第34話 天然ジゴロだったんですね

「……で、神風。自信はあるのか?」

「それなりには。一応、体力はそれなりにあるはずだし」

「……だろうな」

 そう返しつつ、犬飼は内心頭を抱えていた。隣を歩く神風の笑顔はあまりにも眩しくて、白地に臙脂色のラインが入った指定のジャージも爽やかに着こなし、まるで隙がなくて。言いたいこともろくに言えない自分はさしずめ、向日葵の足元に隠れた雑草だろうか。

(こんなだから、振り向いてもらえないんだ……言いたいことを素直に言える力が、俺にあれば……っ!)

 神風から顔を背け、足早に集合場所に向かいながら……犬飼は爪が刺さるほどに拳を握りしめる。


「あっ! 郁君ー!」

 校庭の片隅の白ジャージ集団の中で、見知った影が大きく手を振った。少し長めの茶色の猫毛、楕円形をした眼鏡、大型犬のような人懐こい瞳。腐れ縁の相手に出くわしたかのように、犬飼は顔を歪める。

「……何故、貴様がいる」

「いやぁ、郁君だったらリレー出るんじゃないかと思って。僕も立候補させてもらいました!」

「そういうことじゃない。何故立候補したんだと聞いてる」

「だって郁君の傍にいたかったんですよ。いいでしょう?」

 大型犬が尻尾を振るように微笑みを浮かべ、昴小路は犬飼に走り寄る。二人を一歩引いたところから見つめ、神風は呟いた。

「二人は仲がいいんだね。確か、生徒会で一緒なんだっけ?」

「そうですよ神風君」

「おい、ひっつくな昴小路」

「いいじゃないですかー。あと、いい加減名前で呼んでくださいよー」

 犬飼の背中にひっついたまま、昴小路は眼鏡の奥の瞳を細めて神風を見やる。

「……でも神風君、だいぶ郁君に気に入られてるみたいですねぇ」

「……そう、かな」

 曖昧に微笑む神風だが、その表情はどこか硬い。昴小路はそんな彼を舐め回すように見つめ、蛇が舌なめずりをするように深く微笑んだ。

「……?」

「郁君ー。彼のどこを気に入ったんですかぁ?」

「き、貴様には関係ないッ」

 後ろから抱きついてくる昴小路を振り払おうと手を伸ばしつつ、犬飼は噛みつくように言い放つ。そのままの勢いで神風を睨み、銃を乱射するように言い放った。

「そもそも俺は別にこいつを気に入ってるわけじゃないッ。負けたくないだけだッ」

「……本当に?」

「ああ、本当だ。断じて気に入ってるわけじゃないッ。ましてや――」

 好きになんかなっていない、と言おうとして、犬飼は慌てて口を塞いだ。無意味に体温が上がっていく中、昴小路の鋭い視線が彼に突き刺さる。

「……ましてや、何ですか?」

「な、何でもないッ! いいからさっさと練習するぞ、これも特進の誇りを守るためだッ!」

「いや、犬飼……まだ全員そろってないみたいだよ?」

 その言葉に犬飼が見回すと、まだ他のメンバーは到着していないようで。思わず頭を抱える犬飼を覗き込み、神風は問う。

「……犬飼、さっきから様子おかしいよ? 何かあったの?」

「なっ、なななななな何でもないッ! 構うなッ!」

 一気に顔を赤く染め、窮鼠のように言い放つ犬飼。そんな彼と神風を見比べ、昴小路は半目で呟いた。

「……神風君って天然ジゴロだったんですね」

「いや、そんなことはないよ……?」



「それにしても何で球技大会なのに、オセロとか将棋とかあるんだろうね。不思議」

「運動できない奴に配慮した結果らしい」

 色素薄めの茶髪を揺らし、桃園は山田の周囲をくるくると回る。どうでもよさそうに応じつつ、山田は足早に地理教室に向かう。

「っていうか山田くん、将棋できるんだー」

「……」

「壮五はできないんだよねー。あと薫は麻雀の方が好きだなぁ」

「……」

「とことん会話しないねっ!?」

 無言を貫く山田に、何を思ったか腕を取ってひっつきはじめる桃園。勢いよくそれを振り払い、山田は桃園に視線もむけないまま口を開いた。

「何でついてくる」

「だって薫も同じ方向だもん。薫ね、バドミントンのシングルに立候補してるんだけど、バドの会場こっち側だから、途中まで一緒に行きたくて!」

「一人で行け」

「ひどいっ!?」

 スネアのドラムロールのように山田の周囲を高速で周りながら、桃園はヒバリのように語る。軽い竜巻すら起きそうな勢いで走り回る桃園に、山田は思わず立ち止まった。冷たい目で彼を眺め、小さく息を吐く。

