第17話 お前以外いないだろ

「……はぁ……」

「大丈夫? 爽馬くん」

 第1体育館、演劇部に割り当てられたステージ練習時間。その短い休憩中、神風は相も変わらず溜め息を吐いていた。中世の若き貴族風の衣装を纏った姿は、整った顔立ちも相まって、愁いを帯びた貴族の子弟のようだ。あまりにも絵になる姿に、同じく中世風のドレス姿のエレンが寄り添う。美しき恋人たちが寄り添う姿に、誰かが思わずため息を吐いた。神風にペットボトルの水を渡しつつ、エレンの緑色の瞳が心配そうな色を帯びる。

「鶴天祭期間始まってから、ずっと元気ないけど……何かあったの?」

 そう問うエレンは何も知らない。何せ、神風は何も言えないのだから。勿論エレンは彼女だし、本来ならば相談すべきなのだろうが……そうもいかなくて。

「……いや、なんでもないよ」

 できるだけ自然に笑ってみせたつもりだが、エレンはさらに心配そうに眉根を寄せた。

「なんでもなかったら、そんな顔しないはずだよ……何かあったら私に話してよ。力になるから」

「ありがとう……でも、本当に何でもないんだ」

 ゆっくりと首を振り、目を伏せたまま神風はペットボトルに口をつけた。一口飲み、蓋を閉める。その瞳に一瞬、まつ毛の影が落ちた。ここにはいない人を想い、彼は深く溜め息を吐く。

(あんなこと言われたなんて……エレンに、話せるわけがないじゃないか……)

 そんなことを言ったらエレンはきっと深く傷ついてしまう。他に相談できる人もいなくて、神風の胸の中で晴れない雲のように渦巻いていた。

「……本当にどうしようもなくなったら、言ってね。力になるから」

「……ありがとう。でも、本当に大丈夫だから……エレンは、何も気にしなくていいんだ」

「……」

 どこか不満そうな顔をするエレンに、神風はできるだけ自然に笑いかける。だけど、その表情にどこか陰があることに、神風自身も気付いていて。

「休憩終了! 次、ジュリエットと神父のシーンから!」

「はーい! じゃあ私、行くね」

 監督を務める生徒の声に、エレンがドレスの裾をつまんで駆けていく。その後ろ姿を上の空で追いつつ、神風はここにはいない人を想う。


(……山田……あれからずっと、話せてないや……)

 脳裏に浮かぶのは、彼の横顔。いつだって変わらない無表情。その瞳には何も浮かんでいなくて、その奥にあるのが何なのか、わからなくて。怒っているのか、傷ついているのか、それとも何も気にしていないのか。彼のことを想うたびに、心臓が痛む。まるで細い針が胸の奥に引っかかっているかのように。

(……声が、聞きたいなぁ)

 そういえば何日も彼の声を聞いていない気がする。山田という人は神風が絡まない限り、口すら開かない人間だったのか。そう気づいた瞬間、心臓が痛む。激しく、それでいて甘く、二人の指を絡み合わせるように。

(山田……山田、山田ッ)

 衣装が皴になるのも構わず、胸元を掴む。でないと……耐えられそうになくて。置き去りにされた子供のように、許されない恋をしてしまった娘のように。

(どうして、キミは……ッ)



『明日の放課後、練習が終わったら教室に来い』

 無造作なLINE。だけどそれは、久々の彼との接触で。神風の脳裏で短い文言が幾度も反響し、その度に心臓が甘く疼く。それは、彼と久々に話ができるのではないか、声が聞けるのではないかという期待であり、それ以上に――

(い、いやいや、ボクは何を考えているんだいッ)

 両の頬を叩き、前方を睨む。神風からも勿論言ってやりたいことはあった。それは、いくら山田でも許されざる暴言のことだったり……自身の過ちのことだったり。色々と思うところはあるけれど、話せるというそれだけで、今は十分で。

