第7話 諦めたわけじゃないからな
「はぁ……」
テスト前日の休み時間。神風は遠くの席を眺め、溜息を吐いた。その視線の先には机にかじりつくように勉強している犬飼の姿。その肩は強張っていて、まるで臆病な勇者のようで。テスト期間が始まってからずっとあの調子だ、と神風は再び溜息を吐く。
「……気にしてるのか」
「山田……」
隣の席から声をかけてきた山田に、神風は笑いかける。しかし山田の視界に映ったそれは、どこかぎこちなくて。眼鏡越しに神風を見つめながら、山田は言い放つ。
「言ったろ、俺だけ見てればいいって」
「……っ」
――その声に、神風の脳裏で先日の光景が熱をもって蘇る。窓から差し込む鮮やかな茜色の光と、制服越しに伝わる体温。すぐ側で囁かれた甘い言葉。思い出すだけで体温が徐々に上がっていく、心臓が高鳴って止まらない。それでいて、じっと見つめてくる山田から目を離せなくて、頬の熱さを隠すどころではなくて……片や読めない無表情で、片や頬を赤く染めてプルプルと震えながら、見つめ合っていた。
◇
(……ふぅ)
犬飼は小さく息を吐き、シャープペンシルを置く。
(……流石に、疲れた)
ぐるぐると首を回し、何気なく周囲を見回す……と、見つめ合っている神風と山田が目に入った。無意識に眉間に皴が寄り、歯が食いしばられる。胸の中で渦巻く感情は、黒くどろどろとしていて、静かに、されど激しく。
(……違う、違うだろ。勉強に集中しろ)
頭を振って参考書に向き直る。しかし、真っ黒なページの上を走る文字は少しずつ傾いていく。やがてバキリと音を立て、芯が折れた。いつの間にか筆圧が強くなりすぎていることに気付き、犬飼は幾度か手を握り、開き、もう一度シャーペンを握る。彼は静かに、しかし深く息を吐き、頭を掻く。
(……なんでこうなるんだ……神風……)
思い出すのは、入学式。新入生代表として挨拶をしたのは、輝くような茶髪に茶色の瞳の美少年。張りのある甘い声、爽やかな笑顔。あの時から、神風爽馬という少年はずっと犬飼の心に住んでいる。……否、以前から気になっていた。都議会議員である父から聞かされていた、有力者であるカミカゼ・コーポレーションの子息。彼が同じ高校の、しかも同じコースに入るということで、『失礼のないように』と口を酸っぱくして言われていた。だからせめて挨拶くらいはしようかと思って、入学式が終わった後、彼の机に向かっていった……しかし。
『……神風爽馬、だよな』
『うん。君は?』
春の陽のように甘く、明るい笑顔。純粋な茶色の瞳に見つめられ、言葉が詰まる。頭が真っ白になり、とっさに放った言葉は……図らずも、蕾のままの棘のある薔薇のようで。
『……犬飼郁だ。覚えておけ』
その言葉が喉から滑り落ちた瞬間、彼は叫び出したいほどの衝動に襲われた。こんなはずではなかった。こんな刺々しい、敵意に満ちた言葉なんて、本当は口にしたくなかったのに。きょとんと見上げてくる神風に、犬飼は意思に反して続けてしまう。
『……あんまり調子乗ると、足元掬ってやるぞ』
『……』
思わず俯き、沈黙する神風に、犬飼は息を呑んだ。言い過ぎた。慌てて謝罪の言葉を口にしようとして、喉が詰まる。違うのに。本当に言いたいことは、もっと別にあるのに……。しかし、そんな犬飼の葛藤をよそに、神風はふっと笑顔を見せた。
『……それじゃあ、ライバルだな』
『はっ?』
『よろしく、犬飼』
彼は無邪気に片手を差し伸べてくる。徐々に体温が上がっていく中、犬飼は震える手を伸ばした。その手を握りたい。体温を感じたい。しかし、そんな思いに反し……響いたのは、冷たく手を振り払う音だった。驚いたように目を見開く神風に対し、意思に反して犬飼は言い捨てる。
『……馴れ合うつもりなんてない』
そのまま、足早に自分の席に戻り……机に突っ伏す。
(違う……そんなこと、言うつもりなかったのに……本当に言いたいことは、もっと違うことなのに……)
◇
古典B、神風94点、犬飼95点。
現代文B、神風90点、犬飼88点。
数学Ⅱ、神風95点、犬飼92点。
数学B、神風96点、犬飼93点。
コミュニケーション英語Ⅱ、神風92点、犬飼98点。
英語表現Ⅱ、神風96点、犬飼100点。
理科探求(生物)、神風97点、犬飼91点。
化学基礎、神風98点、犬飼90点。
世界史B、神風97点、犬飼97点。
日本史B、神風94点、犬飼96点。
地理B、神風93点、犬飼89点。
「総合点は神風が1042点、犬なんとかが1029点だな」
放課後、三人だけの教室。その中心で腕を組み、山田は言い放った。その点差はわずか13点。頭を殴られるような衝撃に打ち震える犬飼に、山田は神風を後ろから抱きしめながら宣言する。ビクゥッと震え、神風の顔色は一瞬で沸騰した。
「――俺の神風の勝ちだな」
「いや、ボクはキミのものじゃないよ!? っていうか近っ……」
「神風は俺のものだ。他の誰にも所有権はない」
「いつからボクはキミの所有物になったのさ!?」
「最初から」
「何なんだい一体ッ!!」
神風は必死で反論するが、抱きしめられているので身動きが取れない。俯いて震えている犬飼を一瞥し、山田は言い放つ。
「――勝負は決まった。犬なんとか」
「犬飼だッ! いい加減覚えろッ!」
未だに名前を呼んでくれない山田に噛みつく犬飼を軽く受け流し、山田はさらに強く神風を抱きしめる。……神風だけが気付かない。山田の瞳に、鋭利な刃物のような輝きが宿ったことに。その表情に影を落とし、山田は強く言い放つ。
「――俺の男に、手を出すんじゃない」
「……っ!」
顔を赤らめたのは、神風、そして犬飼。見事に自分の気持ちを見透かされ、犬飼は一歩後ずさる。告白とも取れる言葉に湯気が出そうなほど顔を赤くする神風と、彼を護る騎士のように相手を睨む山田。犬飼はそんな二人を見比べ、唇を噛み……言い放つ。
「……俺は、諦めたわけじゃないからな。いつか絶対に勝つ」
二人を交互に睨み、噛みつくように。
「――お前にも、お前にもだ」
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