第14話 みなまで言わせなくてもよかったじゃないか

「皆知っての通り『鶴天祭』が近づいている。今日のホームルームはその話だ」

 7時間目、ホームルーム。教壇に立つ犬飼が黒板に『鶴天祭』と記す。鶴ヶ丘天使学園文化祭、略して『鶴天祭』。普通の学校ならば大きく盛り上がるところなのだろうが……クラスの空気は冷風扇でも回しているように変わらない。空にかかる薄い雲のように、ぽつりと雨谷が呟く。

「……つっても、俺たち何もしなくね?」

「セキュリティ上の問題で出し物できないし……」

 それに雨取も呼応する。大企業の御曹司である神風をはじめ、鶴天特進コースの生徒はほとんどが上流階級の人間だ。当然、彼らを狙う者もいるわけで。いくらセキュリティに気をつけても、事故というものは起こりうる。ならば最初から何もしないのが最善策――というのが、鶴天の方針であった。

「……理屈はわかるんだけどさ、なんてゆーか、嫌だよな。青春奪われた、みたいな感じがして」

「いや……お前ら、普通に青春してるだろ」

 頭の後ろで腕を組んでぼやく雨宮に、犬飼はボソッと突っ込みを入れる。だが、一度手を叩いてクラス中の注目を集中させた彼は、黒板に堂々とした文字を載せた。


 ――『2年A組 発表内容決め』


「……え? どういうこと?」

 きょとんと目を丸くし、桃園が呟く。山田の隣で神風もかすかに目を見開く。一人を除いて驚いたような反応を見せるクラスメイト達を睥睨し、犬飼はドラクロワの『民衆を導く自由の女神』の如くチョークを掲げる。

「俺たちの青春を保証するため、生徒会一同ならびに各学年のA組B組議長は学園と交渉した。結果――教室を用いた展示はできないが、短時間のステージ発表なら許可する、という結論に至った。勿論セキュリティ対策はしっかりした上で、だ」

「おぉぉ!」

「流石生徒会!」

「生徒会サイコー!!」

 犬飼の堂々とした宣言に、クラス中からどよめきが漏れる。雨宮と桃園が調子よく感性を上げる。しかし――そこに水をぶっかける奴がいた。

「……犬なんとかもたまにはやるんだな」

「犬飼だ! いい加減覚えろ!」

 ――そう、山田だ。隣の神風が頭を抱える中、犬飼は仕切り直すように咳払いをする。

「んっ、んん。そこで今回のホームルームでは、何の発表をするか話し合おうと思う。何か案がある奴はいないか?」

「はいはーい!」

 早速元気よく手を挙げたのは桃園だった。色素薄めの茶髪を揺らして立ち上がり、満面の笑みで口を開く。

「薫、映画撮りたい! 主演は勿論薫で! ね、いいでしょ?」

「はぁ? 何を馬鹿な……」

「いや、いいと思うよ」

 ――思わぬところから助け舟が出された。不意の声に、クラス中の視線が集まったのは……神風。彼は何か考える素振りをみせながら、慎重に語る。

「映画だったら上映時はその場にいる必要がないから、セキュリティ上の問題もないはず。桃園さんは映画部だし、技術面も問題ないんじゃないかな。確かに編集とかも含めると急ピッチで進めなきゃいけないけど、その分、完成した時の達成感はひとしおだと思うな」

 そして彼は犬飼に視線を移した。心臓が派手に跳ね上がり、思わず口元を引きつらせる彼に、神風は控えめに問う。

「……どうかな?」

「まぁ……神風がそう言うなら」

 勢いよく振り向いて黒板に向き合い、カツカツと音を立てて『映画』と大きく殴り書く犬飼。チョークを持っていない手で頬を押さえ、大きく深呼吸する。それを一番後ろの席から眺め、山田は一つ頷いた。

(……ちょろいな)



