第21話 俺はお前を愛してる
「……爽馬くん……」
華やかな衣装を着替えることもせず、エレンは口を開いた。俯いたままの神風を見上げ、震える両手を握りしめたまま。
「……これでおしまい、なの?」
「……本当に、申し訳ないと思ってる」
その言葉は罪人が持つ岩のように、ひどく重く響いた。思わず目を見開き、エレンは再び細かく震えだした。ペリドットを思わせる瞳が細かく揺れる。握りしめた両手に爪が刺さり、細く血が流れた。それでも、凶器を振り下ろすように、神風は語る。
「……好きになってしまったんだ。誰よりも……エレンよりも、山田のことが。勿論、エレンのことがどうでもよくなった訳じゃないけど……だけど、断言できる。山田以上に好きになる人なんて、いないって……ッ!」
「……」
その語尾が震えているようで、エレンははっと顔を上げる。その声帯が震え、手を差し伸べるような声が零れ落ちた。
「……何で、泣きそうなの」
「え……っ」
その言葉に、神風はエレンの瞳を覗き込む。そこに映る自分の瞳は、確かに揺れていて。彼は唇を引き結び、罪人のように俯く。
(……泣く権利なんて、ボクにはないのに)
人を好きになってしまったのは神風で、別れを切り出したのも神風で。そんな自分が涙を流すのは、手ひどい裏切りのように思えて。気を抜くと涙が溢れてしまいそうだ。それを必死に
「こんな、自分勝手な理由で、大事だった人を、裏切るなんて……人間として、最低じゃないか……ッ。こんなの、絶対に許されない……それでもボクは、あいつの気持ちに応えたくて。あいつの気持ちに応えるには、こうするしかなくてッ」
「爽馬くん」
エレンは神風に一歩近づき、口を開いた。その声は天使が真実を告げるようで、神風は思わず口を閉ざす。
「……恋愛なんて、最初から自分勝手だよ。許しも何も最初からない。……私だって、私が爽馬くんを好きになったから付き合っただけだもん。その時は、爽馬くんがどう思うかなんて、考えたこともなかった。第一……最初から、釣り合わない恋だったもの」
「そんな……エレン、自分を責めるようなこと言わないでくれよ」
「そう言うなら……爽馬くんも、自分を責めちゃダメ。恋愛に、許しも何もないんだもの。爽馬くんは優しすぎるけど……それでも、恋愛の時くらいは自由になってもいいと思うの」
「……」
エレンの言葉は真っ直ぐに神風の胸に届き、すとんと落ちた。それはまるで、次の道に進む神風の背を、春風がそっと押すように。神風は両手で目をこすり、エレンを見つめ返した。その瞳はいつも通りの真っ直ぐさで、エレンは桃色のグラジオラスが咲くように微笑む。
「……ありがとう、エレン。そして、本当にごめん」
「ううん、いいんだよ……どうか、幸せになって」
スイートピーの花を差し出すようなエレンの微笑みに、神風もカンパニュラの花が咲くように笑う。……零れそうになる涙を、必死に
◇
「ねーねーエレン」
「……」
2年C組の屋台。浴衣姿のまま、百合愛は隣に座るエレンに寄りかかる。二人の担当は注文取りとお金の受け渡し。しかし劇が終わってから、エレンはずっと元気がない。魂が抜けたかのようだ。一応仕事はしっかりしているけれど……どうにも、様子がおかしくて。
「もしかしてフラれた?」
「……っ!」
――スパァン、と乾いた音が響いた。景色が翻り、百合愛は自分の頬が打たれたことに気付く。頬をさすりながらエレンに視線を戻すと……彼女は俯いたまま、細かく震えていた。思わず口元を引きつらせ、百合愛は口を開く。
「……なんか、ごめん」
「……いいの。こっちこそごめんね」
エレンは片手を下ろし、ぽつぽつと語り出す。
「……爽馬くんは誠実に説明してくれた。実は前々から悩んでた感じがしてたし、何より爽馬くんがあの人に惹かれてたのはわかってた……それがわかった時点で私から別れておけばよかったとも思う。その方が爽馬くんは幸せだっただろうから。けど、それは問題じゃないの」
エレンはキッと百合愛を睨み、口を開く。思わずたじろぐ百合愛に、インパチェンスのような鮮烈な言葉が投げかけられた。
「問題は、なんであの人なのかってこと。確かにあの人の気持ちは本物だと思うよ。爽馬くんのこともわかってあげてると思う。けど……なんか納得いかないの」
「……納得いかない、ねー……」
頭の後ろで腕を組み、百合愛は空を見上げる。悲しいほど青い夏空に、蝉の声が吸い込まれていく。雲一つない空を見上げ、彼女はふと呟いた。
「しょーじき、あたしはエレンと神風って奴が付き合ってること自体、納得いってなかったけどなー」
「……?」
「エレンには、あたしの方がお似合いだと思うんだよ、ね」
どうでもよさそうに、それでも天使が手を差し伸べるように、呟く。エレンは自分のスカートの皴を見つめたまま、ぽつりと呟いた。
「……そんなこと、急に言われても、困るよ」
◇
学園の片隅、太陽が燦然と射し込む中庭。植えられた木々が夏の光を浴びて生い茂っている中に、幾つかのベンチが置いてある。山田は無言のまま中庭に入ると、ベンチの一つに座っている茶髪に声をかけた。
「……爽馬」
「山田……」
神風は顔を上げ、力なく笑う。そんな彼の隣に腰を下ろし、山田は晴れ渡る空を見上げた。対照的に俯きながら、神風はぽつりと呟いた。
「……エレンとは、別れた」
「……そうか」
空から目を離さないまま、山田はただ応じる。神風は自嘲的に笑い、どこか濡れたような声を零した。
「……エレンはああ言ってくれたけど。ボクたちのこと、応援してくれるみたいだけど。それでも……申し訳ないったら」
「……」
「ボクの勝手な都合で、エレンを傷つけた。エレンは笑って許してくれたけど……それでもボク自身が、ボクを許せなくて……っ」
血を吐くような、手首を切るような声だった。山田は空から視線を外し、彼を見つめる。神風は湿った溜め息を吐き、零す。
「誰かを傷つけても、好きな人を選ぶなんて……そんな身勝手、許されていいのかな? それは本当に正しいのかな? 自分の選択が間違ったものであるように思えて仕方ないんだ……」
神風は自身の両手を握りしめ、零れそうになる涙を
「……それでも、キミが好きだなんて。許されて、いいのかな……?」
――と、背中に手を回された。抱き寄せられたかと思うと、唇を塞がれて。頬に熱が上がると同時に、口にしようとした言葉が一瞬ですべて砕け散る。それは暴力的な甘やかしとでもいうべきもので、金平糖のように甘く、渦潮のように激しく、そしてあたたかい手を繋ぐように優しく。
数秒の口づけののち、山田は神風から顔を離した。呆然と見つめてくる彼の瞳を正面から見つめ、言い放つ。
「……お前の気持ちを、許せないなんて。お前自身にも言わせない」
「……山、田」
「俺はお前を愛してる。その俺が
十一本の薔薇の花束を差し出すような言葉に、神風の瞳が潤む。山田の背に腕を回し、肩に顎を置いて、呟いた。
「山田」
「なんだ」
「……泣いていい?」
「勿論」
その声はやっぱり淡々としていて、それでも綿毛を手で包むような優しさにあふれていて。堰を切ったように、大粒の涙が溢れ出す。だけどそれは春の日差しにタンポポが咲くように、ひどくあたたかくて。山田はそんな彼の背を無言で
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