第15話 別れちまえよ

「で? どうなんだよ薫、首尾は」

『完璧! 山田くんは無事に薫の恋人役になってくれたよ! これで疑似的にでも山田くんと恋人関係になれる……! も~薫、嬉しすぎて眠れないよー!!』

「ハハッ、そりゃよかったなぁ」

 鏡の前でヘアスタイルの研究をしつつ、鹿村はハンズフリーで薫と話す。毛先を遊ばせた黒髪は、どの角度から見ても美しく見えるように完璧に計算され尽くしている。形の良い眉、アーモンド形のきりりとした瞳、彫像のように完璧な形をした顔の輪郭。

(あぁ……やっぱり今日も“光ヶ丘夏輝”はイケメンだなぁ。男だろうと女だろうと関係なく虜にする、破壊的なまでの美しさ。流石、俺)

 ……だからこそ、と彼はぎりりと歯噛みする。何故、山田スターライトとかいう男は俺の虜にならなかったのか。それを言うならその隣にいた神風とかいう奴と、演劇部のハーフ女もそうだ。しかし、と彼は口元を吊り上げた。まだ自分の魅力が足りないならば、振り向かせるほどに磨くまで。そのために今だって、ヘアスタイル研究に勤しんでいる。クレンジング洗顔とパックも忘れない。

(――この程度で折れてはなんて、夢のまた夢だ)

「――山田は今回の映画で芸能活動に目覚める! そこを俺が改めてスカウトして芸能人に仕立て上げる! そのまま『俺ハーレム』に参加させる! さらに薫は山田と疑似恋愛できる! ハハッ……完璧だ」

『いや……山田くんが芸能活動に目覚めるとは限らなくない?』

「そこは薫の腕の見せ所だろうが」

『えー……薫も無理強いしたくはないよー? っていうか山田くんとの疑似恋愛に集中させてよー。それじゃ、またね』

「ちょ、おいッ」

 ――通話は一方的に切れた。鹿村は深く溜め息を吐き、再びヘアスタイル研究に勤しむ。

(まぁ……これがダメでも、他にも手はあるしなぁ)



「――爽馬くんッ!」

 翌日の帰りのホームルーム直後、息を切らして教室に入ってきたのはエレンだった。脚をもつれさせつつも神風に駆け寄り、音を立ててその机に手を突く。見開いた瞳で彼女を見つめる神風に、エレンは教父に縋るように口を開いた。

「お願い、爽馬くん、力を貸して」

「えっ? な、何があったんだい?」

「うちの部活の助っ人に来てほしいの」

「え……えっ!?」

 予想だにしない方向からの頼みに、神風は思わず声を上げる。エレンの部活、つまり……しかし、それは。

「待って、エレンの部活で演劇部……だよね? 確か『鶴天祭』でロミジュリやるって話で、エレンがジュリエット訳だって聞いた気がするけど、助っ人って……」

「うん、実は……」

 エレンはかすかに視線を落とし、臙脂色のスカーフの結び目を握る。不意に彼女はキッと視線を上げ、口を開いた。

「ロミオ役の男の子が骨折しちゃって……その代役、爽馬くんにやってほしいんだ」

「……え? でも、部活の中で代役って立てられなかったのかい?」

「うちの演劇部小さいから、そんな余裕ないよ……」

 目を伏せて首を横に振るエレンに、神風も俯く。臙脂色のスカーフを両手でぎゅっと掴み、エレンは続けた。

「今回の演目だって30人もいない部員のうちの13人が何かしらの役についてるし、監督や照明、音響、衣装、舞台美術なんかも含めたら到底足りないの。しかも主役だから、その辺の有象無象にやってもらうわけにはいかなくて……」

「有象無象って……」

 額を押さえつつ、神風は考える。主役ならば単純に台詞も多いし、高い演技力も必要とされる。しかもあの『ロミオとジュリエット』ならばなおさらだ。しかし、問題はそれだけではなくて。

