第8話 それ、喜ぶべきなのかい?

「はい、もうすぐ到着だー。寝てる奴起こせー」

 バスの中に担任の声が響く。窓の外に顔を出すジェットコースターや観覧車に、クラスメイトたちの歓声が潮騒のように沸き起こった。今日は遠足、行先は遊園地。……だが、神風は外の景色どころか、腕を組んだままひたすらに隣の席を見つめていた。例によって奴である。

「……そろそろ起きなよ、山田。もうすぐ着くぞ」

「……」

 声をかけるが、特に反応はない。当の山田は目を閉じて安らかな寝息を立てている。……。そういえば朝から眠そうだったよなぁ……と思い返しつつ、普段見せない無防備な顔に見とれかけ……不意に激しく頭を振った。

「……いや、違う違う、そうじゃなくてっ! 山田、起きて!」

「……ん……?」

 もたれかかられているのとは反対の手で肩を数度叩くと、ようやく山田は目を覚ました。首を起こし、景色にピントを合わせるように幾度か目を瞬かせ……口を開く。

「……誘ってる?」

「……待って、どういうこと?」

 問うてから――自分の体勢に気付く。座席から大きく身を乗り出して、自分の左にいる山田の肩に右手を。それはつまり、正面から抱きついているのと何ら変わらない体勢で……そこまで考えが至った瞬間、神風は声にならない絶叫を上げ、勢いよく顔を覆った。声にならない声で悶絶する彼を眺め、一つ頷く山田。

(うん、かわいい)



「ごめん、爽馬くん……!」

「えっ、どうしたんだい、エレン?」

 自由時間が始まるなり、神風に駆け寄って両手を合わせるエレン。彼女は斜め後ろに立っている少女をちらりと見やる。その視線の先で腕を組んでいるのは、子犬のような瞳をした黒髪ツインテ姫カットの少女。普通科の生徒であることを示す赤いスカーフを風に揺らしながら、恍惚とした表情を浮かべている。見覚えのない顔に会釈しつつ、神風は問うた。

「……その子は?」

「今年からクラスメイトになった、みやび百合愛りりあちゃん。今日、一緒に遊ぼうって誘われちゃって……」

「ねーエレン、あの人が例の彼氏?」

「そうだよ。A組の神風爽馬くん」

「ふーん……?」

 百合愛と呼ばれた黒髪ツインテ姫カットはエレンの腕にじゃれつきつつ、神風を見上げる。対し、神風は人当たりの良い笑顔を浮かべた。その隣には当然、山田。

「初めまして、雅さん。神風爽馬です。よろしくね」

「……ふーん。ま、よろしく」

 百合愛の瞳がすっと細まり、ワントーン声が落ちる。彼女の黒が瞳は不意に山田を捉える。

「……」

「……」

 二人は視線だけで何を通じ合ったのか、頷き合った。百合愛がエレンに盛大に抱きつき、山田が神風の手を取る。

「さ、エレン、観覧車行こーよっ!」

「うわっ!? あ、ごめんね爽馬くん、またね!」

「ああ、うん……! またね、エレン!」

「俺たちも行くぞ、爽馬」

 百合愛に引きずられていくエレンを見送りつつ、山田に手を引かれて歩き出す。しかし彼の足取りは自信ありげでありながらもどこかふらついていて、神風は一瞬足を止めた。

「……山田……もしかして、体調悪いのか?」

「……いや、昨夜ゆうべ徹夜しただけ」

「何で!?」

 予想外の言葉に山田の顔をよく見ると、黒縁眼鏡に隠されて見えづらいが中々に隈がある。心なしか顔色も少し悪いような気がして、心配そうに眉根を寄せる神風に、山田はいつも通りの涼しい顔で。

「どこをどう回るか、一晩中試行錯誤してた」

「本気だね……それ、喜ぶべきなのかい?」

「喜んでいい」

 しれっと言い放ち、山田は不意に空を見る。六月上旬の空には刷毛で掃いたような巻雲が数本。つられて神風もそれを見上げた瞬間、山田の言葉が頬骨を殴るように吐き出される。

