第27話 お前の幸せが俺の幸せだから
いたばし花火大会というイベントは、実質的には板橋区と隣の戸田市の合同イベントだ。屋台という観点なら戸田市側の方が充実しているが、板橋区側のように屋台が点在しているのもまた趣深い。
「それにしても、本当にいろんな屋台があるね。見てるだけですごく楽しいよ」
「そうか。……よかった」
吐息のような薄紅の声に、神風は思わず微笑みを零す。山田の表情は変わらないけれど、それでもその声には優しく抱きしめてくれるようないたわりに満ちていて。繋いだ手をそっと解き、指を絡める。不意に山田は腕時計に視線を向け、神風に向き直る。
「……楽しんでるとこ悪いが、そろそろ席に行こう」
「あっ、そ、そうだね。えぇっと……」
「こっちだ」
ぐっ、と神風の手を引っ張り、山田は歩き出す。握った手を離さぬようにそっと力を籠め、神風も彼に連れられるままに歩き出した。
◇
「ここだ」
連れてこられたのは、階段状の土手の片隅。まだ人影はまばらで、すぐ近くに金髪の男性とブルーブラックの巻き毛の女性が座っているくらいだ。チケットに記された席に着くと、山田はさり気なくハンカチを取り出した。無言で神風の席に敷き、自分はその隣にさっさと腰を下ろす。完全にハンカチを取り出すタイミングを見失い、硬直する神風に、山田は促すように口を開く。
「……座っていいんだぞ」
「いや、その……」
「別に。気にするな」
神風からふいっと視線を逸らし、山田は空を見上げる。都会の空に星はないけれど、よく晴れた夜空にはひどく細い月が浮かんでいる。こんな月も嫌いじゃない――などと考えながらそれを見ているその横で、神風はそれとは逆に俯いていた。
(……これじゃ、何度『ありがとう』って言っても足りないじゃないか。行動で返そうにも、その隙が無いし……どうすればいいんだろう)
そんなことを考えていると、不意に山田の視線が神風を捉え――気付いた時には、既に神風は山田の腕の中にいて。事態を把握した瞬間、火の粉が舞うように頬に熱が上がる。心臓が音を立てて鼓動する中、山田は彼の耳に口を寄せた。
「……お前は俺の隣で、幸せそうに笑ってりゃ、それでいい」
「……そんな、そんなこと言ったら……」
「お前の幸せが俺の幸せだから。むしろお前に悩まれると、こっちが調子が狂う」
「……っ」
綿あめのような甘い言葉が、神風の心臓をどろどろに溶かしていく。破裂しそうなほどに頬に熱が集まる中、山田の体温はただ優しく届いて。必死に理性を保とうと短い爪を手のひらに立てながらも、笑顔がこぼれるのが抑えられなくて。
「……どこまで甘やかせば、気が済むんだい……」
ただ、蜂蜜のように甘い心地のままに、言葉を吐く。
「……で、親父とお袋はいつになったら声かけてくるんだ」
「!!?」
淡々と吐かれた言葉に、ビクゥッと神風の全身が痙攣した。一気に正気に引き戻され、触れられるほど近くにいる山田に詰め寄る。
「ちょっと待ってよ!! 親っ、親御さんがいらっしゃってるのかい!?」
「ああ。そこに」
一旦神風を離し、すぐ後ろを親指で指す。そこにいるのは紺色の浴衣を纏ったガタイのいい金髪の男性と、ブルーブラックの髪を華やかな巻き毛にした赤い浴衣の女性。二人は何を思ったのか、両手を合わせて山田と神風を拝んでいる。彼らと山田を数度見比べ、神風は俯きつつも片手を前に差し出した。
「……ちょっと待って、ツッコミが追い付かない」
「無理にツッコむ必要もないんだが」
「いやいやいや、この状況をツッコまずにいられるかい!? 大体どうして山田のご両親がいるんだい、仕事だって言ってたよね!?」
「……いや、最初からそんな仕事ないぞ?」
「え?」
金髪の男性がさらりと放った言葉に、神風の思考が一瞬停止する。その隣で巻き毛の女性もあっさりと口を開く。
