第6話 お前は、俺だけ見てればいい

「神風! もーすぐ中間考査だな!」

「テスト勉強どう? 進んでる?」

 授業終了のチャイムが鳴った途端、神風の机にわらわらと群がるのは雨谷、雨取、雨宮。いつもの仲良し雨トリオだ。そんな彼らに神風は笑いかけ、口を開く。

「まぁ、ぼちぼちかな」

「くー、俺全然進んでねーよ! やっぱ神風すげー……!」

「いやいや、そんなことないって。よかったら今度……」

「おい、神風」

 ――不意にそこに異質な声が混じった。三人の南国のような声とは違う、硬質な低音。神風がそちらに視線を向けると、硬質な黒髪をソフトモヒカンにした少年。そんな彼に雨宮は恐る恐る声をかける。

「……どーしたんだよ、犬飼いぬかい……」

「俺は神風に用があるんだ。邪魔しないでくれ」

 しかし、彼はただでさえ悪い目つきをさらに鋭くし、低く言い放った。雨宮は一歩後ずさり、犬飼には聞こえないように他の二人に囁く。

「ぎ、議長こえぇ……い、行こうぜ……!」

「お、おう……」

「分かった……!」

 雨トリオを高気圧のごとき圧で撤退させた少年――犬飼は、余計に険しい目つきで神風を見下ろす。神風は少しだけ笑顔を引き攣らせ、口を開きかけ――

「神風、誰だそいつ」

「うわぁっ!?」

 ――唐突にかけられた別の声に、椅子の上で飛び上がった。隣の席で半目で頬杖をついている山田に、神風は未だに荒ぶる心臓を押さえながら口を開く。

「ビックリしたなぁ……っていうか山田、クラスメイトの名前くらい覚えようよ。しかも犬飼はクラス議長だぞ。覚えてないと失礼じゃ――」

「お前以外の人間には興味ない」

「うっ……! そ、それは嬉しいけど……っ」

 被せられた言葉に、神風の心臓が再び大きく脈打つ。思わず山田から視線を逸らし、心臓を押さえたまま顔を隠すように俯く。頬杖をついたままそれを鑑賞する山田。二人を眺めながら細かく震えていた犬飼は……突然、神風の机を派手な音を立てて叩いた。

「……俺を無視するな!」

「っ!?」

 弾かれたように神風が顔を上げると、目が合ったのは最高級に険しい目つきをした犬飼。彼は一旦山田に鋭い視線を向け、言い放つ。

「覚えてないようだから改めて自己紹介させてもらう。2年A組6番、クラス議長の犬飼いく。この高校の生徒会長になる男だ。これを機に覚えておいてくれ」

「……」

 山田は眼鏡越しに彼を一瞥し、すぐに視線を逸らす。対し犬飼は一瞬、強く歯を食いしばったが……一度強く目を閉じ、ぶわあ、と盛大に溜息を吐く。諦めたのか、彼は神風に向き直った。一度引き結ばれた唇が開き、烈火のごとき言葉が溢れ出す。

「――神風爽馬。今度の考査、俺と勝負しろッ」

「……えっ?」

 予想外の言葉に、神風は瞳をぱちぱちと瞬かせる。クラスの中でもトップの実力者に挑む議長という光景に、クラス中からざわざわと小さな声。それらを睨め回して黙らせると、犬飼は再び神風を見据えた。フランベルジュのような光が宿ったその瞳に、神風はたじろぎながらも口を開き――

「どうして神風を狙う?」

「ちょっ!?」

 ――またしても山田に奪われた。犬飼に視線を向けもせず、頬杖をついたまま山田は問う。対し、犬飼は派手に口元をゆがめ、言い放つ。

「……どうしても、超えたいんだよッ」

「超えたい……?」

「お前どこまでド天然なんだ!」

「いや、そうじゃなくて……」

 思わず絶叫する犬飼に、神風はその瞳をじっと見つめながら口を開く。険しい視線はどこか、追い詰められた少女のようで。

「……犬飼……なんか、辛そうだよ……」


 ――ガラガラッ

「おーい、授業始めるぞ。着席しろ、犬飼ー」

「っ!?」

 先生の声に犬飼は弾かれたように振り返った。その顔色が徐々に蒼白になっていく。まるで化け物に追い詰められた、非力な村人のように。

「……はい。すみません」

 彼は俯き、とぼとぼと自分の席に向かう。その姿に、神風はどこか苦しそうな影を見た気がした。



 校門を出て、犬飼は立ち止まった。赤信号を待ちながら茜色の空を見上げ、溜息を吐く。

(どうして……素直になれないんだ……)

 神風とは一年生の時から同じクラスだった。頭がよくて、運動神経もよくて、容姿も家柄も全てに恵まれて。最初はその境遇に自分を重ねていた。都議会議員の息子として、将来を期待されている自分を。

 ……だけど、自分と神風はあまりにも違った。自分より神風の方が優れている、それだけではなくて……脳裏に浮かぶのは、神風の幸せそうな笑顔。生まれ持った運命とも違う……人との巡り会わせが生んだ、彼の温かで心優しい人柄。

(それに比べて、俺は……)

 自分のことしか考えられない。考える余裕がない。だからこそ……。


 信号が青に変わり、犬飼はパチンと両の頬を叩く。

 ――塾に行かなくては。頬の熱さを振り切り、横断歩道を足早に過ぎる。



 茜色の光が差し込む、二人きりの教室。神風は俯いたまま鞄に荷物を詰めていた。その動作はどこか遅く、時折苦しそうに溜息を吐く。隣で頬杖を突きながら、山田は問うた。

「……気にしてるのか? 犬なんとかのこと」

「犬飼だよ。……はぁ……」

 地理の教科書を見つめ、神風は再び溜息を吐く。つられたようにふっと息を吐き、山田は口を開く。

「お前が気にすることじゃない」

「でも……犬飼、辛そうだったよ。もしかしたら何か悩んでて、ボクに八つ当たりしてるかもしれないじゃないか……もしそうだったら……」

 教科書を強く握りしめ、神風は震える声で呟く。

「……ボクは、どうすればいいんだい?」


「……」

 山田は無言で立ち上がった。鞄を肩にかけ、無表情で神風を眺める。神風はそんな彼をしばらく見上げていたが……ふっと自嘲的に笑った。

「……まぁ、ボクにできることなんて、限られてるんだけどね……」

 彼は長い時間をかけて全ての荷物を仕舞い終え、立ち上がった。まつ毛の影が落ちる瞳が山田を捉え、力なく笑いかける。

「……帰ろう、山田……――ッ!?」

 ――次の瞬間、神風は山田に抱き寄せられていた。体温が、息遣いがすぐ近くで伝わる。状況がよく呑み込めずにただ相手の瞳を見つめる神風に、山田はそっと囁く。

「……お前は、俺だけ見ていればいい。それ以外のことは、全部俺に任せろ」

「……山田……」

 暖色をした感情が溢れ、心臓が強く、強く高鳴る。頬の熱さを気取られぬように、滲む嬉し涙を隠すように……神風はただ、山田に身を委ねたのだった。

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