第10話 爽馬くんはものじゃないです

「なー雨谷、雨取! ネットニュース見たか!?」

「見た見た見た! 『SPARKING』のニューシングル出るらしいよな!」

「俺も見たー。確か光ヶ丘ひかりがおか夏輝なつきの主演ドラマのテーマソングだったよな?」

「そうそう。俺、夏輝のファンなんだよなー。マジイケメン! 歌もダンスも上手いし、演技力もトーク力も神とか、世の中不公平だよなー、いい意味で!」

 ――雨トリオがわいわいと騒いでいる、よく晴れた日の昼休み。微笑ましい姿を神風とエレンは横目で眺めながら、昼食を食べていた。そんな平和な光景に――またしても波乱が、巻き起こる。


「山田くーん!」

「……」

 色素薄めの茶髪が揺れる。四時間目終了のチャイムが鳴るなり、響くのは高い声。半袖のセーラー服の袖をなびかせ、桃園は勢いよく両手を伸ばした。その視線の先にいるのはブルーブラックの髪に黒縁眼鏡の少年――山田。小さく欠伸をする彼に近づきながら両手を広げ、桃園は瞳をキラキラと輝かせる……が。

 ――スッ

「……あれ?」

 その腕の中には空気しかない。はっとして山田の方を見ると、彼は何事もなかったように隣の席の神風を眺めている。指先がわなわなと震える中、桃園は穴が開きそうなほど山田を見つめる。おかしい。確かに抱きついたはずなのに。

「……ねえ、山田くん、今のどうやって避けたの!?」

「……」

「……山田くん?」

「……」

 ……返事がない。聞こえていないのかと思って桃園は何度も呼びかけるが……山田は時折瞬きをするだけで、桃園に反応する気配は一切ない。やがて鞄からコンビニおにぎりを取り出し、食べ始めた。当然、ぷるぷると震える桃園には目もくれない。……が、それで黙っている桃園でもなかった。

「……もおおおおおおおおおおおおおおっ! 山田くん、聞いてないでしょ!!」

 ハイトーンボイスが教室に木霊し、一瞬静寂が訪れる。エレンと一緒に昼食を食べていた神風が振り向き、申し訳なさそうに口を開く。

「桃園さん……申し訳ないけど、山田はこういう奴なんだよ。何を考えてるのか、何をしようとしてるのかボクにも全くわからないんだ」

「爽馬くんのことを気に入ってるみたいではあるんですけど……それ以上のことは全く分からなくて。本当に予想外な行動しかしないので……どうか、あまり気に病まないでください」

 エレンが眉根を寄せながら言葉を引き継ぐ。桃園は顎に指を当て、目を閉じた。思い出すのは普段の山田の行動。普段は気配を消しているかのように存在感がない山田。しかし、神風が絡むと急に積極的なアプローチをし始める……クラスでの山田の印象は、はっきり言って『変人』。

 だけど、と桃園の心臓が高鳴った。遠足の日、グループからはぐれて迷子になった自分を助けてくれた山田。手際よくグループの友達に連絡し、合流させてくれた山田。それを優しさと呼ばずして何と呼ぼうか。両手を組み、夢見るような瞳で桃園は語る。

「……山田くんは優しいんだよ。誰よりも。薫を助けてくれたの、山田くんだけだったもの……」

「いや、デートを邪魔してほしくなかっただけだから」

「や、山田っ!?」

 ずいっ。不意に声がして、神風と桃園は顔を上げる。気付いたら神風の頭に顎を載せている山田。刹那、エレンの表情が消えた。青い瞳を宵闇色に染め、液体窒素のような声で問う。

「……デートってどういうことですか? 爽馬くんは私の彼氏なんですけど」

「デートはデート。付き合ってるとは言ってない」

「いや、『まだ』ってなんだい、『まだ』って!?」

「……ね、ねえ、山田くんっ!」

 下手を打てば修羅場一歩手前な状況を、桃園は一撃でぶった切った。どんぐりを思わせる丸い瞳で山田を上目遣いに見つめ、人差し指をつつき合わせながらも口を開く。


「……薫ね、薫ね……山田くんと、お友達になりたいんだ!」

「断る」

「ちょ、山田……」

 間髪入れずに言い放つ山田に、神風は頭が痛そうに額を押さえる。エレンが呆然として桃園と山田を見比べる中、桃園は一歩後ずさった。色素の薄い茶色の瞳に、じわじわと涙が浮かぶ。見ていられず、神風は視線を上に向けた。

「なぁ、山田、流石にひどすぎないか?」

「俺は爽馬以外には興味ない」

「い、いや、それは嬉しいけど……だからって、他の人を蔑ろにしていいわけじゃないだろ。人は大切にすべきだよ」

「俺は愛する人さえいればそれでいい」

「いや、だからって……え?」

 まるで天気の話でもするように、あまりにもあっさりと放たれた言葉。その意味に気付き、神風の頬が微かに赤らんでいく。

「……え、あ、愛……?」

 口にした瞬間、火山が噴火するようにボッと神風の顔が一気に赤く染まった。いたたまれなくて顔を覆った瞬間――ダンッ、と机を叩く音。山田がそちらを一瞥すると、エレンが絶対零度の無表情で彼を睨んでいる。

「……いい加減にしてください。爽馬くんは私の彼氏です」

「今はな。そのうち俺のものにする」

「爽馬くんはものじゃないです。あなたみたいな人に爽馬くんを渡すわけにはいきません」

「ちょ、ちょっとッ!」

 一触即発の空気の中に、すっかり置いてけぼりを食らった桃園が割って入った。興味なさそうな山田、変わらず絶対零度のエレン、未だに顔を赤く染めたままの神風。三者三様の視線の中、桃園はむーっと頬を膨らませる。

「もーっ、本当ひどいよ! 薫なんていないみたいじゃん! 最低! 変人!」

「……いや、薫、テメェも十分変人だからな?」

 突然投げかけられた、聞き覚えのない声。四人が振り返ると、そこにはレジ袋を手にした少年。黒髪をオールバックにし、眉間に皴が寄っているせいで強面な印象を受ける。胸元に揺れるネクタイは、芸能科を示す橙色。唯一反応したのは桃園だった。

「なんだ、壮五そうごじゃん。どしたの?」

「何が『どしたの?』だオラ。弁当忘れたからサンドイッチ買って来いっつったの、お前だろ。従兄いとここき使うのもいい加減にしろよゴラ。こっちにはもあるっつーのに……」

 ぼやきながらもレジ袋を桃園に渡す少年。従兄の名に違わず、大きめの瞳にはどこか桃園の面影がある。彼は三対の視線を気にも留めず、さらに正論を続ける。

「だいたいお前、別にLGBTでもねーのに女装して学校通ってるって何なんだよ」

「……えっ!? そうだったの!?」

「そうだ。こいつは単なる女装趣味の変人だ」

 本気で勘違いしていたらしき神風は驚きの声を上げる。同時にクラス全体もざわつき始める。真実をバラされて半泣きになりながら反論する桃園。

「いいじゃん可愛いんだからー!」

「そんなだから変人呼ばわりされるんだオラ」

「むー……ひどいよ壮五!」

「あ、あの……あなたは?」

 怒りを引っ込めたらしきエレンが壮五と呼ばれた少年に声をかける。対し、彼はポケットに手を突っ込み、不良じみた口調で言い放った。

「――芸能科K組、鹿村ししむら壮五だ。夜露死苦」

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