向けた。

「そんなことはどうでもいいんだ。さっさと行くぞ」

「……どこにですか?」

「決まっているだろう。監査だ、監査。立派な生徒会の仕事だ」

「……」

 ひどく真剣な顔をした犬飼の言葉に、昴小路はしばらく目を瞬かせ、不意に吹き出した。肩を揺らして笑いだす彼に、犬飼は思わず噛みつく。

「お、おい、笑うな!」

「ふ、ふふっ……あははっ! だって面白いんですから! 郁君はやっぱり真面目ですねぇ、それでこそ郁君です!」

「さては馬鹿にしてるだろ! もういい、一人で行く」

「駄目ですー」

 さっさと歩き出そうとした犬飼の手を取り、昴小路は怪訝そうな彼に向けて散歩をねだる犬のように笑った。

「僕と一緒に行きましょう! デートです!」

「何がデートだ、ふざけるな。来るなら黙ってついて来いッ」

「はーい」



「っしゃぁ! 勝ったぜオラァ!」

 バドミントンラケットを片手に、鹿村はガッツポーズで叫んだ。オールバックにした髪が乱れ、芸能科を示す黄色のジャージがなびく。バドミントン部の生徒が掲げるスコアボードは、確かに鹿村の勝利を示していた。男子シングルスの部決勝を制し、鹿村は対戦相手の家政科3年生に一礼する。

「ありがとうございました!」

 そして顔を上げ、他の芸能科代表とハイタッチする。ベリーショートの黒髪の塩顔イケメンが、明るく笑いながら口を開いた。

「お疲れ、壮五! 次、特進とのエキシビだな。魅せてやれよ、現役アイドルの身体能力!」

「当たり前だろコノヤロウ。特進だろうと俺がねじ伏せてやんよ」

「鹿村さん、エキシビションマッチは15分後です。準備をお願いします」

「はい、ありが――っ、んっ、んん。おうよ」

 反射的に光ヶ丘モードになりかけて、慌てて踏みとどまる。似非ヤンキー口調で返すと、視界の片隅に特進らしい白ジャージが映った。その姿を流し見し――

「……!?」

 ――思わず二度見してしまう。色素薄めの茶髪、小柄な体躯、何より目を引くピンクリボンのバレッタ。練習相手らしき白ジャージと共に現れたその姿は、どこからどう見ても。

「……薫ゥ!?」

「……壮五!?」

 茶色の瞳を見開き、桃園はラケットを放り出して鹿村に駆け寄った。至近距離で立ち止まり、詰め寄る。

「なんで壮五がいんのさー!? 立候補してたっけ?」

「してたわオラ。つか、前に喋っただろ。忘れんなよゴルァ」

「んー……んんん?」

 顎に指を当て、眉をひそめつつ首を傾げる桃園。その様に、鹿村は少し引っかかるものを覚えた。普段なら無駄にくるくる回るような桃園が、今日はそんなそぶりを見せない。おまけにどこで覚えたのか、無駄にあざとい仕草まで見せている。

「……おい、薫」

「ん?」

 声をワントーン落として問う鹿村に、桃園はリスのように首を傾げた。無駄にあざとい動作に疑惑を確信に変えつつ、鹿村は彼の肩に手を置いた。

「……お前、普段と違うな。何かあったのか?」

「なーんにも?」

 かくん、と反対側に首を倒し、桃園は微笑む。それは普段の無邪気なそれと比べると、どこか闇があって。首筋に冷や汗が浮かぶのを感じつつ、鹿村はその肩から手を離す。不意に桃園は視線を上げ、どこかに向けて大きく手を振った。

「……?」

 その視線を追うと、ギャラリーに佇む一人の男子生徒に行き当たった。看護科を示すピンクのジャージ。背中で一括りにした黒髪。彼は桃園の笑顔に応え、小さく手を振り返す。その笑顔にはどこか裏があって、鹿村自身にも通じる二面性がひしひしと感じられて。バッと桃園に視線を戻し、鹿村はわずかに早口で問うた。

「……おい、薫。何だあいつ」

「北条嶺介くん。最近仲良いんだぁ」

 桃園の微笑みはどこか蕩けるようで、彼に魅せられているのは明らかで。ごくり、と唾を飲み込み、鹿村はかすかに震える声で問いを重ねる。

「……お前、例の山田はもういいのかよ」

「んー? 山田くんのことは好きだけど? でも北条くんみたいな妖しげな魅力もたまんないんだよねぇ……何より北条くんは薫のために協力してくれてる……薫のことを想ってくれてる。惹かれないわけがないじゃん……」

 蕩けるような光を浮かべた瞳。胸の前で結ばれた手。どこか夢見るような微笑み。だけどそれは、鹿村の瞳には悪魔に魅了されているかのように映って。ぎり、歯を噛み締め、再び北条を睨む。

(アイツ……薫に、何やったんだ……!)



「よろしくお願いしまーす」

「よろしくお願いします」

 一礼し、じゃんけんで先攻後攻を決める。結果は桃園が先攻。ラケットを握り、彼は体育館を見回す。北条は微笑みながらこちらを見つめてくれているけれど、肝心の本命である山田の姿は見当たらなくて。一瞬目を伏せ、ふるふると首を横に振る。

(……大丈夫。ここで勝ったら北条くんが褒めてくれるって言ってたし……!)

「絶対勝つよ! 壮五、覚悟ーっ!」

「――ッ!?」

 気の抜けた声とともに放たれたのは――スマッシュじみたサーブだった。ギリギリで打ち返したかと思えば、ドロップが降ってくる。アイドルの身体能力で何とか打ち返したかと思えばハイクリアが飛んできて――バックステップで捉え、スマッシュで撃ち抜く。……と思ったら、ネットに弾かれて。スローモーションで落下するシャトルを見つめ、鹿村はラケットを強く握りしめた。

(普段ならこんなとこで失敗しねーのに……い、いや、これからだ!)


 ――そうはいうものの。

 桃園が打ってくる手は無駄に多彩で、鹿村は中盤まで翻弄されっぱなしで。ハイクリアにドロップで打ち返せばヘアピンが降ってくるし、ドライブからスマッシュ打ってきたりもするし、と、鹿村はオールバックだった黒髪を振り乱して叫んだ。

「……まだまだこれからだっつの! カッコ悪いとこ見せるわけにはいかねーんだよゴルァ!!」

 キッと睨んだ桃園の瞳は、やはりいつもの純粋な光ではない。まるで蛇が絡みついているかのような闇があって。それはきっと北条とかいう長髪に植え付けられたものだろうが、鹿村が好む純粋さとは正反対で。

(……まずは勝つ。そんで試合が終わったら、ひっぱたくッ!)


 飛んできたシャトルを打ち返し、ネットのそばを狙った一撃を執念で上げる。ハイクリアで返されてもめげずに捉え、逆にスマッシュを放った。それはネットぎりぎりを掠め、風切り音を上げながら桃園のコートに落下する。信じられない、というように桃園の目が見開かれた。その肌にかすかに鳥肌が立つ。

「……あ、れ?」

「いいか薫! お前はこんくらい真っ直ぐでいいんだよ! セコい手なんて使うんじゃねえぞゴルァ!!」

 平手打ちをするように言葉を投げつけ、荒く息を吐く。鹿村の眉間には皴が寄っていたけれど、それは演技ではなくて。きょとん、と見つめ返してくる桃園に、さらに叩きつける。

「惑わされてんじゃねえ、騙されてんじゃねえ! お前はお前のままでいりゃいいんだよ……単純バカなお前のままで!!」

 大きく息を吐き、鹿村はシャトルを構える。

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