第16話 Three card ダン、ジャック&……


 良く晴れた日曜日、グレイフォートのメインストリートには市が立つ。露店の色とりどりの屋根が道の端を彩り、地元民も観光客もこぞって通りを埋め尽くす。昼時ともなれば尚更だ。

 その人混みの中を、ダンとジャックは歩いていた。パーカーのフードを目深にかぶり、ジャックに手首を掴まれ引かれて行くダンの様子は同行というより連行である。

「良かったのかな」

 ぽつりとダンが零す。

「んー、何がだ?」

「その……掃除」

 ダンの指摘を受け、きょとんとするジャック。一拍おいて「真面目かよ」と笑い出す。

「ありゃあどうせ意見の通らなかった小舅の八つ当たりだよ、放っとくのが一番だ。そもそも清掃スタッフは別に居る、仕事を奪っちゃ悪りぃだろ?」

 ダグラスに、ジャック曰くの理不尽な掃除を命じられた後。二人はとりあえず掃除をする態を取り繕い、モリソンとダグラスが備品を仕入れに行くのを見送ってからカジノを出て来たのだった。

「昼食のためだけにわざわざ外に出なくても」

「昼飯、もそうだが、ちょいと買い出しにな」

「買い出し?」

「弾丸。」

 ジャックの言葉にダンがぴくり、と肩を震わせた。それを見なかったことにしてジャックは続ける。

「お前の銃、予備どころか装填分も残り少なかったからな。ヴィンスはああ言ってたが、逃げたいんなら必要だろ」

「それは……」

「なあ。どうなんだよ、実際のとこ」

 そう言うと、ジャックはぐるり、と半回転してダンの行く手を阻んだ。

「お前さっき話してた時、相手の名前を一切出さなかったろ? こっちを巻き込まねぇようにっていうか、お前がバラしたくねぇって感じだったな? その割に『戻る気はない』って言ったのは本気。つーことはお前相手方んとこへ、戻らないにしてもまだ何か関わる気だろ。だからこの街からも逃げなかった」

 違うか、とフードの中を覗き込まれ、ダンは視線を落とす。

「……巻き込んで悪かったとは思ってる」

「ッだーもう、そうじゃねぇよ!」

 ぼそりと落とされたダンの呟きに、ジャックは額に手を遣り天を仰いだ。

「お前がただ逃げ切りたいだけなら、このまま運び屋やら逃がし屋やらの連中に頼んで一件落着だ。幸運にもこの街じゃあそういうのに事欠かねぇからな。けど、お前はそれじゃ困るんだろ? じゃあ何をしたいのかってのが分からなきゃ、手の打ちようが無い」

 言ってみろ、と促されたダンは、しかし首を横に振る。

「――分からない、んだ」

 その声は、酷く途方に暮れていた。

「今こんなことを言ってる場合じゃないのは分かってる。無事に済ませたいのなら今すぐにこの街を出るべきだ。だけど……それでも、」

 言葉に詰まるダン。その先を口にする事は、少年にとって酷く躊躇われた。

 本当は分かっているのだ。言うべきではない。そんなことを気にする余裕など無い。赤の他人を巻き込んでまで、果たさねばならない義理もそもそも無い。諦めてさっさと街を出ろ、そう何度も言い聞かせた。

「……今までこんな事なかったんだ」

 力なく呟く。再び口を噤もうとしたダンの肩を、ジャックが掴んだ。驚いて彼を見れば、その瞳はどこまでも真摯だ。かつて少年とここまで向き合ってくれた大人が居たか、疑問に思えてしまうくらいに。

「それでも、やりたいんだろ?」

 その一言に、はっとする。


 ――そう、それでも。どうしても。

 ――そういうものを、「やりたいこと」と呼ぶのか。


「や……約束、が。」

 沈黙の後、ようやく、それだけを口にした。

「約束?」

 おうむ返しにジャックが呟く。それがいやに深刻そうに聞こえたのは、後ろめたい思いがあるからだろうか。少年は自分でも分からぬまま、慌てて否定する。

「大した事じゃないんだ。ハンカチを貸してあげた子に、『次に会ったら返すね』って言われて、それだけで」

 でも、とダンは俯き拳を握る。

 ――たった数日を一緒に過ごしただけのあの子は、何故だか酷く脆く見えた。

「それだけだけど、どうしても、破っちゃいけないような気がするんだ。破ったら、あの子は」

「これか」

 不意にジャックが口を挟んだ。ダンが顔を上げれば、彼は何故か小指を立てている。咄嗟には意味が分からず呆けていれば、ジャックが小指を揺らして再度訊ねる。

「女かって聞いてんだよ」

「え? うん、女の子――」言いかけて、言葉と仕草の意味に気付いたダンは眉根を寄せる。「そういう意味じゃないよ」

「おーおー、そーかよ。ま、女絡みじゃしゃーねーなぁ」

「だから、」

 言いかけたダンの言葉を遮って、ぐい、とその頭に手を遣るジャック。そのまま頭をぐしぐしと、フードの上からかき回す。

「お前のやりたいことは分かった。俺が一肌脱いでやる、女の泣くとこなんか見たかねぇしな」

「でも、あの子は」

「いーから黙ってまーかーせーろっての! 大体その程度でうじうじしやがって、どーにでもしてやるよそんなの。俺等を誰だと思ってんだぁ?」

 ぐりんぐりんと頭を捏ね回し仕上げとばかりにその肩を叩けば、ダンの顔にうっすらと、しかし確かに安堵が滲んだ。

 ジャックはそこにすかさず畳みかける。

「で、可愛いのか」

「……綺麗な子だったよ。人形みたいに」

「成程、美人系か」

 真面目くさったジャックの答えに、ダンは冷めた視線を送る。

「そもそも、顔をじろじろ見たことはないよ。見せるなって僕らの上役……えっと」そこで一瞬、言葉を選ぶダン。少し考えてから先を続ける。「僕らの上役で、あの子の、保護者? だった奴に言われてるらしくて。いつも大きい帽子を被ってたから」

「ほー。訳アリの匂いがぷんぷんするぜ、ったく」

 ディーラーになる以前からも色々な人間を見て来たジャックだが、顔を隠すというのは十中八九後ろ暗い所のある奴の行動だ。後ろ暗いのはその『保護者』なのか、あるいは。

 ――顔に傷があるとかの、可愛いもんじゃなさそうだしなぁ。

 とは言え大口叩いて引き受けた以上、既に撤退の文字は無い。暗い想像を軽く頭を振って追い出し、ジャックは呟く。

「顔が見えないくらいの帽子ねぇ。……ああ、例えばあんなか?」

 人混みの中、ふと目に留まった少女をジャックは指で示す。誘われるままそちらを見て、ダンは大きく息を呑んだ。

 体格から見て年端もいかない少女だろう。真っ黒なゴシック調のドレスに、長いベールの付いた大きな帽子。

 気付けばダンは、少女に向かって駆け出していた。驚くジャックの声も彼には届かない。彼女を見失わないように、それだけを考えて人混みを駆け抜ける。

 ――何故あの子がこんな所に。信じ難いが、でも、あれは――

 辛くも追い付いて少女の腕を引けば、相手は身を強ばらせてこちらを向く。その帽子の下、固まった表情を見て、しかしダンの疑念は確信に変わった。

「アンネ……!?」

 思わず名前を叫んだダンを見て、人形じみていた少女の顔に生気が宿る。そこに浮かぶのは安堵の表情。

「――ダン!」

 大きな帽子のつばが曲がるのも気にせず、少女はダンに飛びついた。

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