第12話 No pair ノア
それは、この街ではよくある光景だった。
埃っぽい路地裏で、周囲を囲まれ暴行を受ける男。助けを求める声を発する暇すら与えない暴力の雨。男にとっては幸運なことに、刃物の類は見受けられない。しかし殴られ続けた男の顔には、そこら中に血が滲んでいた。
集団暴行。あるいは私刑。そういう風に呼称されるべきそれは、この街の路地裏では比較的よく見受けられる。膝をついた男の手足が縛られているのも、それなりに恨みを買っていればままある事だと言われるだろう。
そうでありながら、それは明らかに「普通の光景」ではなかった。
普通と呼べない理由は三つ。
一つ目は、現在が爽やかな朝であること。
二つ目は、一人に対して十人以上で囲むその人数差。
そして最後の一つは、筋肉質で大柄ないかにも柄の悪そうな男を囲んでいるのが、青年と呼ぶのも躊躇われるほどの少年達であることだった。
「がはっ! 止め、たすけ――」
悲鳴じみた男の言葉を、少年達の中でも年嵩の一人が鼻で嗤う。
「『助けて』? はっ、どの口が。俺等の仲間に手ぇ出したのはそっちだろうが!」
言い終えるや否や、鋭いローキックを一つ。喧嘩慣れしているらしい一撃は、容赦なく男の腹を抉る。悪態すらつけぬまま、男は丸まるように体を折った。
今朝は顔への強烈な一撃で目を覚まし、そこから訳も分からず殴られ続けている男だが、少年たちの罵声を聞けば状況にも薄々察しが付く。これは昨晩の仕事のツケだ。昨夜攫おうとしたあの少年が、彼らの仲間だったということだろう。只でさえ妙な邪魔が入ってケチが付いたというのに、その上こんな報復が待っているとは。男はただただ己の不運を呪った。
だから男は気付いていない。少年達の視線は一様に冷たく、男の無様を嘲笑うものは一人も居ない事に。そして男が弱るのに合わせ、少年達の暴行も徐々に弱まっている事に。
それは異様な光景であった。暴言の勢いはそのままに、殴る蹴るの間隔だけが開いて行く。怒号は絶えず響かせつつも、止めの一撃は冷静に避ける。 その統率のとれた冷酷さに、怒声の中心で呻く男が気付けるはずもなく。
かくて男の気力が尽きようとした時、少年達の冷酷さの大元が、彼等の本性が顔を出す。
「――よし、ストーップ。」
はい皆やめやめー、と、辺りに気の抜けた声が響いた。途端、少年達の手が一斉に止まる。
男は不意に止んだ暴行に困惑しつつ、痛む身体に鞭打って顔を上げる。周囲の少年達の関心はもう男には無いようで、その視線は現れた一人の少年へと軒並み注がれていた。
胡桃色の髪と瞳のその少年は、しなやかな歩みで男へと近付いて来る。男の正面まで進み出ると、半身を折って男に顔を近付けた。その表情に、満面の笑みを貼り付けて。
「なあオニイサン。挨拶もなしに突然拉致ってこんだけボコって、ホント今更で悪いんだけどさあ――あんた、何処の人?」
酷薄な笑みに、ぞくり、と男の背筋を冷たいものが駆け降りる。身を強ばらせる男を見て、少年は満足げに上体を起こした。
「ああ悪い、訊くときはこっちから名乗るのが礼儀だもんな」
芝居がかった動きで肩を竦め、少年は言う。飄々とした笑みを崩さぬまま、朗らかに。
「俺はノア。一応このチームを仕切ってる……ってもまあ、俺らはしがない街の悪ガキ集団なんだ。行き場に迷った連中が徒党組んでるってだけの、よくある集まりさ。けどな、俺等の機動力を買って、酔狂にも面倒見てくれてる人らが居てよ」
そこでノアは一度言葉を切る。男を見据える視線が、少年らしからぬそれへと変わる。
その名前を出す瞬間だけは、彼は路地裏の少年ではなく。
「俺らの上はリベラトーレ。ポートマフィアのリベラトーレ・ファミリーだ」
グレイフォートの『リベラトーレ』といえば、NYにも顔が利くほどの、歴史と伝統あるポートマフィアだ。経済力と影響力、そして武力――圧倒的な組織力でグレイフォートのチンピラ・ゴロツキの類を制し、時には御しているリベラトーレは、言わば街の「裏方」の総元締めだった。一般市民への知名度も高く、同時にそれなりの畏怖と支持も確立している。
ノアが率いているのは名目上、そのリベラトーレの下部組織に当たる。少年達で構成されたチームは所謂『年少組』に近いが、しかし一般的なそれより遥かに自由度が高い。その理由は、ノアとリベラトーレのボスとの奇縁にあった。
ノアは父を知らず、水商売を生業とする母親に半ば見捨てられて育った。それでも絶望することなく、人好きのする性格でいられたのは、妹の存在があったからだ。妹の笑顔を見れば自然と笑顔になれた。体が弱く病気がちな彼女を守りたいと思っていた。
