第35話 おかしくなっちまいそうだ

「……なんでクレアがいんの?」

 広いサッカー場の片隅。無神経にストレッチをしている赤髪を見つめ、御門は思わず眉を寄せた。当の赤髪――クラレンスは軽やかに宙返りし、御門の肩に手を置く。

「いいだろ、オレも向こうじゃサッカー部だったし」

「サッカー部の人間はサッカーに立候補できないって聞いてない?」

「こっちじゃ帰宅部だからいいんだよ! つーかお前だって立候補してるじゃん! 人のこと言えなくね!?」

「まぁ、そうなんだけどさ」

 クラレンスの手を振り払い、御門は白ジャージの襟を直す。軽くウォームアップを始めつつ、続けた。

「特進の生徒は2年1学期で部活やめるのは通例だけど? 僕は最初から留学したかったから、鶴天じゃ部活に入んなかったし? ……ゴールドバーグじゃ君にしつこいくらい勧誘されて入部したはいいけど、結局ずっとベンチ要員だったし。君みたいに小学校からずっとサッカーやってた人間とは違うんだよ。なのに何で君が球技大会に出るの? チートかましたいの?」

「チートだぁ!? Hey、それどっちの意味だよ!?」

「勿論、日本のサブカル的な意味だけど?」

That's meanひでぇ!」

 赤髪を振り乱して騒ぐクラレンスを無視し、御門は彼の額をパチンッと弾く。

Ouchいてぇ!?」

「出場競技変更してきなよ……」

「いやいやいや、もう全員出場競技決まっちまったし! もう遅いって! っていうか黙ってりゃいいだろ! バレなきゃいいんだよ!」

「……ふーん?」

 一気に半目になり、御門はくるりと踵を返した。大きく息を吸い込み、他のサッカー参加者たちに向けて叫ぶ。

「みんな聞いてー。この赤髪、チートだよー」

「うわあああやめろタツヤ!! 頼むからやめろー!!」

「ふふ、冗談だよ」

 タンポポの綿毛が舞うように笑顔を浮かべ、御門は再びクラレンスの額を弾く。

「でも、やるなら手は抜かないでよね?」

「わかってるよ! 俺の本気、見せてやるぜ!」



「……参りました。ありがとうございました」

「ありがとうございました」

 あっさりとB組代表を破り、山田は対戦相手に軽く一礼する。これで三人全員に勝利し、球技大会本番のエキシビションマッチに彼が出場するのことが確定した。礼を返し、B組代表は癖の強い黒髪を掻きながら口を開く。

「……何がどうなってこうなったんだ? 手が変則的すぎて読めないっつーか……A組の。山田だっけ? どういう戦法使ったんだ?」

 頭の上に大量のクエスチョンマークを並べ立てるB組代表に、山田は指した手を思い返しながら駒を片付けはじめる。

「……角道オープンの振り飛車を軸に、いろいろ組み合わせて、なんか適当に」

「……なるほど、わからん。わけがわからないよ。まるで意味がわからんぞ!」

「……兄さん、何でそんなに元ネタある台詞を乱用するんだ?」

「ぼくがそうするべきだと思ってるからだ!!」

「全く……」

 やれやれと溜め息を吐き、B組代表の弟らしき癖っ毛にピン留めの1年生が口を開く。

「でも適当にやって勝てるってどういうことなんですか先輩……傍から見てても何がどうなってるのか、さっぱりわからない手でしたよ……」

「わけがわからないまま負けたんだが……いくら何でも変則的すぎるだろ……」

「……」

「せめて何か言いましょう?」

 癖っ毛の1年生の言葉に、山田は頬杖をついた。特に何を思うわけでもなく、適当に口を開く。

「……まぁでも、やるからには勝ちたいから。練習、付き合え」

「もちろん! そのエニグマ的戦法、是非とも解読したいし!」

「兄さん……ちょっと何言ってるか分かんない……」



「来てくれたんだな。薫ちゃん」

「……北条くん」

 残暑はまだ厳しい。バドミントンの練習の直後で全身に汗が滲み、白いセーラー服が肌にはりつく。だけど、それ以上に嫌な脂汗が浮かんでいて。心臓は警鐘を鳴らすようにバクバクとうるさいけれど、それでも足は彼のもとに歩み寄っていて。

