第31話 また会えるのが楽しみだよ

「はぁー……講習も終わったね」

「明日からまた通常授業だがな。なんなら実テもあるし」

「野暮なこと言うんじゃないよ……っと」

 放課後、まだ明るい鶴天の玄関先。着信音が控えめに響き、神風は鞄からスマートフォンを取り出した。着信画面に表示されている「辰也」の文字に、神風はトロイメライの旋律のように微笑んだ。横からそれを一瞥し、山田は問う。

「タツヤ……誰だ?」

御門みかど辰也。幼馴染だよ」

「……」

 幼馴染。その単語に、山田の眉がかすかに動く。神風は何も気づかず、スマートフォンを耳に当てた。

「もしもし、辰也?」

『やぁ、久しぶり、爽馬。元気にしてたかな?』

 電話の向こうから流れてきたのは、オルゴールのような響きをもった少年の声。いつも通りの、猫が喉を鳴らすような声。

「まあね。そっちは?」

『それなりに上手くやってるよ。でも寂しいったらないよ……何せ、大事な幼馴染がいないんだから』

「全く、しょうがないなぁ辰也は……」

 猫がすり寄るような声に、苦笑しつつも目を細める神風。彼は腕時計に視線を向け、何気なく問うた。

「そっちは今、どこ? もう日本に着いてるのかい?」

『一応はね。ちょっと前から日本にいるよ。ちょっと時差ボケでしんどいけど』

「9時間くらい時差あるもんね……お疲れ様。明日テストだけど、大丈夫そう?」

『心配しないで。だいぶ元に戻ってきたし、勉強の方も問題ないはず』

「そっか、ならよかった」

 安心したように微笑む神風と、その表情に影を落とす山田。電話の向こうで御門は猫がそっと離れるように口を開く。

『それじゃあ、名残惜しいけど今日はこの辺で。また明日、学校でね?』

「ああ、またね、辰也」

 小さく手を振るような声を最後に、電話は切れる。小さく息を吐いてスマートフォンを鞄に丁寧に仕舞う神風に、山田は未だに眉根を寄せたまま問い直す。

「……幼馴染なのか?」

「そうそう。幼稚舎の頃からずっと友達でね。イギリスに留学してたけど、2学期からはまた日本で過ごすんだって。嬉しいなぁ」

「……嬉しい、のか」

「そりゃそうだよ。一番の友達だもん」

「……一番」

 何度かその言葉を脳裏で繰り返し、山田は視線を伏せた。ブルーブラックの瞳に一瞬、蛇のような光が過ぎ、消えていく。雲が流れる空を見上げながら、何気ない風を装って問うた。

「……そいつは何で留学したんだ?」

「見聞を広めたかったからだって。あとオックスフォード大学に留学したいから、語学力を強化したいっていうのもあるみたい」

「オックスフォード……文系か」

「そうそう。2学期からは同じクラスだよ。仲良くしてよね」

「……」

「何でそこで沈黙するかな……」

 やっぱり山田は自分以外には興味がないのか、と、どこかこそばゆい気持ちを抱えつつも額を押さえる神風。

(嬉しいけど、確かに嬉しいけど、正直山田の将来が心配だよ……)

「――俺のことは名前で呼んでくれないのか?」

「だから、君はもうちょっと他人に興味を――え?」

 小言を続けようとして――不意に神風の思考が、止まった。脳裏で山田の言葉にエコーがかかり、徐々に頬に熱が上がっていく。言葉の意味が徐々に脳裏に浸透してゆき、薬缶の中の水が沸騰するように脳が茹で上がっていき――……

「うぅ……名前呼びはまだ恥ずかしいっていうか……その……よ、呼んでほしいならそう言ってよッ!!」

「いや、やっぱ駄目だ……とダブる」

「どっちなんだい!? っていうか何て呼んでほしいか真剣に考えないでくれないか!?」

 顎に手を当てて沈思黙考する山田に、思考回路が半分バーストしたまま突っ込む神風。しかしその横顔は氷像のように美しく、肌はきめ細やかに整っていて。やがて山田は顎から手を離し、小さく息を吐いた。流れる雲を見上げながら、呟く。

「……スターライトでもいいか。爽馬だし」

「いやだからどっちなんだい!?」

「好きに呼べ。苗字以外なら」

「えっ、ええっ!? ちょっと待ってよ山っ……スタっ……うぅ」

 名前呼びをしようとして口ごもり、思わず顔を覆う神風。そんな彼の頭をを無意識に撫でつつ、山田は頷く。

(うん、かわいい)



「……はぁ~……」

 スマートフォンを耳から離し、ソフトショートの黒髪の少年が息を吐いた。その表情は砂糖菓子のように甘く、まるで猫が伸びをするように。その背後で赤毛をウルフカットにした少年が、からかうように口を開く。

「Hey、タツヤ。今の電話、彼氏か?」

「違うし。ただの幼馴染だし」

Liar嘘つけ! あのデレ方はどう考えても恋人だろーよ」

「違うから。……まぁ大好きだけどね、片思いだよ、片思い」

 うそぶきつつも、その表情は猫が尻尾をぴんと立てているようなもので。赤毛の少年は両手を頭の後ろで組み、盛大に笑う。

「ハッハハ、そりゃーご苦労なこった!」

「うるさいよ……」

 ぷいっと少年から顔を逸らし、黒髪の少年――御門はどうでもよさそうに問う。

「っていうかクレア、何で日本までついてきたわけ? ロンドンにずっといりゃいいじゃん」

「Huh? そんなの決まってんだろ!」

 クレアと呼ばれた赤髪の少年は椅子から勢い良く立ち上がり、バレエダンサーのように軽やかにターンした。ビシッと御門を指さし、白い歯を見せて言い放つ。

「行ってみたいんだよ。秋葉原!」

「勝手に行けばいいじゃん。僕についてくる必要なくない?」

「分かってねーな。日本人の友達に案内してほしいんだよ!」

「いや、クレア普通に日本語上手いし、一人でも行けるでしょ?」

「行けるとか行けないとかそういう問題じゃねー! もっとストレートに言うぞ、オレはタツヤと一緒に行きてーの!」

「嫌だよめんどくさい」

 クレアから顔を逸らしたまま、御門は口を尖らせつつさらに続ける。

「っていうかそれだけならまだしも、クラスこそ違うけど僕の高校に留学して、トドメに僕の家にホームステイする必要なくない?」

「……はぁあ……本ッ当、わかってねーな」

 一転、深く溜め息を吐き、クレアは大股で御門に近づくと、両手を天に掲げた。

アイ!」

「うるさい」

「LOVE!」

「黙って」

「YOU!!」

「無理」

「WHAT!?」

「イギリス人なのにアメリカ人っぽいリアクションやめて」

 無駄なオーバーリアクションで御門から離れるクレアに背を向け、御門は溜め息を吐く。再びスマートフォンを手にし、待ち受け画面を見つめる。そこに映るのは、留学前に神風と二人で撮った写真。

「……待っててね、爽馬。また会えるのが楽しみだよ……!」

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