「……でもうちのクラスでも映画やるし、セキュリティ上の問題もあるし……すっごく申し訳ないけど……」

「……」

 だらり、とエレンの腕が落ちた。俯いたまま、彼女は雪像のように沈黙する。言い過ぎたかな……と改めて口を開こうとした神風に被せるように、エレンは口を開いた。ペリドットのような瞳にまつ毛の影が落ち、その隅に涙が浮かぶ。彼女は片腕を抱きしめながら、まるで悲劇のヒロインのように。

「……そっか……ごめんね、無理言って」

「エレン……」

「わかってたの……でも、他に方法はなくって。爽馬くんが最後の砦だったんだけど……でも、仕方ないよね。分かった……今回の演劇は……」

「ちょ、ちょっと待ってよッ!」

 エレンが全てを言い終わらないうちに、神風は片手を伸ばした。未だ影が拭えない瞳のまま、彼女は神風を見上げる。見捨てられた姫君のように見上げてくるエレンに、神風は慎重に言葉を選びながら語りかける。

「そんな顔しないでよ……こっちこそ、ごめん。そこまで深刻な状況だって、わかってなくて……」

「……つまり、引き受けてくれるの?」

 捨てられた子犬のような光がエレンの瞳に宿る。ウッ、と神風の喉が詰まった。色々と問題があるのはわかっている、けれど、捨て置くわけにはいかなくて。

「……ああ。勿論だよ」

 喉に小骨が引っかかるような感覚を覚えながら、神風はそう答えるのだった。



「……別に、断ってよかったんだぞ」

 エレンが去ったのち、山田は台本に目を落としながら呟いた。それが自分に向けたものだと神風が気付くのに、数秒の間。ようやく理解し、神風は力なく微笑む。まるで、妹の我儘に付き合わされた兄のように。

「そんなわけにはいかないよ……エレンだって、大切な彼女だもの」

「大切……なぁ」

 パタリ、と音を立てて、山田は台本を閉じた。垂直に放り投げ、受け止めずに机の上に広げる。頬杖をついて神風を見つめ、教科書のページを閉じるように呟いた。


「なっ……何を言い出すんだいッ!!」

 しかしそれは、神風にとっては竜の逆鱗に触れられるのと同じで。思わず椅子を蹴立てて立ち上がり、声を荒らげる。対し、山田は表情を変えないままに言い放った。

「恋人だからって無茶言って相手に無理をさせるのは違う」

「……だからって、断るなんて……ボクにはできないよッ」

 脳裏に浮かぶのはガラスの仮面のような笑顔。そんな透明で、空虚で、今にも壊れそうな笑顔。……エレンにそんな顔をさせたのは、他でもない神風で。だからこそ彼はかすかに声を震わせながら反論する。対し、山田は神風を見つめたまま、子供に言い聞かせるように。

「神風は優しすぎる。そのせいで身を滅ぼすタイプだ。もっと自分に正直になってもいいと思う」

「……ッ!」

 神風の表情が一気に引きる。――それは、ある意味では正論だったのだろう。しかし神風にとっては、自分一人のために生きることはできない運命を背負っている神風にとっては、存在を冒涜されたかのようで。噛みつくように、毛を逆立てる猫のように、神風は声を荒らげる。

「そんなッ……そんなの、ボクにできるわけないじゃないか……ッ! どうしてそんなことが軽々しく言えるんだいッ、ボクがなのか知ってるくせにッ!」

 そう言って神風は鞄を引っ掴み、大股で教室を出ていく。それを追おうと立ち上がって……山田ははたと足を止めた。俯き、拳を握りしめる。

(……地雷、だったか)

 神風は大企業の御曹司で、日本有数の企業の跡継ぎになるはずの存在で。ならば尚更、『利己的になるな』とは教育されているはずだ。山田は握りしめた拳で自分の額を殴った。

(……少し考えれば、わかったはずなのに)

 軽く痛む拳を、じっと見つめる。口を開きかけ、もう一度閉じた。


(……俺だったら、恋人に無理なんてさせない、なんて)

 本当に言いたかった言葉を、薔薇の蕾のような言葉を、飲み込む。

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