「――ただ、はしゃぎすぎるな」

「……え?」

 思わず山田の方を振り返る神風に向け、彼は言い放つ――


「俺、今日は深夜テンションだから」

「えっ?」

「下手なことすると襲うから」

「えぇっ!? ちょっと待って!? 頼むから寝てよ!!」

「一緒に?」

「そうじゃなくてっ!!」

 思いっきり顔を赤らめながら、茶髪を振り乱して神風は反論する。山田はそんな彼にふっと微笑み、再びそっと手を引いた。

「……まぁいい。とりあえずジェットコースターでも乗らないか?」

「あぁ、うん」



 ガコンッ、という音と共にレバーが下がる。神風はレバーに手をかけながら爽やかに笑い、山田を見やる――

「いやぁ、楽しみだね……って……」

 ――刹那、固まった。微かに震える声で相手の名前を呼ぶ。当の山田は遠くの一点を見て、固まっていた。神風から表情は見えないが……確かに細かく震えていて、蛇に忍び寄られた兎のようで。――山田の視線の先で、長い黒髪の少年が微笑む。山田の瞳をじっとりと見つめ、ねぶるように、蛇のように笑う。

「……山田?」

「……すまん爽馬……俺はもうダメだ」

「え、ええっ!?」

『はい、それでは出発しますよー! いってらっしゃいませー!』

 スタッフのお姉さんの明るい声が響くと同時、ガクリと山田の首が落ちた。

「えっ!? ちょ、待っ……!」

 同時、ジェットコースターは無慈悲に動き出す。


(山田は一体どうしたんだ!? もしかしてジェットコースター苦手だったとか? じゃあなんでボクを誘ったんだ一体!? うぅ、山田の思考回路がわかんないのがここで裏目に出るなんて……! 考えろ考えろ、何かあるはずだ!)

 徐々に、徐々に、昇っていくジェットコースター。必死に山田の意識を取り戻す方法を考えるが……予想だにしていなかった展開に、頭が上手く回らない。脳を湯に放り込んで沸かすような混乱の中、ジェットコースターは急速に加速した。それが下降だと気づいた瞬間――。

「……んっ」

 ……風圧で掻き消えてしまいそうな、それでも明瞭に届いた、声。刹那の勢いで下降する空気の中、弾かれたように神風が横を見て……気づかないままに、その表情が晴れ渡る。

「山田……!」

「ん……すまん、寝てた」

 山田は表情を変えないまま眼鏡を直し、両腕をぶらりと伸ばす。すっかりいつもの調子に戻った山田に、神風は滲む涙をぬぐいながら、途切れ途切れに、強く。

「良かった……ぅうっ。心配したんだよ、本当に……、っ」

 ――しかし、溢れるほどの感情の奔流は、山田がそっと伸ばした指先で堰き止められた。凄まじい風圧で二人の髪と制服の袖がはためく中、二人は見つめ合ったまま、動かない、動けない。景色が目まぐるしく移り変わっていくその中心で、山田はふっと不敵な笑みを浮かべた。

「だから、ほら……今は、楽しんでろ」

「……っ、ああ!」



「いやぁ、楽しかったねー……ところで山田、眠気はもう大丈夫なのかい?」

「ジェットコースター乗ったら飛んだ。なんなら深夜テンションも飛んだ。……っていうか、最初から寝たふりだった」

「えぇっ!? ……もう、本当に心配したじゃないか、心臓に悪いなぁ!」

「すまん。っと、髪乱れてる」

「っ」

 ジェットコースターの降り口から少し歩いたところで、山田が神風の茶髪にそっと触れる。神風が少し頬を赤らめつつもされるがままにされ、しばらくしてスタイリングが完成すると、山田はどこか満足げに頷く。嬉しそうに目を逸らす山田を優しく撫で、再び彼の手を取った。

「……行くぞ、神風」

「ああ。……ありがとう、山田」

 次のアトラクションへと、二人は歩いていく。互いの指を絡め、並び立って。


 ――そんな二人を値踏みするように、鶴ヶ丘天使学園の制服姿が佇んでいた。

「……ふぅん。随分と仲睦まじいじゃないか」

 背中で一括りにした黒髪が風に揺れる。白いシャツの胸元で、看護科を示すピンク色のネクタイがはためいた。泣き黒子の側で、細められた茶色の瞳が瞬く。口元を人差し指でなぞりながら、二人の仲睦まじい様子をじっと眺める。その視線は鋭く険しく、まるで子を捨てられた猫のように。やがて彼は深く溜息を吐き、やれやれ、と両手を広げた。

「……わかっちゃいないな。何一つ」

 そして彼らに背を向け、歩き出す。一瞬強く風が吹き、肩甲骨まである黒髪が大きくなびく。革靴の音を響かせながら、彼は歩いていく、何処かへと。


「スターライトに相応しいのは……このおれだ」

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