第26話 そういうの、禁止

「わぁ……結構混んでるね」

「そりゃ、花火大会だからな」

 浮間舟渡駅前。まだ明るい駅前は、浴衣姿の人々でごった返していた。色鮮やかな人波の中、二人の白い夏服はひどく眩しい。余計な荷物と一緒に臙脂色のネクタイも駅のコインロッカーに置いてきた二人は、今だけは何も背負わない普通の高校生で。神風はサーカスを楽しみにする少年のように目を細め、山田に視線を向けた。

「さぁ、行こうか、山田」

「ああ」

 神風の声に短く答え、その手を神風の左手に滑らせる。思わず立ち止まる神風にじっと見つめられ、山田はいつもの無表情で口を開いた。

「……はぐれたら、困る」

「山田……」

 明るい茶色の瞳を見開き、神風はカスミソウの花が揺れるように微笑んだ。微かに頬を染め、口を開く。

「……いつもありがとう」

「別に。……行くぞ」

「うん」

 歩き出すと、神風も足並みを揃えてついてきた。その手がそっと握り返され、人差し指の根元にひんやりとした感触が届く。それは、いつかに渡した指輪の感触。ひどく胸が熱いのは、きっと夏の熱気のせいだけではなくて。胸に湧き上がる感情を吐き出すように息を吐き、神風の手を握る手をわずかに強めた。



「屋台もだんだん増えてきたね。わくわくするよ」

「ああ。祭りって感じだ」

 少しずつ闇に包まれていく空の下、地上に点在する屋台は風情ある輝きを見せていた。規制が厳しいのか、そこまで派手な光ではないが、だからこそ良いというべきか。不意に山田は神風と手を繋いだまま、屋台の一つに近づいた。その軒先に並ぶもの見て、首を傾げる神風。

「……お面? 何で?」

 ファンシーな動物のお面が並ぶ中に、稲荷神社でもないのに狐のお面が混じっている。山田はそれを指さし、屋台の店主に声をかけた。

「すみません、それ二つ」

「はいよ」

「え、待って、二つって……」

 店主が狐のお面を陳列棚から外し、二つ山田に渡す。対価を渡しつつ、山田はそれらを受け取った。片方の紐を咥えつつ、緋色の紐を器用に結ぶ。彼の頭の横で笑っている狐を眺め、神風はふと呟いた。

「……なんていうか、山田って狐似合うよね」

「そうか?」

「ずるいところはないけど、つかみどころがないところとか」

 抱きしめてもふらりと抜け出してどこかに行ってしまいそうなところとか。そう言おうとして、神風は言葉を飲み込んだ。それ以前にまず、自分から抱きしめられる気がしない。山田は多分気を悪くしたりはしないだろうけど、これは神風自身の問題であって……などと考えていると、頭の方にこそばゆい感覚。アスファルトに向けていた視線を上げると、山田は神風の頭に同じお面を結んでいた。

「あっ……」

「祭りといえばこれだろ」

 手早く紐を結び終え、神風の頭をぽんぽんと叩く。心臓の鼓動がじわじわと激しくなっていくのを感じながら、神風は片手で顔を覆った。土日も講習でスケジュールが埋まり、浴衣を着ることもできなかった中で、精一杯祭りの雰囲気を出そうとしていることは察するにあまりあって。不意に山田の手が神風の手に伸び、顔からそっと手を離す。顔に火が付いたように一気に赤面する神風に、山田はそっと囁く。

「……そういうの、禁止」

「……っ」

 真っ直ぐな瞳にじっと見つめられ、神風の頬に更に熱がこもっていく。耐えきれずに震える瞳を正面から見つめ、山田は恋人の手に腕輪をめるように語りかけた。

「俺たち付き合ってるんだから。そういうの禁止」

「うぅ……ごめん」

「わかればいい。……爽馬はどこか見たい屋台、あるか?」

「うーん……ボクは色々見てるだけで楽しいな。こういうの見る機会、あんまりないからさ」

「分かった。じゃあ、行くぞ」

 また神風の手を取り、次の扉を開けるように歩き出す山田に、神風は本当に言いたかった言葉を飲み込む。きっと彼には、言わなくても伝わっているはずだから。

(――ただ、今は。君との時間を、ただ楽しんでいたいな)

 彼は山田に連れられるまま、綿菓子のような足取りで歩き出す。



 ――そして、そんな二人を人込みに紛れながら見つめる視線。

「……あの茶髪、友達か?」

 ホットドッグにかぶりつきながら声を潜めているのは、ガタイのいい金髪の男性。紺色の男性ものの浴衣に、銀色のタグ状のペンダントを下げ、耳には銀色のピアスをいくつもあけている。日焼けした顔立ちは、ネットに顔出ししても特に問題なさげに整っていた。……口の横についたソースを差し引けば、だが。

「いや、友達って感じじゃなさそう。……でも、なんか見覚えあるような……」

 かき氷をかき込みながら同じく抑えた声で応えるのは、ブルーブラックの豊かな巻き毛の女性。真っ赤な蝶柄の浴衣に黄色い帯を締め、髪にかんざしを挿した女性は、横の男性とは逆に色白だ。きめ細やかな肌に華やかな化粧を施した彼女は、かき氷を一気に食べすぎたのかこめかみを押さえる。

 道行く人々が振り返っては苦笑し、あるいはみっともないと顔を背けていく。美形揃いではあるのだが……それを打ち消して余りあるほどに、残念な二人組であった。しかし、そんな視線など気にせず、二人は山田と神風の様子を追う。

「……お、たこ焼き買いに行った」

「お祭りのたこ焼きってタコが固いのよねぇ……やっぱたこ焼きは『金だこ』に限るわ」

「本当それだな、ママ」

「わかってるわねブルースカイさん。さすがにVTuberは格が違った」

「それほどでもない」

 何故かブロント語で言い合いつつも、山田と神風の様子からは目を離さない。あちこちの屋台を巡り、夕食を確保したり金魚すくいで遊んだり、仲睦まじい様を見つめ……ブルースカイと呼ばれた男性は呟いた。


「……デートにしか見えん」

「うーん、言われてみれば」

 何もない限りはずっと手を繋いでいるわ、山田が神風の頭を撫でたりもするわ、言われてみればどう見てもカップルである。が、山田は男だ。神風も男だ。ブルースカイはママと呼んだ女性の袖を引き、一旦二人から離れる。予定よりは少し早めだが、自分たちの指定席に向かって歩速を上げた。草履の音を立てて人込みの中を過ぎながら、ブルースカイは口元のソースを拭い、任務を遂行するスパイのように問う。

「……どうする?」

「どうもこうも、作戦に変更はないわ。行くわよ、ブルースカイ工作員」

「了解。ジャンヌ工作員」

 短い言葉で互いの意思を確かめ合い、頷き合う。今後の動向を一瞬で決め、颯爽と人込みの中を歩いていく。二人とも、真面目な顔さえしていれば道行く人が振り返る程度には美形なのだが……突如ジャンヌと呼ばれた女性が立ち止まり、つんのめりつつもブルースカイも足を止める。それでもアクション俳優のような表情を崩さずに、彼は問う。

「――どうした」

「……ついでにクレープ買っていっていい?」

「仕方ないなぁママは。折角だから俺もシャーピン買ってくわ」

「あ、わたあめも食べたいわ……」

 子供のように屋台に視線を向けるジャンヌと、そんな彼女に一気に相好を崩すブルースカイ。当初の目的である二人の少年を完全に忘れている様子で、仲睦まじくクレープの屋台に近づいていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る