母が帰って来なくなり、妹と二人でいわゆる浮浪児になってからも、その関係は変わらなかった。朗らかで頭の回転の速いノアの周囲には、自然と同じような境遇の子供が集まった。
そんな折、ノアの妹が突然の病に倒れた。治療は定期的に行う必要があり、進行すれば命に関わる。治療費を都合する為、ノアは当時の仲間と共に高級車を襲撃した。その高級車に乗っていたのがリベラトーレのボスだったのだ。
襲撃こそ失敗に終わったものの、彼らの機動力とチームワークを見込んだボスは、襲撃を不問に付す代わりにとノアとその仲間達をスカウトしてきた。
結論として、ノアは彼を除いたグループの全員と妹の保護を条件にリベラトーレの傘下に下った。妹と仲間を守れるのならと、汚れ仕事を回される覚悟も、捨て駒としての覚悟もした上での結論だった。だが実際には、回されるのは主に地味さ地道さ故に避けられるような、彼らの得意とする仕事ばかり。ノア達はボスの期待以上の成果を上げ、報酬は契約上の金額に幾許かの色を付けて支払われる。傷害事件に関わる回数はむしろ減り、生活の余裕に伴い仲間も増えた。良い寄生先を見つけたものだと、内心ノアはほくそ笑んでいた。
しかし、事はそう上手くばかりは運ばない。リベラドーレに与して数年、ノアの妹の病状が悪化した。大病院に緊急入院し辛うじて一命は取り留めたものの、完治までに見込まれる治療費は総額1万ドル。路地裏暮らしの未成年であるノアに払える額ではない。途方に暮れる少年に、ボスはいつになく厳しい顔で告げた。
――今回の費用も今後の治療費も全て、我々が支払う用意はある。返済は必要ない、君のこれまでの活躍と、これからの働きに報いるものだ。
――だが、それはつまりそういうことだ。マフィアに金を工面してもらった、その事実は一生拭えない。
君は、それで良いか、と。
それは彼からの最後通牒で、きっと彼なりの、最大限の優しさだった。
以来、ノアは自らリベラトーレを名乗るようになった。そこに、彼自身の誇りを乗せて。
そんな彼の背景は、語らずとも気迫に現れる。ノアに睥睨される男は、少年らしからぬその迫力に息を呑んだ。しかし、すぐに我に返って叫ぶ。
「し、知らねぇ! 知らねぇよそんな奴!」
「あ? そういうの、却って腹立つんだわ。煽ってんならそう言えよ」
「ほ、本当だ! 俺ぁ余所者なんだ! この街には来たばっかりだし、その、リベ……なんだ、お前の上役も知らねぇ! ただ良い仕事があるって聞いて、それで!」
「……はあ?」
男の泣き言に、ノアは思わず間抜けな声を上げた。引き締めた表情も年相応のものへと崩れてしまう。
この街の『こちら側』で、リベラトーレを知らない人間がいるはずがない。余所者であろうと場数を踏んだ業界人なら、現地の最大勢力として必ずチェックを入れるはずだ。
「おい、まさかアンタ、本気でなんにも知らねーのかよ」
ノアにしてみれば呆れの一言だったのだが、男は我が意を得たりと顔を輝かせる。
「そ、そうだよ、俺はホントに、ホントになんにも知らねぇんだ! ただ雇われただけでさぁ!」
素性の知れない雇い主にアシの付かなさそうな人間を攫って来いと言われた、偶然目を付けたガキがマフィアだなんて知らなかった。そう喚き散らす男を睨み付けるノア。しかし、やがて大きく溜息をつくと、がしがしと頭を掻いた。
「そうかぁ、知らないのか。知らないんならしょうがねぇなあ」
緩んだ語気に、男の表情が明るくなる。それを横目で眺めつつ、お前ら、とノアは笑顔で少年達に呼び掛けた。それは、先程までとはうって変わって生気に溢れた――獰猛な笑みだった。
「このおっさんにみっちり教え込んでやれ。この街で『リベラトーレ』に楯突いたらどうなるか、ってな」
「の、ノア!」
手加減なしの
「あの、そ、そこまでしなくても……僕は無事だったんだし」
窺うようにこちらを見上げる少年の金髪を、ノアは笑ってわしわしと撫でる。最近居ついたばかりのまだ幼い少年は、いわばチームの末の弟のようなものだ。
「優しいなぁ、テスは。でもそういう事じゃねぇよ、これはメンツの問題。適当に見逃して舐められて、第二第三のお前がもっと酷い事されないとも限らないだろ」
そう、とノアは思う。このチームの、と言うよりは、『リベラトーレ』の下部組織としての問題だ。仲間がやられたのを放置したなんて知れれば、我らがボスが外聞的にも人道的にも黙ってはいない。黙っていないとは文字通りで、ボスの折檻は殴る蹴るにちょっと耐えれば済むという話ではないのだ。路地裏生活の長いノアとしては、いつぞやのような二時間半のお説教コースだけは避けたい所だった。