「短い間だったけど、お前に会いたくて会いたくて仕方なかった……」

 体育館裏には人気はない。大きな影に包まれ、北条は老女の皮をかぶった狼のように桃園に歩み寄る。彼のどこか引きつった頬をなぞり、毒を吹き込むように耳を寄せた。

「お前が好きすぎて……おかしくなっちまいそうだ」

「や、やめてよ……薫には、好きな人、いるし……」

「わかってるよ……けど、どうしても誘惑したくなっちまうな……困る」

 蠱惑的な言葉を吐き、彼は桃園の首に手を回した。ひっ、と声を漏らす首筋に手を這わせ、髪に触れる。

「悪い癖なんだよ。いい男を見つけたら、つい手を出したくなっちまう……やめられないもんはやめられないんだよ。わかるだろ? 誰に何と言われたって女の格好を貫く、お前なら」

 桃園の髪の毛先に指を絡め、北条は妖艶に微笑む。桃園の心臓はひたすらに警鐘を鳴らすけれど、脚がすくんで動けなくて。ひゅうひゅうと音を立てる喉から無理やり息を吸い込み、胸の間に震える手を入れる。

「……はなしてっ」

「嫌だね。……おれはお前のとりこになっちまった……抑えられる気がしねえんだ……」

「いやっ……!」

 更に拒絶しようとする桃園の唇に顔を寄せ、強引に唇を塞ぐ。残暑はまだ厳しく、人気のない体育館裏はひどく暗い。ヒグラシの声が哀調を誘う中、桃園の脚から力が抜けた。全身が弛緩し、仰向けに倒れかける。一度顔を離し、抱きしめ直した桃園の身体は、かすかに痙攣していて。光を失った瞳をじっと見つめ、北条は深く笑った。――それはまるで、詐欺師がカモを見るように、醜く。

「ほ、北条、く……」

「っと……もうすぐ帰んなきゃじゃないか? 車まで送るぞ。ついでに連絡先交換しよう。いつでも連絡取れるように、な?」

「……んっ……」

 力なく頷く桃園から片手を離し、そっとお姫様抱っこをした。熱い風に揺れる茶髪を見つめながら、北条は媚薬のような言葉を吐き出す。

「よかったらこれからは、プライベートで会いてぇよな……」



「……はぁ……はぁ……はぁ……」

 看護科棟の水道の前で、北条は荒く息を吐いていた。何度もうがいを繰り返し、荒っぽく口元を拭う。

「……ふぅ……」

 息を吐き、鏡の中の自分を睨む。前髪が乱れていて、ピンク色のネクタイも少し緩んでいて。血走った瞳と目を合わせながら、彼は唇を噛む。

(……憎いよ……スターライト……お前のせいで、どうでもいい奴とキスしちまったじゃねえか……)

 どうでもいい感触が消えなくて、柘榴色の唇を幾度も拭う。そう、どうでもいいのだ。さらさらの茶髪も、きめ細やかな肌も、ぱっちりとした茶色の瞳も、ヒバリのように愛らしい声も、全て――どうでもいい。

(スターライトは今のところアイツには興味がないようだが……それでも、おれにとって邪魔であることには変わりない。今のうちに、消しておかないと……そして思い知らせるんだ、おれの愛を。なんかに見向きもさせないくらいにッ)

 荒く息を吐き、脳裏に別の茶髪を描く。ぎり、と歯を食いしばり、血走った瞳が鏡の中の自分を睨んだ。心臓はひたすらに荒く鼓動を刻み、まるで遠くから響くバスドラムのように。

(憎い、憎い……憎いッ! そこはおれの場所なのに……スターライトはおれのものなのにッ! おれだけの一等星なのにッ! 何を我が物顔で傍にいるんだ……思い上がるな、身の程知らずがッ!)

「……絶対に、潰す」

 低く呟き、足早に水道を離れる。背中で一括りにした黒髪をなびかせ、玄関に向かっていった。

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