「
「いや、一昨日対中関税第4弾が決定したばっかりじゃ――って、そうじゃなくてッ!」
バタバタと両手を振り、神風は大きく深呼吸をする。一つ咳払いをし、立ち上がった。違う意味で心臓がバクバクとうるさい中、平常を装って微笑みを浮かべる。
「……お初にお目にかかります。
「えっ!? 神風、カミカゼですって!?」
思わず立ち上がったのは巻き毛の女性だった。あわあわとその両手が空中を彷徨う。震える瞳で神風を見つめ、声を上げかける彼女に、被せるように山田は口を開いた。
「か、カミカゼって、あの――」
「声がでかい」
「ご、ごめん……」
女性が一度座り直すのに合わせ、神風も腰を下ろす。女性は一度咳払いし、人当たりのいい微笑みを見せた。
「こちらこそお初にお目にかかりますわ。私、デイトレーダーをしております、山田ジャンヌ。こちらはVTuber『onioni』こと、山田
「よろしくなぁ!」
「はい、よろしくお願いします」
こちらも人当たりの良い笑顔を浮かべつつ、神風は内心、猛烈に納得していた。
(……うん、このネーミングセンス、絶対遺伝だ……!)
不意に景色が鮮やかに輝き、四人は一斉に川の方向に視線を向ける。
「わー、上がった!」
「すごいなー!」
どこかでカップルが歓声を上げた。オープニングセレモニーとばかりにスターマインが乱発され、夜空を鮮やかに彩っていく。
「わぁ、始まったねぇ……!」
「ああ……」
赤、緑、橙、様々な夏の色が二人の横顔を照らし出していく。徐々に大玉も上がるようになり、そのペースも上がっていった。バスドラムを打つような音が響き、七色に染まる夜空はまるでバラッドを歌うように。不意に無数の花火が
「すごいね……綺麗だね」
「……ああ」
言葉少なに、それでもその声はあの花火を写し取ったかのように鮮やかで。夏を閉じ込めたような花火を見上げたまま、どちらからともなく手を滑らせる。神風の手に山田の手がそっと重なり、二人の視線がぶつかった。少しくすぐったそうに微笑む神風に、山田は無表情のまま軽く頷いてみせる。
「……尊い……」
「てぇてぇ……」
そんな二人をまた拝む親たち。台無しである。
◇
バスドラムのような音が空に響き、大きめの花火が夜空に咲き誇る。一時間半にわたり続いてきた花火大会も、間もなく終わりを告げようとしていた。大小さまざま、一万発を越える花火たちの饗宴が、更にボルテージを上げていく。
「……本当に、綺麗だね」
「ああ。……だが、本番はこの後だ」
大小さまざまな花火が夜空を彩る中、山田は夜空に視線を向けながら呟く。と、空に今までで一番大きな花が咲いた。同規模の大玉花火が次々と打ち上がり、観客のカウントアップが響く。東京最大とされる尺五寸玉の連打は、見る者を呑み込むような圧倒的な美しさを誇っていた。思わず息を呑む神風、相変わらずの無表情でそれを眺める山田。カウントが60に達すると同時、小さな花火たちが次々と打ち上がった。それらは徐々に大きく、派手に、華やかになっていき、饗宴の終わりへ向けてボルテージを上げていく。
『――いたばし花火の新名物、天空のナイアガラでフィナーレです』
そんなアナウンスが響くと同時、四人の目の前に無数のスターマインが上がった。新星が炸裂するような暴力的な美しさに、神風は思わず目を奪われる。正に『ナイアガラの滝』の名を冠するにふさわしい華やかさ。それを見上げながら、山田は囁く。
「……これが見せたかった。きっと、喜んでくれると思って」
いつもの無表情ながら、その言葉はミムラスの花を差し出すように。神風はその言葉に、胸の中に
「……ありがとう。凄く、凄く楽しかったよ!」
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