第13話 Full house カジノ・ショーメイカー


「だからどうしてそう毎度厄介事を持ち込むんだお前は!」

「仕方ねぇだろ今回はノアが悪りぃんだよ!」

 朝の光に調度品が柔らかく照らされる『ショーメイカー』のホールに、けたたましい怒号が響く。襟首を掴んで子供のような言い合いをしているのは、既に子供とは言い難いディーラー二人。上品なはずの朝の雰囲気が、今や完全にぶち壊しである。

 ――おかしい、チンピラの喧嘩を見に来た訳ではなかったはずだ。

「えっと……」

 当事者そっちのけの口喧嘩にダンが途方に暮れていると、残りの一人――シャロンと名乗った女性が声を掛けて来た。

「ダン君、でしたね。アレは放っておいて、取り敢えずこちらへ。話を聞きましょう」

「……はあ」

 背中を押されるように、備え付けのバーへと案内される。カウンターの中では、男がグラスを磨いていた。三十路も半ば頃の穏やかそうな男だ。彼はシャロンに向け、困ったように笑いかける。

「朝から元気だねぇ、あの二人も。お蔭で事態は何となく分かったけど」

「ええ、酷いものです。モリソン、彼に何か――そうですね、いつものサンドイッチでも」

 シャロンの言葉にああ、と頷き、モリソンはダンへと微笑みかける。

「ダン君だっけ、そこに掛けてくれるかい? 僕はジョージ・モリソン、このバーのバーテン兼マスターだ。よろしくね」

 まあ今は営業時間外だけど、と茶目っ気たっぷりに笑うマスターに促されるまま、ダンはハイカウンターの席へとよじ登る。その眼前に、モリソンは慣れた手際でグラス一杯の水を差し出した。続いてフランスパンとバター、ハム、チーズ、レタス、トマトと食材を次々に並べ、全て出し終えた所で調理を始めた。

 手と包丁を洗うと、流れるような手つきで具材を切り、はさみ、形を整えていく。目にも色鮮やかなサンドイッチが皿に盛られるまで、僅か五分足らず。

「はい、出来た」綺麗に並べられたサンドイッチを出しながら、モリソンが微笑む。「変なものは入れてなかったでしょ? 安心して食べて良いよ」

 言われてようやく、この調理ショーが自分への配慮であった事に気付くダン。たどたどしく礼を言うと、モリソンは「どういたしまして」と更に相好を崩した。

「さあ、どうぞ。彼の料理は何でも絶品ですから」

 何故か誇らしげなシャロンに促され、ダンはサンドイッチを一口頬張る。途端に口に広がる野菜の瑞々しさに、程良い塩味。外側の歯ごたえに反して中はふわふわのフランスパンがそれを引き立たせる。

「……美味しい」

 思わず呟いたダンに、やはりシャロンが胸を張る。

「でしょう!」

「だろ!? 美味いよなジョージさんのメシは!」

 取っ組み合いの中どうやって聞きつけたのか、駆け寄ってきたジャックが話に割り込む。その襟首を、ダグラスと名乗った喧嘩相手の青年が鷲掴んで引き戻した。

「お前は人の話をきちんと聞け!」

「痛ってぇよバカ引っ張んな!」

 そのまま、今度は比較的近くで取っ組み合いが始まる。軽く身を引くダンに、シャロンが頭を下げた。

「すみません、アレさえなければ完璧な朝食だったんですが」

「…………。」いや、謝る暇があるなら止めて欲しい。「あの、止めないの? あれ」

「生憎と、バカにつける薬の持ち合わせがなくて」

 辛辣なコメントと共にシャロンがゆるゆると首を振った時だった。

「――おい。朝から何だ、騒々しいぞお前達」

 唐突に響く横柄な声。ホールの方から現れたのは朝日に眩しい金髪に純白の三つ揃え、髪の一本から革靴の先に至るまで、既に一分の隙無く整えたヴィンセントだった。身支度こそ完璧であるものの、眠気が残っているのか不機嫌そうなのはご愛敬だろう。

「何だよヴィンス、また泊まりか? お前んちの王様みてぇなベッド、使わねーなら貰っちまうぞ」

 思わぬ上司の登場に、ジャックは意外半分、渋面半分で軽口を叩く。

『ショーメイカー』の建物は、小さなカジノホテルだった昔の名残で、上階に幾つかの客室を持つ。現在は客を通すことはないが、オーナー様のご注文とあれば話は別だ。そんじょそこらのスイートよりも豪華な自室を持つショーメイカーの御曹司だが、自分が初めて任された店にはやはり愛着があるのか、何かと理由をつけては泊まっていくことが多かった。

