第11話 永遠に結ばれていますように

「お帰り、スターライト。なんか手紙来てるぞー」

「……?」

 6月も後半のある日、自宅のリビングに入ると、ハンモックの上から男の声が降ってきた。見上げると、一通の白い封筒。受け取ると、『カミカゼ・ホールディングスより 誕生祝賀会のご案内』の文字。山田はハンモックの上にいるガタイのいい金髪――父を見上げ、問う。

「……これ何だ」

「御曹司の誕生パーティーだと。しかしVTuverとデイトレーダーの息子が何で呼ばれるんだ? 確かママがカミカゼ・ホールディングスの大株主だったよな? まさかその影響か?」

「いや……単にそいつがクラスメイトだからだと思う」

「あー、成程なぁ。納得」

「あぁお帰りスターライト」

 ――と、話を聞きつけたのか、どたどたと音を立てながら階段から女が現れる。家にもかかわらずグレーのスーツをビシッと着こなした彼女――山田の母は豊かな巻き毛を揺らし、彼の周囲をぐるぐると回りはじめた。

「聞いたわよ、カミカゼさんの一人息子のパーティーに呼ばれたんですって? 失礼のないようにするのよ、なんたって相手はカミカゼさんなんだから」

「いや、失礼も何も、クラスメイトに対してかしこまる必要ないだろ」

「まぁ、それもそうね」

 あっさりと持論を引っ込める母と豪快に笑い飛ばす父をよそに、山田は封を破り、中身を確かめる。

「……6月30日、か」

 ――それまでに、準備をしておかなければ。



「皆様、お集まりいただき、誠にありがとうございます。カミカゼ・ホールディングス会長の孫、神風爽馬と申します」

 カミカゼ・ホールディングス本社催事ホールには華やかな飾りつけがなされ、点在するテーブルには美味しそうな料理が並んでいた。会場のあちこちにSPが配置され、祝賀ムードの中にも時折ピリピリとした緊張感が交じる。6月30日、日曜日。壇上で挨拶をする神風を見つめながら、山田はしみじみと頷いた。

(……爽馬って、やっぱりすごい奴だったんだな。普段はそんなに感じないが)

 どうも思考が庶民寄りなのだよなぁ、と、ぼんやりと考える。それはそれで人々の気持ちがわかるという意味では、将来の経営者としては悪くないのかもしれない。だが、上流階級の人間としては困る事もありそうだと、素人なりに想像する。……とはいえ、VTuberとデイトレーダーという特殊な両親を持つ山田だ。早々に思考を放棄し、改めて神風を見つめる。

「――皆様、本日は心ゆくまで、ごゆっくりお楽しみください!」

 一礼し、神風が壇上を降りていく。と、山田は周囲を見回し、金髪の少女が見当たらないのに気が付いた。神風……は忙しそうなので、その辺にいた雨トリオの一員に視線を向ける。雨トリオは縁戚関係らしく、非常によく似ているが、前髪の分け目から判断するに、雨取だろうか。彼の肩を軽く叩き、声をかける。

「山田? どうした?」

「……何て言った? 神風の彼女。あいつ来ないのか?」

「あぁ、佐伯さんな。……呼ばれなかったって聞いたぞ。何でも、C組だったからって……」

「……成程、体裁の問題か」

 得心がいった、と山田は頷く。


 ――彼らの通う鶴ヶ丘天使学園には、全部で8つのクラスがある。普通科のA組からE組。家政科のF、G組。看護科のH、I組。芸能科のJ、K組。そして通信制のL組だ。そして普通科のうち、山田や神風たちが通うA組、昴小路が在籍するB組は所謂いわゆる「特進コース」。学力・身体能力ともにそれなりの値に達していないと入学できず、更に向けの特殊な授業を行うため、学費も驚くほど高い。本来は神風や犬飼のような上流階級の人間しか入れない、臙脂色のネクタイのA組・B組は、エレンたちが所属する赤いスカーフの普通科とは一線を画するのだ。……最も生徒同士は普通に仲良くしていることが多いのだが、外から見れば体裁の問題がある、というわけだ。

