第12話 そんなだから友達が

「……はぁ……」

 駅前広場の片隅のベンチに、目を引く金髪碧眼の少女の姿があった。ネオンに照らし出されるのは、フリルをふんだんにあしらった白いブラウスと黒のフレアスカート姿。少女の物憂げな表情に、道行く若者が思わず振り返る。しかし当の彼女――エレンはそれに気付く様子もなく、会えない人を想うように溜め息を吐き出す。隣に座っているのは、黒髪ツインテ姫カットの少女。白いワンピースの上に水色のロングカーデという私服姿の百合愛は見かねたように眉根を寄せ、両手で頬杖をついた。

「もー、エレンが落ち込んでるから遊びに連れてったのにさー、そんなにずーっと落ち込んでたら張り合いなくなるよー」

「……ごめんね、百合愛。でも、どうしても爽馬くんのことが気になって」

「でもさー……」

 顎の位置を一段階低くし、頬を膨らませる百合愛。エレンは俯いたまま、ぽつぽつと語りだした。

「……招待状、来なかったんだよね」

「……」

「爽馬くんに聞いてみたら、『家の意向で』って言ってたんだ。爽馬くんの友達は、A組とB組の人しか呼ばないって話で……」

 空気を読んだのか、百合愛は背筋を伸ばし、ただ黙ってエレンの言葉に耳を傾ける。黒いスカートをぎゅっと握りしめ、エレンは胸の痛みを吐き出すように声を絞り出した。

「……爽馬くん、すごく申し訳なさそうだった。爽馬くんもお父様を説得したみたいだけど、『まだ正式に婚約したわけじゃないからダメ』って言われたみたいで……爽馬くん、優しいから……きっと落ち込んでるだろうな……」

「エレン……」

 哀切な溜め息を吐くエレンに、百合愛は同じように視線を落とす。……実のところ、取引先のお偉い様の相手やら山田のせいやらでそれどころではなかったのだが……そうとも知らず、エレンは氷の結晶を少しずつ崩すように言葉を紡ぐ。

「私、実は特進受けたことあったんだけど……学力テストの点数が足りなくて。中学生の時、もっと頑張っておけば、今頃……なんて思っちゃうの……」

「……」

 再び溜め息を吐くエレンを見つめ……百合愛は不意に顔を上げた。頭の後ろで腕を組み、彼女は星の見えない空を見つめながら、口を開く。

「……エレンは、さ」

「……?」

「そうやって嘆いてるの、似合わないよ」

 その言葉に、エレンはゆっくりと顔を上げる。百合愛はどこか遠くを見つめたまま、星を落とすように言葉を紡ぐ。

「あたしはねー、エレンは笑ってる方が好き。優雅にニコニコしてるエレンが好き」

 ほんのわずかに頬を赤らめながら、百合愛はエレンに向き直った。落ちた星に見とれるような甘い瞳で、砂糖菓子のような言葉を届ける。

「……だからさ、笑ってよ、エレン」


 ――神風ってヤツも、その方が嬉しいだろうからさ。

 脳裏に浮かんだ言葉を、にへらっと笑ってみせた。



「郁君、郁君、何落ち込んでるんですかー?」

 きらびやかな催事場の片隅で、犬飼はひたすらオレンジジュースを飲んでいた。そこに降ってきたのは呑気な声。見上げると、茶色の猫毛に眼鏡をかけた長身の少年――昴小路の姿。

「……うるさい」

「相変わらずつれないですねー。そんなだから郁君には友達が」

「しつこい」

 きっぱりと言い放ち、犬飼は再びオレンジジュースに口をつける。そんな彼を見下ろしながら昴小路は片頬を膨らませ、口を開く。

「どーせ、また神風君への挨拶で失敗したんでしょ?」

「ッ!?」

 オレンジジュースを吹きかけて、犬飼はギリギリで踏みとどまった。仮にも都議会議員の息子である自分が、ここで醜態を晒すわけにはいかない――と、無理やりジュースを飲み込んで、昴小路に食ってかかる。

「『また』とは何だ、『また』とは」

「だって、いっつもじゃないですかー。郁君は口下手ですから」

「……っ」

 何も言い返せぬまま、犬飼はただ目を瞑る。


 思い出すのは先程の御挨拶。神風の親が他の大人と歓談している隙を見て、壊れそうなほど拍動する心臓を抑えつつ話しかける。

『……神風』

『あぁ、犬飼くん。来てくれてありがとう』

『……』

 その笑顔は天井から下りるシャンデリアよりも眩しくて、思わず視線を逸らしかけるが……『失礼な真似はするな』という両親の言いつけを思い出し、深呼吸。言うべきことを脳裏で幾度も反芻し、口を開き――……

『俺は……負けないからな』

 ――飛び出したのは、噛みつくような言葉だった。瞬間、暗い夜の波のような感情が押し寄せる中、呆然とする神風を置いて、犬飼はそそくさとその場をあとにするのだった。


「あーあ。そりゃ失敗しましたねー」

「うるさいッ」

 他人事のようにグラスを眺める昴小路に、犬飼は半ギレで言い放つ。それに気付いているのかいないのか、昴小路はジュースに口をつけ、犬飼に視線を向けた。

「郁君には、言葉にしなくても気持ちをわかってあげられる人が似合うと思うんですよねー」

「……例えば?」

「僕とか!」

 自分を指さしながらあっけらかんと言い放つ昴小路。犬飼はそんな彼を一瞥し、疲れ果てたように溜め息を吐いた。苦虫を嚙み潰したように言い放つ。

「……何が悲しくて、昴小路に慰められなきゃいけないんだ」

「だーかーらー、直嗣って名前で呼んでくださいよー」

「断る」

「もー、ひどいですよ郁君。そんなだから友達ができないんですよー」

「まだ言うか……」

 深く溜め息を吐き、犬飼は再びオレンジジュースを呷る。



「……本当にごめんね、エレン。……ううん、エレンのせいじゃないんだ。ボクが両親をちゃんと説得できていれば……」

「爽馬さま、ご友人よりお手紙が」

「えっ、ああ、うん、そこに置いといて。……ごめんねエレン、また明日ね」

 現恋人との電話を切り、神風は一通の手紙を手に取った。部屋をあとにする使用人を見送り、差出人の名前に目を向ける。

 ――Mikado Tatsuya.

 その名はトロイメライの響きを以て脳裏で再生させた。カミカゼ・ホールディングスのライバル企業の跡継ぎにして、イギリスの姉妹校に留学している幼馴染。ほんの数ヶ月会っていないだけだというのに、ひどく懐かしい。神風はペーパーナイフを手に取り、古いアルバムをそっと開くような心地で封を開ける。中に入っている手紙をそっと開き、丸っこい文字を静かに追い始めた。


 ――爽馬へ。

 久しぶりだね。僕がいない間、元気にしてたかな?

 まずは君の誕生日に、心からの祝福を。

 こっちは忙しくて、駆け付けられないのが残念でしかたないよ。

 でも二学期には日本に戻ってくる予定だから、その時は改めて、よろしくね。

 十七歳になった君の一年に、幸多からんことを。

 ――愛を込めて、辰也たつやより。


 封筒には、月長石ムーンストーンのキーホルダーが同封されていた。ひどく重く感じるそれを手に取り、神風は桜の蕾が綻ぶように微笑む。

「……辰也」

 無二の幼馴染からのプレゼント。部屋の光を浴び、それは白く輝く。神風は幼馴染に電話をかけようと、一度置いたスマートフォンを手に取った。

 ――しかし彼の指には、しっかりと忍冬の指輪がはめられていて。その輝きは何よりも強く、そして美しく。

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