「まあ色々と都合がな。くれてやっても良いがあのボロアパートでは床が抜けるぞ」

 ふん、と鼻を鳴らすヴィンセントはカウンターへと歩み寄る。ダンに一瞥をくれると、その隣に無遠慮に腰掛けた。彼がそのままモリソンへと視線を送れば、モリソンは一つ頷いて先ほどと同じサンドイッチを作り始める。

「で? 結局何の話だ」

「ああ、いや――」

「ジャックがまた厄介事を拾って来た、という類の話ですよ」

 答えようとしたジャックを遮って、シャロンが一部始終を話し始める。確かに彼女の方が上手く解説できるだろうと、出会ったばかりのダンでも思う。

 一通りの事情を聴いたヴィンセントは、実に下らなさそうに首を振った。

「その程度の情報でどうしろと。じゃれあう暇があるならさっさと仔細を聴き出せ」

 溜息交じりにそう言うと、ヴィンセントは再びダンを見る。正面から見据える。

「おい少年、話を聞いてやる。勿体ぶらずにさっさと語れ、時間が惜しいからな」

「……いや、でも」

 今のダンには、当初とは違う逡巡があった。確かに状況は行き詰まっている。誰かの助けは許されるのならなら欲しい所だ。そして彼らは恐らく敵では、悪いひとではないのだろう。しかし、であればこそ、自分の都合でトラブルに巻き込んでしまうのは本意ではない。

 話すべきなのか。話して良いのか。判断も決心も付きかねて、ダンは視線を逸らす。

 そんな様子を見てか、はん、と鼻で嗤う声。はっとしたダンがヴィンセントへ顔を向ければ。

「見縊るなよ、小僧。」

 その整った顔に浮かぶのは間違いなく笑みで、声色にも笑いが混じっている。しかしその態度の本質が「笑う」行為ではないことを、ダンは一目で理解していた。

「聞いた所、多少の心得はあるようだがな――断言しよう。

この街では、我々の方が強い。」

 どぎつい笑みの中、鋭い視線にダンはびくりと身を強張らせる。殺気ならば大概受け慣れているが、彼の放つそれはどこまでも純粋な威圧だ。見下されるのではなく、ただ格の違いを、身の程を知らされるようなその目に、ダンは言葉を失った。声の出ない口がはくり、と動く。

「まあまあヴィンス、その辺で」

 不意に穏やかな声が間に入った。固まってしまったダンの様子を見かねてか、モリソンが若きオーナーをやんわりと窘める。

「そうやって怖がらせたら、上手くいくはずのものもご破算になるだろう? ダン君、君も君だ。あんまり僕らを――彼を甘く見ない方がいい」

 それはあくまで柔和で、しかし確かにうっすらと、誇りを滲ませた声だった。

 そんな声音のまま、モリソンは語る。この街の人間だけが知る、もう一つの「ショーメイカー」の話を。

 街を代表する名士であるショーメイカー、そしてその運営する『カジノ・ショーメイカー』には、もう一つの顔がある。それは裏の顔と言うよりは、都市伝説的な「物語」として、街の噂話を彩る顔だ。

