第18話 ホワイトデーまでには
『それではこれより「鶴天祭」、開幕です――!!』
生徒会長の掛け声と同時、ステージと2階席から派手なクラッカーの音。オープニングセレモニーに集った生徒たちはもれなくリボンまみれになりながら、「鶴天祭」への期待感をあらわにしていく。そんな大講堂の片隅、犬飼は暗幕の前に立ったまま、『鶴天祭』の進行表を確認する。
『鶴天祭』は2日間、土日通しての開催。
広い芝生広場では普通科C組~F組の各クラスが屋台を出店している。校内では家政科や看護科、一部文化部の展示が行われている。それらの監査も犬飼たち生徒会の大切な仕事だ。
「郁君、郁君、どの屋台から回りますか? 僕は2年E組のフランクフルトが食べたいです!」
決して隣でふざけたことをのたまっている昴小路のように、遊び目的で屋台を巡ってはならない。あくまで目的は監査である。
「あー、でも生活科学部のケーキも美味しそうですねぇ……茶道部の方にも行ってみたいです。どこから回るか迷いますよー。ね、郁君」
「ふざけるな。生徒会の仕事は遊びじゃないんだ」
「郁君は真面目ですねー。ちょっとくらい肩の力を抜いてもいいと思いますよ?」
「うるさい」
ひっついてくる昴小路を引っぺがし、犬飼は再び進行表に目を落とす。ステージ発表の日程も確認しなければ。ステージ発表は大講堂と第1体育館、そして芝生広場の3か所で行われる。芝生広場は吹奏楽部と軽音楽部がメインの発表団体。第1体育館は演劇部や映画部の発表のほか、のど自慢大会や男装女装コンテスト、書道部のパフォーマンスなどが行われる。そして大講堂は、芸能科と特進コースの発表が主だ。
「ところで郁君のクラスは映画やるんでしたよね? 僕たちB組はバンド演奏に合わせて皆でダンスするんです! 是非見に来てください!」
「興味ない」
「そんなぁ! 僕、今日のために頑張ってベースの腕磨いたんですよ! ちょっとくらい聴いてくれたっていいじゃないですかー!」
散歩は中止と言われた大型犬のように、昴小路は必死で講義する。それでも冷淡な顔を続ける犬飼は、不意に彼に背を向けた。
「……とりあえず、展示回るぞ」
「やったー! 郁君、フランクフルト食べに行きましょう!」
「勘違いするな。これは監査だ。まずは家政科のブースからだ」
犬が尻尾を振るように昴小路は犬飼の隣に並ぶ。……なお、犬飼は監査監査言っているが、その実情は意外と緩かったりするのだが。
◇
――芝生広場の片隅。吹奏楽部が奏でるラブソングを聞きながら、山田と神風は並んで歩いていた。アイ●の実入りのサイダー片手に屋台を眺めている神風と、タピオカミルクティー片手にそんな彼を眺める山田。ミッション系の高校らしく、芝生広場には何人もの天使や聖人の像が配置されているが、そのうちの一つの前で神風は足を止めた。
「……あぁ、これか」
呼応して山田も足を止め、像を見上げる。長い杖を持ち、緩いローブを纏った一人の天使。
「――大天使ラヴィエル。キリスト教の天使の中でも相当マイナーな天使。職能からして、多分ローマ神話のクピド辺りとごっちゃになったんだろうね。キリスト教の中でも相当珍しい事例だよ。聖書の中にも名前が出てこなくて、ラヴィエルってのも校内で呼ばれてる俗称だし」
そんなマイナーな天使の像から視線を外し、神風は山田に語り掛ける。
「知ってるかい? ホワイトデーにこの像の前で愛を誓いあうと、その二人は永遠に結ばれるって話」
「……聞いたことはある。離任式が毎年ホワイトデーのはずだが、ここで愛を誓い合ったついでに恩師に会いに行く卒業生も一定数いるって話だよな」
「そうそう」
ブロンズでできた像は何も言わない。ただ、生徒たちを見守っている。山田も像から視線を外し、神風に向き直った。
「……ホワイトデーまでには、決着つけろよ」
「え、あ……えっ!?」
