第36話 北条嶺介には関わるな

「ねーねー山田くん、薫の話きいてよー」

「……」

 甘えるような桃園の声をガン無視し、山田は詰将棋の本を片手に購買の麻婆丼を口に運んでいた。体育祭期間が始まって、一週間ほどが経ったある日の昼休み。いくら無視されても懲りずに話しかけまくる桃園をちらりと見て、神風と分け合ったサンドイッチを味わいつつ、御門は口を開く。

「君も懲りないよね……望みないのに」

「ひどいっ!?」

「だってそうじゃん。山田は爽馬のことしか考えてない。他の連中は眼中にすらないんだよ。そのくらい見てわかんない?」

「うっ……で、でもでも、諦めきれないじゃーん! それに何より、薫にはすっごいアドバイザーがいるんだから! ぜーったい大丈夫だよ!」

 ――すっごいアドバイザー。その言葉に、山田の眉がぴくりと動いた。本から勢いよく顔を上げ、彼は桃園に視線を向ける。

「……何だ、そのアドバイザーってのは」

 その声はどこか硬く、まるで警戒した動物のように。珍しく震えた声に、神風は思わず山田をじっと見つめた。桃園は口元に指を当て、その“すっごいアドバイザー”の特徴を口にする。

「えっとね、看護科の、髪が長い男の子でね――」

「止めろッ」

 鋭い一喝に、桃園はびくりと震えた。ゆっくりと首を傾げ、山田の眼鏡越しの視線を見つめる。山田の瞳はまるで追い詰められた探偵のようで、崖の端に立ち尽くしているかのようで。桃園を鋭く睨み、彼は少しだけ早口で言葉を叩きつける。

「――。ろくな結末を迎えない」

「……そう?」

「バッドエンドを迎えたくなければ今すぐ手を切れ。いいな」

 それだけ言って、山田は桃園から視線を逸らした。麻婆丼の最後の一口を飲み込むと、席を立つ。教室をあとにする後ろ姿を見送り、桃園はスカートの横で拳を握りしめた。教室の窓から風が吹き込み、色素薄めの茶髪が表情を隠す。

「……だからって、山田くんのことは諦めきれないもん……薫は従うよ、あの人に」




「山っ、スタっ……待って!」

 特別教室棟、人気のない廊下。投げかけられた声に振り返ると、茶髪を振り乱した神風が立っていた。彼は先程の山田の様子を思い返しつつ、案じるように口を開く。

「ねえ……なんかさっき、様子がおかしかったけど……大丈夫なのかい?」

「……っ」

 刹那、山田の脳裏で古傷のような痛みが走った。思わず頭を押さえ、息を吐く。一瞬で脳裏に広がったのは、忘れかけていた少年の表情。焦げ茶色の癖の強い髪、切れ長の黒い瞳、きちっと着こなした中学校の制服。優しい声、綿毛のような笑顔、その手の温もり。そして、それを覆した悪魔北条と、幽鬼のようなの後ろ姿。

(……森永もりなが)

「……山田があんなに感情を表に出すなんて、滅多にないじゃないか……どう考えても普通じゃないよ。その、北条って人と……何か、あったのかい?」

「……」

 口を開きかけて、閉じる。思い出すのはの虚ろな瞳。きれいな肌は襲われた直後のように青白くて、雨に濡れた身体はひどく震えていて。差し出した手を冷たく払い、はナイフを振りかざすように泣き叫んだ。

『……愛なんて、もう、信じられないよ……っ』


(……森永……)

 懐かしい名前を脳裏で呼ぶと、再び電流のような頭痛が走った。優しい彼の瞳を虚ろに塗り替え、北条が笑う、詐欺師のように笑う。山田は一度強く目を閉じ、醜い笑顔を脳裏から振り払った。目を開き、神風の心配そうな瞳を見返す。

「……何でもない。気にしなくていい」

「そんなわけ――」

「知らないほうが幸せだ。いいか、北条嶺介には絶対に関わるな」

 神風の言葉に被せるように、山田は言い放つ。その瞳にの虚ろな瞳がよぎり、消えていく。神風はどこか悲しそうな光を瞳に浮かべ、懇願するように口を開いた。

「……本当に辛かったら、ボクに言ってね。力になるから……」

 ――その言葉はあまりにも純粋で、夜を知らぬタンポポのようで。拳に爪を立てる山田の瞳に、青い硬質の炎が宿る。目の前にいる神風を、繋いだ手を握り返してくれる相手を。

(……守らないと……今度こそ、俺が……)



「……様子がおかしいぞ。神風」

「……ううん、そんなことないよ。気にしないで」

 カミカゼ・ホールディングス系列の運動場を貸し切っての、特進リレーチームの練習の休憩時間。犬飼の問いに神風は笑ってそう返すけれども、どこかその笑顔はぎこちなくて。ジト目で彼を見つめる犬飼の隣から、スポーツドリンクを飲みつつ昴小路が顔を出す。

「本当にそんなことない人は『そんなことない』って言いませんよー。絶対何かあったでしょ。郁君、心当たりないんですか?」

 問われ、犬飼は今日一日のことを思い返す。朝は普通だった。午前の授業でも特に何もなかった。となると昼休みか……と、虚空を見つめる。勉強しながらもクラスの会話にはある程度耳を傾けているつもりだ。どこかおかしいところといえば……。

「……桃園か? 桃園と山田が何か話していた気がするが。それと何か関係あるのか?」

「ううん、本当に、何もないから……」

 ゆっくりと首を横に振り、力なく微笑む神風。だけどその瞳には、拭いきれないほどの陰が揺蕩っていて。その瞳から思わず顔を逸らし、犬飼は言葉を探しあぐねるように床に視線を這わせる。小さく息を吐き、昴小路はいつものごとく犬飼にひっついた。

「おい、ひっつくな。何度言わせる」

「そこまで思い悩むなんて、どうせ恋人絡みでしょう? なんか深刻な話っぽいですけど……適当な友達にでも相談すべきだと、僕は思いますね。郁君じゃないんですから、それなりに友達いるでしょ? たとえば御門君とか」

「……」

 興味なさげな声に、神風は顔を上げた。彼は犬飼を撫でたり、頬を引っ張ったりしつつ、どうでもよさそうに虚空を見つめている。犬飼は嫌そうに顔をしかめつつも、振り払おうとはしない。そんな二人を見つめ、神風は思わず吹き出した。一瞬で茹で上がった顔色のまま、犬飼は噛みつくように叫ぶ。

「おっ、おい! 何故笑う!」

「いや、なんか、仲良いなぁって思ってね……ふふっ」

「そうです、僕たちは仲がいいんです。ねー郁君?」

「貴様は黙ってろッ!」

 ひっついたままの昴小路に言い放つが、それでも犬飼は彼の腕を振りほどこうとはしない。そんな二人にひとしきり笑ったのち、神風は口を開いた。

「……ありがとう、二人とも。なんか、少し気が楽になったよ」

「ふん」

 黄色いラナンキュラスが咲くような笑顔に、犬飼は神風から顔を逸らしつつ腕を組む。少し嬉しそうに顔を赤らめつつ、言い放った。

「当然だな。この俺が励ましてやったんだ」

「言っときますけど、郁君何も言ってませんからね? そんなだから友達が」

「やかましいッ!」

 その頬の熱さが急に別の意味を持つ。いつも通りのニコニコとした笑みを崩さない昴小路に、犬飼は噛みつくように叫んだ。その様を微笑みながら眺めつつ、神風は一つ頷く。

(……帰ったら、辰也に電話かけよう。きっと、わかってくれるはずだし)

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