「大丈夫、やって精々半殺しだ。後でお前に謝らせなきゃなんねぇしな」
優しい微笑で物騒な事をのたまったチームリーダーの下へ、また別の少年が歩み寄る。
「ノア」
「おう」チームでも古株の彼に向け、ノアはぞんざいに返事をする。「何かあったか」
「いや、昨日保護した子な、いつの間にか出てっちまって」
「保護した子?」
「あ、そういやお前居なかったな」怪訝そうなリーダーに向け、少年は経緯を説明する。「おっきな帽子にふわふわのドレスみてぇの着た女の子で、家出か迷子かだと思ってさ。不安そうにしてたから、俺らで一晩匿ってやったんだ。でも朝起きたらもう居なくて……」
後味の悪そうな少年とは対照的に、ノアの表情は変わらない。チームとしてはこの街の弱者には手を差し伸べる方針だ、少女を助けた事に異存はない。だが、出て行った人間の世話まで焼くほどお人よしの集まりでもない。さしたる興味も示さず、ノアは言う。
「ま、本人が出てったんならしょうがねぇだろ。それよか本題は」
「悪い、そっちは全然だ」
「そうか……」
今度は落胆の色を隠さないノア。仲間の言葉は、彼らに託された「仕事」が進んでいないことを意味していた。
ここ最近、街の一部を騒がせていた失踪事件。その主な被害者は身寄りのない浮浪者や孤児であったため、未だ大きく表沙汰にはなっていない。とはいえ消えた彼等と同じような境遇の友人知人にとっては一大事である。事が大きくなる前に早々にその不安の受け皿を請け負ったのが、街の顔役であるリベラトーレであった。ボス直々の指示により、ノアとその仲間達は消えた人々の周囲を探っていたのだ。
そこに舞い込んだのが、今回のテスの誘拐未遂である。直接身内に手を出された屈辱は許し難いが、未遂であるならこれ幸いと、マシュと一緒に転がっていた実行犯をこってりと絞り上げる予定だったのだ。それが実際に蓋を開ければ先ほどの体たらくである。分かったことと言えば精々が、誘拐犯達は街の外から来た連中だというくらい。それだって端から予測はついていたことだ。泣く子も黙るリベラトーレに真っ向からケンカを売る大馬鹿者は、ノアの知る限りこの街には居ない。
「こっちも目処立ってねえってのに別件まで追加とか、ほーんとボスってば人遣い荒いんだからなぁ。クスリの話なんてしてる場合じゃねぇっつの」
「せめてあの男が何か吐いてくれればな……」
「ねぇな。野郎、本気で何も知らねぇもん」
少年の希望的観測を切って捨てるノア。あの程度の男が深い事情を知れる程度の組織なら、今頃は連中のアジトだって割れている。彼は単なる捨て駒だと、ノアは殆ど確信していた。
とは言えそれは同時に、現状の手掛かりがほぼゼロであることを意味している。状況を打開するためには、人の街で好き勝手をしている連中に直接事情を聞かねばならない。
「余所者も、お前を助けてくれたみたいなのばっかりだと良いんだけどなぁ」
テスの肩を叩きながらぼやく。昨日の一件はテス本人から詳しく聞いた。腕の立つ、銀髪に赤い目の少年――それだけ目立つ容姿でありながら自分達が素性を知らないのなら、彼もまず間違いなく余所者だろう。
「そいつに会ったら礼言わないとな」
そうテスに笑いかければ、彼も嬉しそうに笑い返す。その肩を押してテスを傍らの少年へと預け、ノアは一人、大通りの方面へと歩き出した。その頭にあるのは、既に仕事の事だけだ。
目ぼしいアテは既に洗い切ってしまい、幸か不幸か何も出なかった。ここから先はノーヒントで仕事を進める必要がある。唯一の手がかりは余所者の暴挙。だが、ノアのチームはこの街とリベラトーレという文脈の中でこそ最大限の能力を発揮出来る集団だ。余所の大人相手では、所詮子供と舐められあしらわれるのが精々だろう。かと言って、一々先程のような実力行使に出るほど暇ではない。
「もう余所の手ぇ借りるか? あんまやりたくねぇんだけどなぁ」
少なくともヒントを探すための足掛かりは、その筋の人間に助けを求めた方が効率が良さそうだ。この街に出入りする人間の集まりや動きについて押さえていそうな事情通。かつ、自分がリベラトーレの一派と知らないか、あるいは知っていても情報提供を拒まない派閥の人間。ついでに言えば借りは小さく済む方が良い。
「あー……昨日聞いときゃ良かったなあ」
心当たりが無いではないが、完全に二度手間だ。とは言え、現状ベストなのは彼だろう。
「まあ何だ。無駄足踏ませんなよぉ、ジャック兄サン?」
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