第10話 One pair クライヴ&……


 市警のダウンタウン地区分署のすぐ隣に位置し、「タウン地区で最も安全」を売りとするダイナー。爽やかな朝の雰囲気に満ちた店内に、今朝に限っては人の寄り付かない一角が出来ている。店内後方、通りに面したカウンター席に陣取るその元凶は、手にした資料に突き刺すような視線を向けていた。

 組まれた長いしなやかな脚に、後頭部の低い位置で無造作に束ねられた黒髪。細い黒縁の眼鏡の奥で、怜悧な瞳が光っている。ダークスーツに咥え煙草という出で立ちはどう見ても男のものだったが、僅かながら確かに丸みを帯びる胸元がその判断に待ったをかけていた。

「ジャン・メイヤー。ヘッドショットで一発、か」

 紫煙と共に吐き出された物騒な呟きが、男性と言うには澄んでいる。それだけが、辛うじて彼女──アイリーン・G=フライアーズの性別を表していた。

 備え付けの灰皿に煙草を置き、彼女は資料と机上の地図とを見比べる。

「……全く、」

「良くやるよね、ホント」

 指先で地図を辿っていた男装の麗人の背後から、独り言に割り込む声がある。彼女の振り向いた先には、緩い癖毛の、眼鏡を掛けた青年が立っていた。

「クライヴ」

 呼びかける彼女の視線が幾分か和らぐ。クライヴは手にした紙コップの一つを手渡すと、躊躇いなく彼女の隣の席を埋める。

「良くやるって言うか、やりすぎって言うか。どっちにしろ最近マズいですよ、この街。外からゴロツキ連中が相当数流れて来てるし、身寄りのない連中を中心に失踪事件もやたら起きてる。おまけに例のクスリの件、キメて馬鹿やった奴等の大半が死体で上がってて、そのうち数体は明らか他殺って。こんだけナワバリ荒らされちゃあ上がどうこうより前に、流石に沽券に係わるでしょ。さっさと潰さなくていーんですか」

 部下の苦言を受け、彼女はわざとらしく「なんだ」と返す。

「思ったよりも分かってるじゃないか。てっきり昨晩のは知らずにやらかしたのかと」

 棘を含んだその返事に、流石のクライヴも笑みを崩す。が、崩した先は反省の表情というよりも駄々っ子のそれだ。

「だから昨日から謝ってるじゃないですかぁ。大体手段を選ぶなってアンタが言ったんでしょ、リン」

「謝って済むなら我々もコイツも用無しだ」言いながら左肩を叩いて示すリン。その下には、スーツに隠れたショルダーホルスターがある。「それに、わざわざ祭りをしろと言った覚えはない。あくまで非合法活動なのを心得ろ」

「あの程度。言うほどハシャいでないですよ」

 あくまで悪びれない部下に呆れの溜息を吐き、コーヒーを一口含むリン。クライヴもそれに倣ってカップに口をつけると、「で?」と上司に先を促す。

「ああ。上のご要望通り、最優先は変わらずクスリの件だ。例の目撃情報──『銀髪赤目の殺人人形』なんて証言は信じ難いが、実際それっぽいのが居たのは確かなんだろ?」

「いや、まあ。ただ、アレは……」

 昨晩クライヴが銀髪に赤い目の少年と交戦したとの報告は、既にリンの耳に入っていた。だが直接目にしたと言う割に、クライヴの返事は煮え切らない。

「何だよ」

「あーいや、何でも。つーかその前にっていうか、そうじゃなくて」

 話を逸らすクライヴに、リンは訝しげな視線を投げる。心当たりの無さそうなその様子に、だから人間やめてるって言うんだ──とは内心に止め、クライヴは溜息交じりに言った。

「朝飯。いい加減俺も腹減ったし、アンタだってどうせ昨日の件から碌に食ってないんでしょ。折角だし、休日返上の可愛い部下に奢ってくれてもいーんですよ?」

 小首を傾げるクライヴに、しかしリンの反応は冷たい。

「辞書を引け。『折角』と『可愛い』の使い方が間違ってる」

「ご丁寧にどうも。ついでにアンタの辞書に『過労』と『時間外労働』って書き加えておきますよ」

 苦笑しながらメニューボードに手を伸ばすクライヴを、リンはやんわりと制止した。

「いや、いい。私はこれから中華を食べに行く」

「朝飯に中華ぁ?」思わず声を上げたのは、取り合わせの珍妙さにではない。「どうせ『招龍軒』でしょ、完全に仕事じゃないスか」

「一石二鳥と言え」

『招龍軒』は街のメインストリートに面した中華料理屋だ。個人経営の小さな店だが、その筋では名の通った情報屋として知られている。『銀髪赤目』の情報目当てで利用しようという事だろうが、その為だけに食生活を犠牲にするほどクライヴは勤勉ではない。

「俺は嫌ですよ、朝から中華とか」

「じゃあお前は食ってから来い」

 意外にもあっさりと引き下がったリンは、何故か財布を取り出しながら言う。

「そうだな。メインストリートの方を回って、昼にはこっちと合流しろ。遅れるなよ」

 そうして一〇ドル札を一枚机に置くと、止める間も無く店を後にした。

「……そういうことじゃないんだけどなぁ」

 残されたクライヴがぽつりと零す。奢ってくれとは確かに言ったが、それはあくまで口実で。彼としては、偶には息抜きがてら食事でもと、遠回しながら気遣ったつもりだった。それに気付かない人ではないのに、仕事となるとそれしか優先しないのだ、あのワーカーホリックは。この一〇ドルにしたって、どちらかと言えば詫び代のつもりなのだろう。

 結果として口実だけが叶ってしまった訳だが、まあ貰えるものは貰っておこう。クライヴはあっさり居直ると、冷めてきたコーヒーを一気に飲み干す。

「んじゃ、河岸でも変えますか」

 どうせ大通りに出るのなら、ここより好みの店がある。あちらなら食べるついでに雑踏の監視も出来るし、ここより治安がユルい分、当たりを引く可能性も高い筈だ。『銀髪赤目』に限らずとも、思わぬ釣果があるかも知れない。

 運試しくらいにはなるだろうと、クライヴは一〇ドル札を手に席を立つ。

 選りにもよってジョーカーを釣り上げる事になるとは、微塵も思わずに。

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