 ――教室の扉の前で足を止め、深呼吸する。中を覗こうとして――ガラァッ、と音を立てて扉が開いた。神風が目を見開くと同時、中からにゅっと手が伸び、神風の手を取る。思わず顔を上げ――眼鏡越しの瞳と、目が合った。

「……山田」

「爽馬」

 互いの名を呼び合い、見つめ合う。茜色に染まった教室の中、先に口に開いたのは山田だった。

「……すまなかった」

「えっ」

 思わず目を見開く神風。まさか、山田から謝ってくるとは思わなかった。いや、それ以上に……。

「……言うべきじゃなかった。あんな、無責任な」

「いや、ボクこそ……」

 いたたまれなくて、山田から目を逸らす。俯き、ぽつぽつと言葉を紡いだ。

「山田は、ボクのことを想って言ってくれたはずなのに……なのに、個人的な事情を押し付けて、傷つけちゃって……本当に、ごめんなさい」

「……別に、傷ついてないが」

「へ?」

 さらりと放たれた言葉に、神風は思わず顔を上げる。眼鏡越しの瞳はどこか雨上がりの雫のような光を宿していて。口にしようとした言葉が、溶けて消えてゆく。山田は神風の瞳をじっと見つめ、口を開いた。

「……むしろ俺が、傷つけちまった。少し考えればわかったはずなのに。好きな奴を傷つけるなんて、論外なのに。……本当に、申し訳ない」

「いや、いいんだよ……って、え?」

 思わず、聞き返す。先程告げられた言葉の中に、聞き捨てならない言葉があったような気がして。徐々に頬に熱がこもるのを感じながら、若干上ずった声を絞り出す。

「……待って、山田、今、何て言った?」

「いや、だから……本当に、申し訳ないって」

「その前」

「好きな奴を――」

「そう、そこ。……好きな奴って、誰のことだい?」

「誰って……」

 かすかに神風の声が震える中、山田はいつもの無表情で言い放つ。


「お前以外いないだろ」

「――ッ!?」

 心臓が跳ねる。全身の血液が頬に集まっていくような感覚。繋いだままの手がひどく熱い。山田の声が脳裏で幾度も反響して、全身が甘く痺れていくようだ。これでもかと激しく脈動する胸を押さえながら、神風は何度も深呼吸をした。

「……別に、今すぐ付き合えとは言わない。お前の準備ができたらでいいから。ただ、忘れないでくれ。俺は……」

「あっ、えとっ、山田っ!」

 クラリネットの独奏のような言葉を遮り、神風は甘く痛む心臓を押さえながらも告げる。

「その……本当は、ずっと考えてたんだ。あんなこと言われたって、キミのことをっ! その時点で、ボクの負けだ。……けど、ボクにはエレンがいる……から、その……」

 山田は彼の言葉を遮ることなく、ただ熱い手を握っている。胸を押さえながら、神風は必死に言葉を紡ぐ。まるで忠犬愛玩犬が、飼い主を必死に舐めているように。

「エレンのことに、決着をつけるまで……結論を出すのは、待ってほしいんだ」

「……わかってる。今すぐじゃなくていい」

「……本当にごめんね、山田。だから、それまでの間は……」

 神風の顔がひどく赤いのは、きっと教室に射し込む茜色の光のせいだけではない。


「――友達で、いてくれないか?」

 茜色の光を浴びながら、神風は山田を見つめる。その瞳はどこか潤んでいて、愛を乞う少女のようで。山田の表情は変わらないけれど、彼もまた茜色の光に照らされていて。おもむろに頷き、山田は彼の瞳を見つめ返す。

「……ああ、勿論」

 そして片手を伸ばし、その背をそっと抱き寄せた。神風の身体はひどくあたたかくて、それでも少し震えていて。

「……待ってるから」

 そう囁き、さらに強く神風を抱きしめる。繋いだ手を一度解き、指を絡め、さらに強く、強く。神風は最早声すら出ない様子で頷き、山田の胸に身を預けた。

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