「遠足の時あんなに優しかったのにー! 山田くんはいつからこんなに冷たくなっちゃったのさー!」

「……歩けない。遅刻する」

「……ごめん」

 あっさりと立ち止まり、俯いて指先をつつき合わせる桃園。山田はそんな彼を無視し、地理教室の扉を開けた。



「うぅ……山田くんひどいよー……」

 山田が消えていった扉を見つめ、桃園の呟きが虚空に消えていく。と――カツン、と軽い足音。何気なく桃園が振り返ると、そこには一人の少年が佇んでいた。

「……なぁ、お前、もしかしてスターライトのクラスメイトか?」

「そうだけど……君は?」

 桃園の薄茶色の視線の先で、背中で一括りにした黒髪が揺れる。看護科を示すピンク色のネクタイが目を引き、泣き黒子の傍で茶色の瞳が瞬く。どこか青白い肌をした彼は、白蛇のように妖艶に微笑む。

「――看護科アイ組、北条ほうじょう嶺介りょうすけ。よろしくな、A組の?」

「桃園薫だよ。よろしく!」

 兎のように無邪気に笑う桃園に、長髪の少年――北条は薄く笑った。一歩間合いを詰め、問う。

「……早速だけど、さっきの君たちの話は聞かせてもらったよ。スターライトは将棋に出るんだって?」

「うん。なんでかはよくわかんないけど」

「そっか、わかった」

 黒髪を揺らして頷き、もう一歩桃園に間合いを詰める。

「因みになんでかっていうと、小学生の時に暇つぶしでスマホに将棋アプリ入れてみたら思いのほか楽しかったから、らしいよ」

「……なんでそんなこと知ってるの?」

「さぁな」

 薄く笑ってはぐらかし、北条はさらに一歩桃園に歩み寄った。その顎をつまみ、白蛇が睨むように薄く微笑む。

「……で、お前はスターライトの何だ?」

「……ッ!?」

 刹那、桃園の背筋を悪寒が駆け抜ける。北条の声は底冷えがするようで、桃園の身が蛙のようにすくむ。その全身がかすかに震えるけれど、目の前の男から視線を外せない。まるで彼の瞳という檻に囚われたかのように。そんな彼を見下し、北条は彼に顔を寄せた。舐めるように、ねっとりと、言葉を吐き出す。


「……お前は可愛いな。目がぱっちりしてて、髪の毛がさらさらで、肌が綺麗で。男の子とは思えないくらいだ。お世辞抜きで言うけど、テクさえ知れば普通の男なら余裕で落ちるだろうな」

「……やめてよ。そんな台詞、壮五の練習台で聞き飽きてる」

「やめねえよ……」

 もう片方の手で桃園の背中を捕まえ、セーラー服越しに背骨をなぞる。がくがくと震える背中を撫で、熱い吐息のように呟いた。

「……惚れちまったかもしれない」

「っ!?」

 蠱惑的な声は、桃園の脳裏でエコーがかかって響いた。全身に毒が回るように頭がくらくらする。脚から力が抜けそうになって、北条に支えられて。彼の瞳から目が離せないままの桃園の身体が、毒に冒されたかのように熱をもっていく。

(この人、確信犯だ……壮五より悪質だ……けど、けど……っ!)

「ははっ……ドキドキしちゃった? そういうところも可愛いな」

「……っ!」

 蛇が舌なめずりをするように言い放ち、北条は彼の首に手を這わせた。熱病に浮かされたような心地の中、桃園は目を見開いたままびくりと震える。そんな彼の耳に口を寄せたまま、北条は甘く、毒を仕込むように囁いた。

「――だから、応援するよ。おれ実は、スターライトとは少なからず縁があったからさ、色々と協力できるぞ。……好きなんだろ、スターライトのこと?」

「うっ……えっ……」

「……決まりだな。それじゃあ7時、第1体育館裏で……待ってるからな?」

 そう言い残し、北条は桃園から手を離した。へなへなとへたり込み、桃園は去っていく彼を、その背中で揺れる黒髪を見つめる。毒に冒されたかのように乱れる心臓を落ち着かせようと深呼吸しつつ、座り込んだまましばらく動けなかった。

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