第9話 お前成分が足りない

 ――犬飼は途方に暮れていた。

「全く……どこに行ったんだ」

 周囲を見回すも、目的の人物の姿はない。ベンチに腰を下ろし、溜息を吐く。アスファルトに視線を落とした瞬間――地面に背の高い影が落ちた。

「こんなところで何をしているのです? 郁君」

「――っ」

 顔を上げると、楕円形の眼鏡の端に手をかけた長身の少年。少し長めの茶色の猫毛がふわふわと揺れ、切れ長の瞳はどこか人懐こい光を宿す。風になびくのは普通科を示す臙脂色のネクタイ。

昴小路すばるこうじ……」

「そうです、B組の昴小路直嗣なおつぐです。名前で呼んでくださいよ」

「断る」

「つれないですねぇ。同じ生徒会の仲間じゃないですかぁ」

 昴小路は勝手に犬飼の隣に腰を下ろし、伸びをした。眼鏡の奥の瞳が人懐こく光る。

「そんなだから郁君は僕以外の友達ができないんですよ」

「余計なお世話だ。つか、どっか行け。俺には他に遊びたい奴がいる」

「無理だと思いまーす!」

「は?」

 笑顔で言い放つ昴小路を睨み、犬飼は噛みつくように口を開く。脳裏に浮かぶのは“彼”の爽やかな笑顔。傍に誰かいたとしても、その笑顔は記憶の中で光り輝いていて、手を伸ばさずにはいられなくて。

「……あぁ、そりゃそうだよ。神風の傍にはいつだって山田がいる。山田は『爽馬は俺の男だ』って言ってたし、当の神風も奴に惹かれてるようだった。けどな、諦めきれないもんはあるんだよ! わかるだろ!?」

 肩で息をしつつ、犬飼は言い放つ。昴小路はそんな彼を静かに見つめ、やがて口を開いた。

「……そうですね。僕にも諦めきれない人がいます」

 その言葉は確かな芯を持っていながら、どこか寂しそうで。犬飼は彼を見つめる。それを受け、昴小路は悪戯っぽく微笑んだ。呆然とする犬飼の腕を半ば無理やり組むと、立ち上がる。

「さー、行きましょう、郁君。神風君探すの手伝ってあげます」

「俺一人でもできる。どっか行け」

「つれないこと言ってるとモテませんよー。美味しい鯛焼きの屋台があるんです。一緒に行きましょう。もしかしたら神風君がいるかもしれません」

「……仕方ないな」

 ぶつぶつ言いながらも犬飼も立ち上がった。自分より背の高い昴小路にくっつかれつつ、彼は神風を想う。



「やぁ、楽しかったね!」

「ああ。神風、意外と上手かった」

「意外とって何だい……こう見えてもシューティングゲームは得意なんだよ?」

「あ……ねえ、二人ともっ!」

 シューティングライドから降りた山田と神風に、高い声が投げかけられた。振り返ると、色素薄めの茶髪を肩まで伸ばし、両サイドにピンクリボンのバレッタをつけた小柄な少女の姿。鶴天の女子制服に、普通科を示す臙脂色のスカーフをつけている。どんぐりのような瞳で見上げてくる彼女を眺め、山田は首を傾げた。