――それはきっと、『エレンとのことにけりをつけろ』という意味のはずで。サイダーのカップを取り落としそうになり、慌てて持ち直す。頬を赤く染めながら、神風は頷く。その明るい茶色の髪を無意識に撫でながら、山田はいつもの無表情のままながらも満足げに頷いた。
(……うん、かわいい)
◇
――芝生広場の演奏は軽音楽部に切り替わって久しい。時計塔を見上げると、もうすぐ1時というところだった。ベンチから立ち上がり、山田はそこそこ遠いゴミ箱に焼きそばの空容器を投げ入れる。見事命中した空容器を眺め、山田に視線を移し、神風は苦い顔で口を開いた。
「いや、山田、ゴミを投げるんじゃないよ……」
「……そろそろ時間だ」
「あぁ、もうすぐクラス発表の時間なんだっけ……見に行こうか」
「俺は舞台挨拶に出る。また後で合流しよう」
そう言って山田は淡々とその場を離れていく。神風はポケットから生徒用プログラムを取り出し、時間を確認した。2年A組の映画『蒼穹に響け』は1時15分から。プログラムを仕舞い直し、神風も腰を上げた。
「……行かなきゃな」
全校生徒を収容できるほどの大きさの大講堂には、埋め尽くさんばかりの人が集まっていた。なんとか空席を見つけ出し、着席すると、大講堂中の電気が消される。同時に高い声がマイク越しに響いた。放送部の部員だろう。
『本日はご来場いただき、誠にありがとうございます。この度上演いたしますのは、鶴ヶ丘天使学園2年A組による演劇『蒼穹に響け』。30分という短い時間ではございますが、お付き合いいただけましたら幸いです。それでは、どうぞ』
放送部員の声が途切れると同時、スクリーンに光が灯る。映し出されたのは恋人らしく手を繋いだ桃園――蒼乃葵と、山田――内空閑響。仲睦まじく会話する二人の構図が、不意に引き裂かれた。信号無視して突進してくるトラック、横断歩道の上の二人。響が咄嗟に葵を突き飛ばし――世界が、暗転する。
暗転したまま救急車の音、救急隊員の声。葵の、声を殺したような嗚咽。次に光が灯ったのは葬儀のシーンだった。友人と思しき少女たちに気遣われながらも、葵は一言も声を発さない。ただ、ただ、涙に濡れて。葬儀の帰り道、一人とぼとぼと歩く彼女の前に、一人の少年が現れる。思わず見開いた葵の瞳から、違う意味の涙がこぼれて、止まらない。少年――響は笑って、告げるのだ。『お前を、救いに来た』と――。
(この内空閑響っていう人は……桃園の中の理想像なのかな。いつも大事な人のことを考えてくれて、いざって時は助けてくれるような……)
葵を救おうと奮闘する響を眺めながら、神風は取り留めのないことを考える。勿論山田の演技は非の打ち所がないものだったけれど、それ以上に、桃園が込めた意味が引っかかって。
(もしかして桃園は……山田のことが……)
『俺は……お前のことが好きなんだ!』
不意に投げかけられた言葉に、神風は思わず顔を上げた。スクリーンの中では響が葵の肩を掴み、必死の言葉を投げかけている。
『他の誰よりも、何よりも! そのためだけに、俺はこっちに降りてきたんだ。だから……笑ってくれよ。いつも通りに、声を聞かせてくれよ! それだけで、俺は救われるんだ……!』
どこか泣きそうな声。雨上がりの雫のような瞳で桃園は山田を見返す。その口がはくはくと動かされ……掠れた声が、小さく漏れ出した。
『……くん……響、くん』
「……山田……」
気付いた時には、神風の喉からも言葉が滑り落ちていた。
(もしかして……ううん、やっぱり山田は……)
きっと他の観客たちは、その瞳に涙を浮かべているだろう。けれど神風の瞳に浮かぶそれは、他の観客たちとは違う意味のもので。
『――お前以外いないだろ』
その言葉は、どれほどの覚悟を以て放たれた言葉なのか。
「……ありがとう……嬉しいよ、山田……」
あの時言えなかった言葉を、本当は言いたかった言葉を、自分にしか聞こえないように。
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