「で……映画の中身はどうするんだ?」

「あ、脚本なら薫が書くね。映画部でも脚本書いたり演技指導したりしてるもん。任せてっ!」

 自慢げに胸元を叩き、宣言する。さらにその場でくるりと回りながら、歌うように桃園は口を開いた。

「でも実は、薫の中で計画は決まってるの。タイトルは『蒼穹に響け』!」

「おぉー! キレーなタイトルじゃーん!」

 雨谷の合いの手に気をよくしたのか、桃園は大きく両腕を広げ、夢見る乙女のような瞳で語りだす。

「普通の高校を舞台にした恋愛物語でね。主人公の蒼乃あおのあおい、つまり薫はごく平凡な高校生でね、内空閑うちくがひびきくんっていう男の子の友達がいてね。だけどある日、響くんはトラックに轢かれて死んじゃうの」

 桃園は少し眉尻を下げ、悲しそうに胸元に手を当てた。声のトーンにも緩急がつけられ、クラスの数名が息を呑む。

「それで、葵はショックで口を利けなくなっちゃうんだけど……そこに現れたのは響くん。なんと彼は葵の心を救うために、幽霊になって現れたんだ! 一週間という期限がある中で、葵を助けられないと、響くんは消えてしまう……ここに、二人の愛を賭けた、一週間の戦いが始まる!」

「おぉぉ……っ!」

 大きく腕を広げて言い放った桃園に、クラスのそこかしこから歓声が上がる。それをスポットライトのように一身に浴び、桃園は虹のような笑顔を浮かべた。両手を天井に掲げ――下ろし、山田をビシィッ! と指さす。

「ってわけで、響くん役には山田くんを指名するよ!」

「断る」

 桃園の方を見もしないまま、バッサリと一刀両断する山田。再び神風は額を押さえつつ、口を開く。

「そんなに即答で断らなくてもいいじゃないか……それにボク、山田はなんとなく演技上手そうだと思うんだけどな」

「……は?」

 珍しく目を見開き、コテンと小さく首を傾げる山田。それはまるで無邪気な子供のようで、あまり感情に浮かばない瞳には確かに純粋な光が宿っていて。

「……っ!」

 普段は見られない無防備な表情に、神風は思わず心臓を押さえた。その頬が徐々に赤く染まっていき、心なしか上ずった声を絞り出す。

「い、いや、その……なな、何となく、そんな気がっ、するんだよ。な、なんていうのかな……その……っ、見て、みたいんだよ、ね……山田が、演技してるとこ」

「……」

 眼鏡越しの瞳をかすかに見開いたまま、山田はじっと神風を見つめる。徐々にいつもの光に戻っていく視線に、ただでさえ高鳴っていた神風の心臓が破裂しそうなまでに加速し、彼はプルプルと細かく震えだし――……

「み……みなまで言わせなくてもよかったじゃないかッ!!」

 本当に彼の中で何かが破裂したように、机に突っ伏して震えだす神風。そんな彼をじっと見つめ、山田は満足げに頷く。

(……うん、かわいい)


「……で、どうすんの、山田くんっ」

「やる」

「華麗な手のひら返しっ!?」

 提案した桃園の方が吹っ飛んだ。その勢いで机に腰を打ち、うずくまる。神風とは違う意味で震えだす桃園をよそに、一部始終を静観していた犬飼は非常に何か言いたげな顔をしていたが……大きく溜め息を吐き、配役を黒板に記した。

「蒼乃葵役、桃園。内空閑響役、山田。……残りの配役は脚本が完成し次第考える。これでいいか?」

「いいよー」

「じゃあ桃園、脚本はできるだけ早く仕上げておけ。ホームルームはこれで終わり。残りの時間は各自、自習」

 律儀にも黒板に大きく『自習』と記し、教壇を下りていく犬飼。そんな彼から視線を外し、山田は自嘲的な笑みを吐き出した。

(……俺も大概ちょろいな。犬なんとかのことを言えないくらいだ)

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