 街を歩く人に聞いて回れば、それらはいくらでも飛び出してくる。

 ――悪どいやり口で有名な高利貸しが破産した。どうもショーメイカーでボロ負けしたとか。

 ――チンピラ数人に絡まれたが、通りすがりのショーメイカーのディーラーがたった一人で撃退してくれた。

 ――少し前まで闇カジノで暴利を吹っかけていた連中をある日を境に見かけなくなったのは、業を煮やしたショーメイカーの仕業だ。

 ――ショーメイカーは裏側の連中とも繋がりがある。ただし立場が危ないのは連中の方で、うっかりすると上がりを全部合法的にゲームではねられる事もあるとか。

 ――ここ数年で悪徳警官を一掃し市警の体制改善に成功した若き市警本部長は、ショーメイカーが送り込んだ浄化作用である。

 ――市警本部長のみならず、政治家も検事も弁護士もショーメイカーを敵に回してはやっていけない。陪審員の選出さえ、その気になればショーメイカーの意のままだ。

 すなわち、『この街は今も人知れず、ショーメイカーの手によって守られている』。

 あるいは、『この街は、正真正銘ショーメイカーのものだ』。

 それはもはや、公には属さず俗にも染まらない、一つの『権力』の名前だった。

「で、そんな噂の八割が事実だ。残りのうちの一割は話に尾ひれが付きすぎてて、もう一割は話が足りない」

 さらりと言ってのけるモリソンの表情に、冗談の色は少しも見られない。あくまで真摯な、けれど優しげな顔で続ける。

「この街で、彼より強い人はいないよ。物理的にではないけれどね。だから安心して話すと良い。大丈夫、手に負えないと踏んだらきちんと放り出すさ」

 ある意味無責任なことを言って、再び完成したサンドイッチを出すモリソン。受け取ったヴィンセントはダンのことなど気にも留めていないかのように、サンドイッチを頬張り始めた。背後を見れば、ジャックはダグラスのきつい視線を努めて受け流そうと鼻歌を漏らしているし、シャロンはそんな二人を呆れ交じりの笑みで眺めている。

 そんな彼らが可笑しくて、ダンは小さく息を吐く。それはともすれば笑いと呼びうる溜息なのだと、少年自身自覚があった。何故だか酷く、安心していた。

「……この街に来たのは二週間くらい前だ」

 ダンがそっと口を開いた。そう大きくはない少年の語りに、場の全員が静かに耳を傾ける。

「本当はニューヨークで仕事があったんだ。でも、向こうがトラブルを起こして、僕を雇えなくなったって。それで、この街なら何かあるかも、って紹介されたんだ。

 そうしたら、ここに着いてすぐ、偶然昔の知り合いに会って、その人に仕事を紹介して貰った。丁度腕の立つ傭兵を集めてるって言ってたから。でも」

 一瞬の逡巡を見せるダン。しかし覚悟を決めたのか、「クスリ」と小さく零す。

「変な薬を、打たれそうになって。それで、逃げて来た」

「変な薬、とは?」

 ダグラスの促しに、ダンは首を横に振る。

「詳しくは分からない。打とうとしてきた奴は、筋肉がどうとかで――とにかく『強くなれるんだ』って言ってた。でも僕の知り合いと一緒に居た女の子が『クスリは絶対飲んじゃだめだ、大変なことになって死んじゃうよ』って、先に教えてくれてたんだ。多分、副作用が大きいんだと思う」

「その子は飲んじゃダメ、と? 薬を『打たれそうに』なったのでは?」

 シャロンの疑問に、今度は首肯するダン。

「そいつは僕らの上司みたいな人だったんだけど、突然一人で呼び出されたんだ。最初は『これを飲め』って。いらない、嫌だって言ったら無理やり注射を打たれそうになって、それで逃げ出したんだ」