「……誰だ?」

「ええっ!? そ、そんな、酷い……」

「山田、だからクラスメイトの名前くらい覚えろって……桃園ももぞのかおるく……さん、だよ」

「……あぁ、そういえばいたような」

 今思い出したとでもいうような山田に、本当に人に興味がないんだな、と神風は深く溜息を吐く。山田は少女――桃園を一瞥し、問うた。

「で、何の用だ? デートを邪魔しないでほしいんだが」

「で、デート!? これ遠足だよね!?」

「俺にとってはデート」

 一瞬で面白いように真っ赤に染まる神風を、相変わらずの無表情で山田は見つめる。そんな二人を桃園はしばらく見比べていたが、不意に耐えきれないとでもいうように叫んだ。

「……もーっ! 何イチャついてるのー!? そんなことより薫の話聞いてよ!」

「あっ、ごめんっ」

「……」

 二人が自分に向き直るのを確認すると、桃園は両指をつつき合わせながら口を開いた。色素の薄い瞳に微かに涙を浮かべつつ、上目遣いに見上げる姿は……。

「あざといな」

「いぃぃいいじゃん! ……実は薫、迷子になっちゃって……」

「迷子?」

 山田は思わず眉をひそめる。この遊園地は確かにものすごく広いが、迷子になるほど複雑な構造をしているかと問われれば、疑問符が浮かぶ。

「薫、方向音痴で、地図も苦手で……一緒に遊んでた子ともはぐれちゃって……」

「そっか、それは災難だったね……」

「誰だ? 一緒に遊んでたのって」

 面倒そうに問う山田に、神風は思わず目を丸くした。半ば呆然と口を開く。

「……珍しいな、山田。ボク以外の人に協力するなんて」

「神風との時間を邪魔してほしくないだけだ」

「あ、ありがとう……えと、山田くん、だよね」

「礼はいい」

 山田から目を逸らしてはにかむ桃園に、山田はぶっきらぼうに言い放つ。一人頭を抱える神風。

(いや、山田、もうちょっと愛想っていうものはないのかな……)

「で、誰なんだ?」

一之瀬いちのせさんと神崎かんざきさん、それに如月きさらぎさん」

「……?」

「いや、だから山田……全員クラスメイトだよ」

 どうやら桃園が挙げた三人の名前を、山田は誰一人として覚えていなかったようだ。呆れながらもフォローする神風と、どこ吹く風の山田。

「……どっかで見た?」

「あー……ごめん、見てないな……って、山田、何してるんだい?」

「クラスLINEで呼び出す」

 片手をポケットに突っこんだままスマートフォンを操作する山田に、神風は頭が痛そうに額を押さえつつたしなめる。

「ねえ山田……写真撮影以外でスマホは禁止って言われてたよね?」

「真面目か。これが一番手っ取り早いだろ」

「あ……えっと、ありがとう、本当に!」

「礼はいい」

 桃園の言葉には冷淡に返し、一通りのメッセージを打ち終わった山田はスマートフォンを仕舞う。どこか遠くを見つめる山田と、手際良いなぁ……と感心した様子で呟く神風。桃園は山田に一歩近づき、桃の花が咲くように微笑む。

「ううん、本当にありがとう。優しいんだね、山田く……」

 その声が、途中で掻き消えた。


 ――山田が何の前触れもなく神風の手を取り、ぐっと引く。

「えッ」

「……足りない」

 なすがままの神風をそっと抱きしめ、彼は目を閉じる。神風の心臓が強く跳ね、ついでに神風自身も軽く跳ねた。互いの体温が伝わり、神風の頬が徐々に紅く染まっていく。心臓の鼓動が痛い、思考が熱に冒されていく。

「お前成分が足りない。……から、補充」

「……っ」

 耐えきれずに山田の肩に顔を埋め、神風は声にならない声を漏らす。そんな幸せそうな様を、桃園は何か言いたげに眺めていた。



「あーよかった! 薫、どこ行ってたのさー!」

「薫、本当に方向音痴だよね……」

「えへ、ごめんごめん」

「……まぁ、見つかったからいいんだけどさ」

「うん!」

 無事に三人の少女たちと合流でき、桃園は改めて二人に頭を下げる。

「本当にありがとう、二人とも!」

「いや、いいんだ。合流できてよかったよ」

「……礼はいらない。何度言わせるんだ」

「ううん、薫が言いたいだけだから」

 そこまで言って、桃園は少しだけ俯き、指をつつき合わせながら。

「……特に山田くん……すっごく、優しいんだね」

「……」

「……まぁ山田は変な奴だけど、悪い奴じゃないんだよなぁ」

 表情を一切変えない山田に、神風が軽くフォローを入れる。頬をほの紅く染めた桃園を山田はガン無視し、神風の手を引く。

「……俺は別に優しくない。神風以外には」

「山田……」

「さ、行くぞ。余計なとこで時間食っちまった」

「あぁ、うん」

「じゃあねー!」

 再びアトラクション巡りに戻る二人に、桃園は大きく手を振る。そして彼らが人込みに紛れて見えなくなった頃……消え入りそうな声で、呟いた。

「山田くん、かぁ……好きになっちゃいそうだなぁ」

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