「まぁそういうわけで、佐伯さんは来ないって話だぞ」

「そうか」

 一つ頷き、山田は彼から視線を外す。流石はの一角。半ば感心しつつ、山田は再び神風を目で追う。C組のエレンがいないということは――つまりは、尚更来るはずがないということで。

 ――つまりは、というわけだ。

 はいるけれど、あの男に比べれば。



「……ふぅ……」

 家同士の関わりのある方々との歓談が一段落し、神風はようやく息を吐いた。林檎ジュースに口をつけ、遠くを見る。今年も家族はじめ、たくさんの人々に支えられてここまで来た。自分にとっての当たり前が一般的ではないことを、彼はいつも言い聞かされている。だからこそ、彼は今宵の幸せを噛み締め――

「葡萄ジュースあるぞ」

「あぁ、ありがとうございま――って山田ぁ!?」

 ――不意に隣からかけられた声に飛び退いた。突然の刺激に心臓を吐き出しそうになる。慌ててそちらに視線を向けると、グレーを基調としたフォーマルなスーツに身を包んだ山田。相も変わらず涼しい顔で、葡萄ジュースの瓶を片手に神風を眺めている。

「うぅ、またキミかぁ……こんな時にまで驚かせないでくれよ……取引先の方とかに見られたら大変じゃないか……」

「不意打ちが俺のアイデンティティ」

「何で胸を張るんだいそこで……」

 どんな状況でもブレない山田に、神風は軽く呆れつつ葡萄ジュースを注いでもらう。それを上品な仕草で味わい、遠い目をしながら呟いた。

「……ボクは幸せだよ。こんなにも皆に祝ってもらえるなんて、滅多にあることじゃない。だから今はこの幸せをただ享受するのが、礼儀だと思う。そして……いつか人々に還元してあげたい」

「……殊勝だな」

「そうかな」

 催事ホールの片隅、二人は同じ方向を眺めながら語り合う。数秒、心地いい沈黙が春風のように二人の間を流れた。不意に山田は神風に向き直り、胸ポケットから銀色に光るリングを取り出す。それが何なのか気付いて目を見開く神風に向けて――


 ……投げつけた。

「……え、わっ」

 片手で受け取り、神風はそれをまじまじと見つめる。細い花のような彫刻がなされた、銀色の指輪。

「……忍冬スイカズラ?」

「別名ハニーサックル。……お前にやる」

「えっ、それは、つまり……プレゼントってこと?」

「ああ」

 淡々と応じる山田に、紫色のラナンキュラスが咲くように神風は笑顔を零す。銀色の指輪をじっと見つめ、そっと左の人差し指にはめた。愛しそうに指輪をはめた手を見つめる神風に――何の前触れもなく、山田は言い放つ。

「……愛の絆」

「?」

「花言葉。忍冬の」

「……っ!?」

 思わず胸を押さえ、神風は弾かれたように山田を見上げる。先程とは似て非なる意味で頬に血が上り、心臓ははち切れんばかりに飛び跳ねる。

「えっ、ねぇ、ちょ、待って、それって――っ」

 ――しかし、言おうとしたことは人差し指一本ですべて堰き止められた。二人の心臓がシンクロしたようにセレナーデの拍動を刻む中、神風の手を丁寧に取り、山田は目を閉じる。そして、その指先に軽く口づけ、まるで永遠の誓いを捧げるように。


「――俺たち二人が、愛の絆で永遠に結ばれていますように」


 そして神風の茶色の瞳をじっと見つめ、花束を差し出すように微笑む。


「誕生日おめでとう、爽馬」


 ――滅多に見ることができない、山田の笑顔。それはどんな宝石よりも尊くて、神風はただ、真摯な言葉に酔いしれるのだった。

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