「経口摂取でも効くクスリねぇ……。それ、結構ヤバい奴なんじゃ、」

「下らんな。」

 ジャックの台詞を遮る、切って捨てるような声。ヴィンセントだった。

「益の無い上面白くもない話だ。だが、お前の話には確認すべき点が二つある。」まず一つ、とじろりとダンを睨むヴィンセント。「お前、結局どうしたいんだ」

「……どう、って?」

「そんな状況、普通さっさと街を出るだろう。告発したいのなら警察だ。なのに、どうしてお前はここに居た?」

「それ、は……」

「その雇い主の元に戻る気でもあるのか?」

「そんなの無いよ」ダンは即座に否定する。が、その語気は続かず、視線は再び下へと落ちた。「ない、けど」

「『けど』何だ、希望があるなら言えばいいだろう」

 しびれを切らしたのか、ダンの肩を掴んで自分の方を向かせるヴィンセント。ダンの赤い目を正面から捉え、言う。

「もう一度だけ訊く。貴様はどうしたいんだ」

 晴れ渡った空と同じ色の瞳。それが帯びているのは、先程のような威圧ではなく誠実さだ。真っ直ぐな視線に堪えきれずに、ダンは目を逸らした。

「分から、ない」

 ――そんな事、考えたことも無かったから。

 消え入るような声を受け、ヴィンセントはそうか、と独りごちるとあっさりと少年を開放した。

「まあお前の意志がどうあれ、お前の問題は街の様相に大きく関わる。一枚噛むに吝かでないがな」

 ここでもう一つだ、とヴィンセントは再度少年を睥睨する。品定めでもするかのような視線で一通り少年を眺めた後、ヴィンセントは端的にこう問うた。

「お前、金はあるのか?」

「は?」

 思わず小首を傾げるダン。話が急に生々しくなったなと思いつつ、確認するように訊ね返す。

「お金……を、取るの?」

「当然だ、他人に物を頼む時の最も明白な誠意だろう。何、無茶な大金を用意しろとは言わん。お前の持つ全財産、その何割を賭けられるかという話だ」

「いや、ええと」

 何故か自慢げなヴィンセントの前で、ダンは一応全財産を脳裏に思い描く。だが何度思い返してみたところで、ズボンの隠しポケットに小銭がどれだけ入っていたかという程度だ。分かってはいたが、ここ数日分の働きを回収する前に逃げ出した代償は大きい。何にせよ、これでは手持ちの何割とかいう以前の問題だろう。

 だったら無理に助力を頼まなくても、とダンが辞退を申し出ようとした矢先、話に割り込む声が上がった。

「それなんだけどよぉ」

 言い辛そうにそろりと挙手をしたのはジャックだ。

「今回は俺が、つーか正確にはノアの奴なんだが、とにかくこっちがやらかしてんだ。俺のツケにしといてくれねぇか」

「またか! 良い加減にしろ、天引きする給料が無くなるぞ」

 苦言を呈するダグラスの隣では、シャロンも渋面で首を振る。同僚二人の批判を受けたジャックは、こちらも居心地の悪そうに顔をしかめた。

「言われねーでも分かってるっつの。今回っきりだよ」

「なるほどな。そういう事なら考えがある」

 不意にそう言い放つと、ヴィンセントは無遠慮に部下を指差す。

「ジャック。お前、こいつに嘘を見抜かれたとか言ったな」

「え? あ、いや、そうだけどアレは!」

 すわお小言かと身構えるジャックだったが、間髪入れずに「構わん」と切って捨てるヴィンセント。その関心は既に少年へと戻っている。

「ダンだったな、お前は今後ウチで働くと良い」

「は?」

「ヴィンス!?」

 本人以上に驚くダグラスを無視して、ヴィンセントはあくまで高圧的に命令を放つ。

「ウチの看板ディーラーの嘘すら見破る目、イカサマ狩りには持って来いだ。その才能、我が『カジノ・ショーメイカー』で存分に振るうがいい」

「いや、でも、」

「それが嫌なら」ダンの言葉を遮り、語気を強めてヴィンセントは言う。「お前がどうしたいのか、今日中に結論を出せ。それまでジャックがお前を見る。監視の意味も込めてな」

「はいよ、任せろ」

 ニヤリと笑ってジャックが頷いた。応えてこちらもにんまりと頷く雇用主に、ダグラスが声を荒げる。

「ヴィンセント!」

「何だ、口答えか?」

「当然だ、何故わざわざ爆弾を拾うような真似――」

「分からんか? 言ったろう、『面白くない話だ』と」

 びっ、とダグラスに指を突きつけるヴィンセント。

「こいつの追手は間違いなくこの街の敵だろう。我々は早々に『当たり』を引き当てた訳だ、賞品が何かはさておきな。みすみす逃してやるには惜しい。分かったらさっさと調べにかかれ」

 そう一息で畳みかけると、御曹司は無造作に席を立った。

あしを待たせているのでな、オレはもう出る」

「ああ、では私もそろそろ出ないとですね」

 つかつかと歩を進めるヴィンセントについて、シャロンもバーを後にする。あっという間に遠ざかる背に、モリソンが「いってらっしゃーい」と間延びした声を投げかけた。

「さて、じゃー俺等も――」

「待て。」

 地を這うような声と共に、席を立とうとしたジャックは襟首を掴まれる。その背後には、笑顔とは到底呼べぬ笑いを貼り付けたダグラスが。

「お前はその前にやる事がある。そっちの少年もウチのオーナーにスカウトされたのなら手伝って行け」

「あー……何ですかねぇチーフ殿?」

「モリソン曰く、日本での馬鹿への罰は決まっているらしい」

 嫌な予感を隠せないジャックに向け、ダグラスはあくまで笑顔を崩さず実刑を告げる。

「諸君にはここの掃除をしてもらおう。床に自分のアホ面が映るまで、みっちりとな」

 いっそ爽やかなダグラスに、ジャックは顔をしかめて親指を突き出した──勿論、今から磨くことになる床へと向けて。

「こんの小舅め!」

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